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2004/11/30

それで、いちご

若かりし頃、会社勤めをしていた事がある。そしてその時、社内の本棚に日本の民話を集めた本があった。

何気なく読んでいて、ある事に気が付いた。どれもお話の最後が「それで、市が栄え申した。」で結ばれている。「はて、これは?」と思い、博学な方に聞いてみた所、「めでたし、めでたし」のような語り収めの決まり文句なのだと言う。なるほど、市が栄えれば「めでたい」という事は、何となく分る。

さらに読み進んでいくと、それには色々なパターンがある事が分かってきた。「それで、市が栄えた」「それで、市後栄えた」「それで、いちご」なんだか、どんどん省略されていく様な……。こうなってくると、肝心のお話よりもそっちの方が気になって来る。(まるで伝言ゲームを見る様な面白さ!)

「いちご」が出て来た時には、さすがに「オイオイやばいぞ!」と不安がよぎったが、案の定、「いちご、ポ−ンとさけた」まで行ってしまって、期待は裏切られなかった。
こういった民話は、人から人へと伝承されて来たもの。昔の人も、結構めんどくさがり屋(脚色家?)だなぁと、変な所で安心した覚えがある。

さらに、そのお話が編者によって収集された場所を調べてみると、比較的オリジナルが守られているのは越後平野の方。そして、だんだん太平洋側に行くに従って、はしょられていく……。さらによく見てみると、「市後」にこだわった"苺派"と、「栄えた」の"裂けた派"に分かれていたような記憶もある。(両方のミックス型もあってややこしかった)どうやら、越後山脈を北から越えたか、南ルートだったかで別の変化を遂げたようだった。(なにせ若い時の事だから、うろ覚え……)

そんな事が面白くて、しばらくその本に没頭していたのだけれど、(仕事はしていたのだろうか?)めんどくさがり屋では、こちらも負けていない。で、結局それっきり……。(「それっきり」もあったような)
もっと突き詰めてれば、なにがしかのレポートの一つも書けたのかしらん……。(ま、そりゃ無理ダワネ♪)

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2004/11/28

老婆心

前回、バスに乗って小さな冒険をしていた思い出を書いたけれど、最初から首尾良く行った訳ではない。やはりそれなりの覚悟がいるし、気軽に行動を起こして、とんだ失敗をした事もあった。

ある時、大きな団地の商店街まで散歩に行った時の事。いつもはそこから帰るのだが、たまたまバス停に駅前行きのバスが留まっていた。散歩に飽き足りなくなった私は、ついサービスして、それに乗せてあげることにした。(喜ぶ顔が見たいという理由だけなのだから、親バカもここに極まれりだ)途中で家の近くのバス停も通る。何とかなるだろうと思ったのだが、コレが間違いだった。私の目論見以上にバスは早かった。あっという間に最寄りのバス停が過ぎ、終点の駅前までついてしまった。これでは満足する訳がない。しょうがないので、元いた団地行きのバスでとんぼ返りする事になった。片道200円、往復で400円だが、遊園地の乗り物代と思う事にした。

再び家の近くを通り過ぎ、結局、元の場所まで戻ってしまった。その時だ。もっと乗っていたいウチの子は、火が付いたように泣き出した。すでにもう、400円も使っている。これ以上のサービスをする気になれなかった私は、無理矢理降りたのだが、私に手を引かれながら泣いているわが子に、「坊やどうしたの?」と中年の御夫人が声を掛けて来た。子供に向ける顔はにこやかだが、時折私を見る視線は猜疑心に満ちている。これこれしかじかと理由を説明したのだが、「すわ!誘拐?」と疑られたのは明らかだろう。

治安というのは、こんな老婆心で保たれている側面がある。疑われた不快さより、「この辺もまだまだ捨てたもんじゃないな」という安心感の方が大きかったけれど、私にとっては、そんな危険を孕んだ冒険でもあったのだった。

hitoha.jpg 
 
 
 
 最後の一葉。
 先日の強風で
 落ちてしまった。
 
 
 

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2004/11/25

たのしい乗り物

この前、男の子は乗り物が好きだと書いたけれど、実際に乗るのはもっと好きだ。
だから、散歩の途中でバスに乗ってみる、という小さな冒険をする事もあった。バス通りまで歩いていって、たまたま通りかかったバスに乗ってしまうというのだから、冒険には違いない。

そのバス通りは駅前に続いていて、いつもひっきりなしにバスが通るのを見ていた。帰りはその駅行きのバスに乗れば良いんだからと乗り込んだのだが、その路線は思いのほか長距離だった。帰る時間が気になりだして、途中下車したのだが、待てど暮らせど帰りのバスが来ない。確かに駅の近くまでは路線が重複していて、便数も多く見えたが、その先は目的地に向って枝別れしている事に、その時やっと気がついたのだった。しかし、親の方がイライラしていたのに、愚図りもしないで大人しくバスを待っていたのだから、本当に好きだったのだろう。

その教訓を生かして、同じ私鉄の駅に向う路線に的を絞ってからは、そんな失敗もしなくなった。バス賃よりも帰りの電車賃の方が安いし、やはり土地カンがある方が安心だ。駅からだと家まで距離があるが、いざとなればダッコという手もある。
ある時、目的の駅まで着き、後は電車で帰るだけとなって、駅前のお店でひと休みした事があったが、わが子の満足げな顔を見ながらコーヒーを啜った時には、ちょっとした冒険旅行を成し遂げたような気さえしたのだった。

本人に聞いてみると、その頃の事は殆ど忘れてしまったと言う。「じゃあ、一体あれは何だったの……」などと思ってしまうが、今でもその当時の事は、幾ばくかの感傷と共に懐かしく思い出される。
その時は、子供を喜ばせるためだけにしていたつもりでも、今にして思えば、自分のための思い出作りをしていたのかもしれない。

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2004/11/23

鼻白む

日常何気なく使っている言葉でも、その意味を的確に表現するのが難しい時がある。
ニュアンスは解っているのに、それを説明する言葉が見つからない……。そんな時、結構マメに辞書を引く。その解説を読むたびに、「うまい事言うなあ……」と感心させられる。

そんな中で、ひとつ合点のいかない言葉があった。「鼻白む」だ。
「興醒め」とか「しらける」と言う意味だけでなく、何か+アルファがあるように感じる。その+アルファが何なのか気になり、例のごとく辞書で調べてみた。それによると「気後れした顔つきをする事」とある。…んー、何かピンと来ない。そこで今度は「気後れ」の項を見てみる。すると「恐れてひるむ事」とある。……?確かにそんなニュアンスも含まれていると思うけれど、なんか「しらける」からどんどん離れていくような感じ。そうなるとどんどん気になって来て、眠れそうもない。そこで、自分なりの解釈を考えてみたのだった。

例えばシチュエーション的には、子ライオンを見付けたハイエナが、獲物にしようと近付くと、陰から親ライオンが出て来て鼻白む……。これなら「恐れてひるむ」って感じだ。または、文句を付けに行った先の玄関に、獰猛な番犬がいて鼻白む……。これもイケテル。後は、偶然出会った憧れのスターに、サインを断られて鼻白む……。そんな感じだろうか。

そうやって考えてみると、どうやら「勢い込んで行ったものの、予想と反した展開にとまどい、気勢をそがれる……」そんな、オットットとたたらを踏む様な感じかなー?と自分なりの結論を下し、やっと安心できた私なのだった……。チャンチャン!

cristmas.jpg 
 
 
 
 夏越しも終わり
 日なたに戻した
 クリスマスローズ。
 これからが出番。
 

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天衣無縫

私には、どうしても気になる言葉がある。それは「天衣無縫」。天女の衣には縫い目が無い事から、「技巧の跡が無く、完全無欠の事」だと、長い事信じていた。こどもの頃から使っている金田一さんの国語辞典にもそう書いてある(昭和40年改訂版)。

しかし、世間一般では、大抵「天真爛漫」と「破天荒」と「自由奔放」を合わせた様なニュアンスで使われている。(ま、私もその方がピタッとくるのだけれど)念のためインターネットの国語辞典で調べてみると、驚いた事に「わざとらしさが無く自然に作られていて、美しい事」の他に「性格が無邪気で飾り気がないこと。天真爛漫」となっている。しかも[文]記号で文章語として!

いつからそう決まったのだろう? と思い手持ちのもう1冊の辞書(昭和49年発行)を引いてみると。やはり載っている。ただしこちらは[俗]記号で、俗語として紹介されているだけだけれど。
どうやら私が気付かない内に、随分意味が柔らかくなって、天真爛漫が市民権を得てしまったようだ。きっと、「わざとらしさが無い」と言うニュアンスが独り歩きして、天真爛漫に取って代わってしまったのだろう。(辞書って新しくないとダメなのね)
「言葉は生き物」と言うが、時代と共に言葉の意味は変化するのだろうか。(ちなみに、「眼福」も私の辞書には無いので造語だと思っていたが、ネット国語辞典にはあった)

その他、(かつぜつ)「活舌・滑舌?」も「舞台俳優は活舌が命!」等、最近よく耳にするけれど、こちらはまだネット国語辞典にも載っていない。ただし成長著しいので、取り上げられるのも時間の問題だろう。

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2004/11/21

埒があかない

ある時ふと、「ラチがあかない」と「不ラチ者」のラチって同じ字だっけ……。と思い、いつものように辞書を引いてみた。「埒があかない」「不埒者」確かに同じだ。なら、「埒」の字の意味は?と読んでみると、「馬場の柵の事」とある。
……!!その時、その情景が一瞬の内に脳裏に広がった。つまり、馬に乗った人が馬場から出ようとしている(または入ろうとしている)。でも、待てど暮らせど門番が現れない……。このままでは埒があかないので、仕方なく馬から降りて自分で埒を開けた…。
どうだろう、昔の人はうまく考えたものだ。心の琴線に触れるというか、こういう瞬間が堪らないので、また辞書を引いてしまう。

さて、「埒があかない」に戻ると、「決まりがつかない。どうにもならない」。「不埒者」の方は、「程度を踏み外して、けしからぬ者」とある。「馬場の柵」が「物事の決まり・区切り」の意味になり、とうとう「世間の規範・倫理」にまで出世している……。
別に、昔頭の良い人が考えたと言うよりも、代々受け継がれて行く間に、淘汰され、熟成されてきたのだろうけれど。本当に、言葉は文化だと思う。

1116torenia.jpg 
 
 
 バラの鉢から芽を出した
 トレニアも、
 そろそろ終わり。
 お疲れさま。
 

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2004/11/18

男の子・女の子

男の子は、どうしてあんなに乗り物が好きなのだろう。「たのしい乗り物」系と「かわいい動物」系は、幼児に与える最初の絵本の双璧だ。

ウチの子は、まだ言葉も喋れない頃から電車や自動車のおもちゃを欲しがった。与える方としては、そればかりではつまらないので、「かわいいクマさんだよ−。」とか言ってヌイグルミなどを見せるのだが、イヤイヤをしてこちらに押し戻す。で、結局同じ様な電車や自動車のおもちゃが増えていくばかりだった。そんな様子を見るにつけ、一歳になるかならぬかの幼児でも、男の子は男の子なんだなー。と、思い知らされるのだった。

「女性は女性として生まれるのではなく、女性として作られるのだ」と言ったのは、ボーヴォワールだけれど、昔は私もそう思っていた。私以上に男の子っぽい女の子もいたし、ミニカーが好きだった私も、可愛いヌイグルミが嫌いではなかった。むしろ「男の子は男の子らしく」と強制される事に反発すらしていた。

しかし最近は、その意見もぐらつきだした。幼稚園児を見ていると、男の子が「どんな」おもちゃで遊ぶかに関心があるのに比べ、女の子は、「誰と」遊ぶかが重要らしい。確かに、井戸端会議と言われる様に、奥様方はお喋りがお好きだけれど、それは幼い頃からそうやって培われて来たコミュニケーション能力の為せる業であるように思える。見知らぬ同士でも、同席した途端、嬉々としてお喋りを始められるのは、見事としか言い様がない。これは、「女三界に家なし」と言われた昔から、どんな境遇にも適応出来る様、連綿として受け継がれて来た遺伝子の進化した姿なのだろうか。

主張するべきは主張し、耳を傾ける時は傾聴する。それを愉しみながらやれてしまうのだから……。根回しやコンセンサスの形成等、遅々として進まない企業の会議に比べ、女性の話し合いはスムーズに進行するような気がする。

横道にそれなければ、だけど……。(^^;)

pumira.jpg 
 
 
 プミラは
 植えてから数年経つと、
 先祖帰りして
 斑が無い葉が現れるけれど、
 今度は
 ピンクの葉が出て来た。
 

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2004/11/16

クワガタ虫

先日は木枯らし1号が吹き、めっきり寒くなった。ひたひたと、冬が忍び寄って来る。

2〜3年前の今頃だったろうか、ベランダに出てみると、一匹の小さなクワガタ虫が床にへばりついていた。晩秋というよりは、冬の気配を感じる様な朝だったが、寒さで弱っているのか、近寄っても逃げる元気さえないようだ。これまでにも色々な生き物の世話をして来たけれど、クワガタもその例に漏れなかった。

クワガタ虫というのは、上から見た時に感じるよりも、意外な程体の厚みがないが、そのクワガタは可哀想なくらい体が薄かった。本来なら夏の風物なのだから、この時期に人間の住処にあらわれる事自体おかしい。とりあえず手頃な広口ビンに入れたのだが、良くしたもので、たまたま子供の学習雑誌の付録でオガクズがあった。(それに微生物を加えて、小規模な生ゴミ処理機にするというもの)更に、以前姪夫婦からカブト虫と一緒にもらった「昆虫ゼリー」まである。(冬眠しないカブト虫は、一夏限りのお付き合いだったけれど)こうして、春になるまで育てる事にしたのだった。

しかし、飼っていてこれ程面白みのない生き物は初めてだった。人目を避けてオガクズの中に逃げ込むのも、最初の内だけだろうと思っていたら、一向に慣れない。一ヶ月に一度、ビンから出してオガクズを交換していたのだけれど、鋏を振りかざして威嚇するし、それが無駄だと知ると、すぐにまた隠れようとする。昆虫ゼリーも少しづつ減っているから、夜中にこっそり食べているらしいが、現場を目撃出来ないのはつまらない。子供はとうの昔に興味を無くしているし、そんなこんなで年を越し、結局初夏になるのを待ちかねて、近所の遊歩道脇の雑木林に放してやったのだった。

ビンから出すと、一目散に枯れ葉の中に逃げていったが、半年程の付き合いだったにしても、あっけないお別れだった。バルコニーで見付けた時に放っておいたら、死んでしまったのだろうし、それなりに体も厚みを増した。まあ、命を助けてやれただけでも良かったかな、と雑木林を後にしたのだった。

table_sikura.jpg 
 
 
 
 まだ蕾だけれど、
 ミニシクラメンで
 冬用のコンテナを
 仕立てました。
 
 

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2004/11/14

夜中の手紙

「夜中に手紙は書かない方がいい」そんな言葉を知ったのは、いつの事だろうか。

真夜中の空間は不思議な魔力を持っていると思う。あたりが寝静まって、自分だけが覚醒している…。そんな時間は、普段自分の中で堅い殻に守られていた純粋なものが、無防備に溶け出す。それで手紙をしたためたら、どんな文章が溢れ出すのか……。

むかし、まだ若い頃、そんな経験がある。気持ちのままに手紙を書いて、翌朝読み返してみると、それは正直な気持ちが剥き出しで、重かった。(相手は異性ではなかったけれど)
あまりの恥ずかしさにいたたまれず、破り捨てたが、それからは、書いた手紙は封に入れずに置いておき、翌朝読み返してから投函するのが習慣になった。

インターネット上で情報が行き交う現在、そんな悠長な事をしていたら、すぐに置いてきぼりだ。タイミングも大事なのだろう。なのに私は、コメントを書いてからすぐに送信ボタンを押す事が出来ない。「これで良いんだよね」と、何度も自分に言い聞かせてからボタンを押す。
それでも後になって、もっと的確に自分の気持ちを表す言葉が見つかったり、「誤解されたらどうしよう……」と、身悶える始末。(ただ、これは夜のせいではなくて、自分の資質の問題だろうけれど……)
瞬時に発信される冷静なコメントを、羨望の眼差しで見つめるだけだ。

近くのコンビニは24時間営業で、いつ行っても明かりが灯っているし、行き付けのサイトでは「現在○人のユーザーがアクセスしています」と、どこかで同じ事をしている人間がいるのを告げている。そんな現代では、私も殊更に夜を意識することが無くなった。
どうやら、「真夜中の魔力」も出番が無いのかもしれない。

rajiantamu.jpg 
 
 
 夏は外に置けた観葉植物も、
 そろそろ室内に取り入れる時期。
 そとにいる時はゴキゲンでも、
 部屋に入れた途端
 元気が無くなるのは何故?
 
 

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2004/11/11

本日限り

何を隠そう、私は「本日限り」という売り文句に弱い。「本日限りの大廉売!」のチラシを見たりすると、買わなきゃソンかな?と、つい本気で考えてしまう。そんな人は多いらしく、「閉店大サービス!」だったパチンコ屋さんは、改装して「新装大開店!」を繰り返しているし、ここに越して来た時、「20年に一度の大安売り!」と言っていた軽トラの竿竹売りのおじさんは、15年以上経った今でも、時々やって来て同じアナウンスをしている。

どうも人間は、たまたま巡り会ったチャンスを手放すのが惜しいらしく、その習性を利用した良からぬやり口もあるようだ。
ちょっとひねって、「あなたが、抽選に選ばれました!」などと、いきなり身に覚えのないDMが来たりするけれど、そんなオイシイ話はそうそう転がっている筈も無いのに、一瞬「え、本当?」と、喜んでしまう自分が情けない。

そう言えば、私が結婚したのも家内が29歳の時だった。今では30過ぎの花嫁は当たり前だけれど、当時は「25を過ぎると、売れなくなるのはクリスマスケーキと何とやら。」と言われていたのだから……。その時の私に、「30迄にはウェディングドレスを着せなければ……」という焦りが無かったとは言い切れない。

ま、人生いろいろ、こんなもんでしょう。

1105kaki.jpg 
 
 
 
 ご近所の
 老夫婦のお宅の柿の木。
 一度お相伴に
 預かりたいのだけれど……。
 
 

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2004/11/09

野菜の目利き

もう3週間はレタスを食べていない。
朝食のサラダはキャベツの千切りだし、夕食時はおひたしとか、キャベツのコールスロー(あ、ザワークラウトも良いかも)。例の台風の影響で、野菜の値段が高騰しているからだ。そのキャベツも3週間前に値上がり寸前のタイミングでゲットしたもの。いつもは100円台で買えるのに、今じゃレタスもキャベツも398円。それより安いブロッコリーやアスパラガス等でしのいでいるようだけど、頼りのキャベツも残りが少なくなったし、これからどうするのだろう……。

ウチは日曜日に1週間分の食糧をまとめ買いしている。(豆腐とか納豆とか、食べた方が良いとされている食材も、1週間の間には取っている事になり、把握しやすい利点もある)しかし、そうなると結構な量になるので、当然私もお供する事になる。これだけの量になると、最初の内は精算が終わった商品を、スーパーのレジ袋に詰め替えるのにも一苦労したものだが、何年も繰り返している内に随分手際がよくなった。

効率が良くなったのは、それだけではない。買い物の手順自体も、いつからか分業体制になった。野菜売り場で家内があれこれ選んでいる時、私の分担はきゅうりとトマトだ。先ず全体をさっと見渡し、良さそうなものを左手に取る。それからおもむろに、それより良さそうなものを右手で掴んで、左右のものを見比べる。それを、欲しい数が揃うまで繰り返せば、良いものだけが手の中に残る。
きゅうりの場合は、イボイボが痛い程尖っているのを選ぶのがセオリーだけれど、家内は色が濃いものより薄い方が良いと言うし、水で洗ってこのまま食べると思えば、自ずと選ぶ目も厳しくなる。
トマトの場合は、自分以外の家族が苦手なのでより難しくなる。(ちょっとでもマズイとうるさい)赤く熟している方が良いのは分かっていても、それだとすぐにグズグズに柔らかくなってしまうので、そう簡単には決められない。(一時人気のあった「ももたろう」は、甘くて確かに美味しいけれど、日持ちの点で不満が残る)かといって、熟していないと後でブーイングの嵐となるし、今では手を触れただけで、固く熟しているトマトが分るようになった。

そんな役割分担をしながら、最終的にレジ前で落ち合うのだが、牛乳等の正味期限のチェックは私の方が厳しいし、(勿論棚の後ろの方からね♡)これだけ重圧のある作業を何年もこなしていると、結構野菜の目利きなのでは?と、自負している。(ま、きゅうりとトマトだけだけど……)

1105sazanka.jpg
 
 
 この時期だから
 山茶花だろうか。
 ご近所のこの木は、
 2階にまで届いている。
 
 
 
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2004/11/07

ヒヨドリ攻防戦

前回ヒヨドリには恨み骨髄と書いたけれど、本当に嫌な奴だ。時々、桜の花の密を吸う写真などがあるが、ハチドリのように密だけ吸えばいいだろうに、コヤツは花ごとむしり取る。せっかく咲いたものをと、その遠慮の無さにも腹が立つ。

夏の間は木の実等の餌には困らないらしく、それ程でも無いが、寒くなるとあのキーキーという鳴き声と共に闖入して来る。そして、けなげに咲いている花々を食い荒らす。春ならともかく、冬の間は植物の成長が遅い。そんな中、やっと咲いたと思うとアイツが食べてしまうのだから、平静ではいられない。
葉牡丹は、見ての通りキャベツの仲間だから殊の外お好きらしい。その他ストックも、元は野菜だったのだから推して知るべしだ。こちらは、一生懸命ヒヨドリのために新鮮なサラダを用意している様な気にさえなってくる。ピラカンサやブルーベリーを育てたいと思った事もあるが、サラダの他にデザートまで提供する気にはとてもなれず、諦めているのも癪にさわる。(苺は何とかネットを被せながら収穫した)
しかし、何よりも悔しいのはその態度だ。嫌われ者のカラスでさえ近付けば逃げるものを、きゃつはギリギリまで逃げない。こちらが飛べないのをいい事に、からかっているとしか思えない。(わざわざ大きな鳴き声で、来訪を知らせてくれるのも憎らしい)

等々、恨み言を書き連ねたけれど、興味の無い人にとってはどうでもいいらしく、ある時「そりゃ大変ねえ」と揶揄されてしまった。そこで、はたと熱くなっている自分に気付き、少々恥ずかしくもなって来た。冷静さを取り戻せば、脳みその量ではこちらも負けない。グッとこらえてシカトしていたら、敵も代がわりしたのか、目に余る悪さはしなくなった。(結局遊ばれていたのね)

そんなこんなで人生勉強をさせてもらったが、やはり今でも、あの「キーキー」という鳴き声が聞こえて来ると、つい身構えてしまう私なのである。

1105pirakansa.jpg 
 
 
 毎年見事に実を付ける
 ご近所のピラカンサ。
 ……羨ましい。
 
 
 
 

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2004/11/04

鳥とりどり

バルコニーの主である雨ガエルの他にも、うちには色々な生き物がやって来る。ひらひら舞い降りて来た蝶が、花の間を行き来している様を眺めるのは楽しいが、(アゲハ蝶の写真は撮れても、モンシロ蝶は警戒心が強いらしく、未だに撮れないのがくやしい)卵を産みつけられると厄介なので、面白がってばかりはいられない。さらにそれが蜂になると、今度はこっちが警戒しなければならない。蜜蜂はちょっかいを出さなければ共存出来るが、マルハナ蜂などは威嚇しながら突進して来るので、羽音が聞こえて来たら、こちらが退散することになる。

昆虫以外に来るものと言えば、鳥がいる。埼玉にいた子供の頃よりも、東京(郊外だけれど)の方が余程多くの鳥がいる。図鑑でしか見た事がなかったメジロやホオジロ、キビタキ等、どれもこちらに来てから目にした鳥だ。ウチには来ないが、電線に留まっているオナガや尾羽をピョコピョコさせるミソサザイ、河原にしかいないと思っていたセキレイを、その辺の畑で見かける事もある。ムクドリなどは、電線にびっしりと留まっていたりして、ヒッチコックの「鳥」を思い出すほどだ。
さらに以前、バルコニーに池を置いていた頃には、金魚を狙ってサギまでやって来たが、鶏の胴体に長い首と足を付けた様な大きな姿を、間近で見た時には本当にたまげた。

よくやって来るスズメなどは可愛い方だけれど、一番嫌なのはヒヨドリだ。おしなべて、鳥で手を焼くのは「フン」の始末だが、(それを考えて、鳩にはお引き取り願っている)木の実を食べるヒヨドリのそれは崩れたブルーベリーのようで、量と言い、染み付く色と言い始末が悪い。そして、花を食い荒らす。

このヒヨドリには恨み骨髄で、とてもここでは書き切れそうもなく、次回にという事で……。

1104koyo.jpg あぁ、この枝のどこかに・・・。

ポージィの花etc.記: 訪問者さんにトラックバックさせて頂きます。
もげきゃっち: 幼き日はジュラシックパークさんにトラックバックさせて頂きます。

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2004/11/02

母のミシン その2

エジソン・ミシン・コロムビア……何の連脈も無い言葉の羅列。でも、私にはこの3つの言葉が繋がった瞬間があった。
数年前の規制緩和の折、見慣れない外資系生命保険会社の広告を見付けた。それは、「エジソン生命」。
発明家エジソンは結構沢山の会社を設立なさったと聞いた事があったし、その中に保険会社があっても何の不思議も無いのかな?と眺めていた時、心臓を鷲掴みされる様な物を発見した。それは、古式ゆかしいその会社のシンボルマークだった。
多分"ge"の文字だったと記憶していたけれど、円の中に唐草模様のようにデザインされていた。今回ネットで検索したのだけれど、つい最近デザインがリニューアルされていて、確認出来ないのが本当に悔やまれる。
遥か昔、私はそのマークを見た覚えがあるのだ。それは、思い出すと切なくなる程遠い昔の事で、物心ついた時にまで遡る。

そのころ、家の廊下には一台のミシンが置いてあった。鋳物製の足が付いていて、踏み板が本体とベルトで繋がれている、昔ながらの足踏み式の物だ。その黒い胴体には金属のプレートが付いていて、当時の私はてっきり装飾の一部だと思っていたが、(それほどの様式美があった)それこそがそのマークだった。
しかし、天板には大きくコロムビアのロゴがあったのだから無理はない。コロムビアがレコードだけでなく、ミシンも作ってるんだ。と、思い込んだ幼い私を、誰が責められるだろう。音響メーカーのビクターが、その技術を生かして"Box in"というシリーズ家具を作っていた事もあるのだから、大人になってからも「そういうものだ」と思っていたのだった。
しかし、その、「疑問」という形にさえならなかった遠い記憶に、突然答えを突き付けられてしまった。幾重もの記憶の奥底に埋もれていたものが、いきなり掘り起こされてしまったのだから……。

私の中で、なにか記憶の入れ違いがあったのだろうか。(「エジソン」で検索してもミシンは出て来ないし、「ミシン」でググってもエジソンの「エ」の字も出て来ない……。もちろん「コロムビア」でも)
これはあくまでも私の勝手な推測なのだけれど、きっと音響機器製造のノウハウを生かしたコロムビアが土台(パタパタ畳むと、かなりコンパクトになる頑丈なものだった)を造り、エジソン社製の本体を組み込んだ、ほんのいっときのコラボレーションだったのでは?そんな仮説を立てている。

とっくの昔に処分してしまったミシンである。実家で聞いたって、きっとメーカーなんて覚えてないだろう。そんなことに引っ掛かっていたのは、多分私だけだ。
それにしても、この真相が明らかにされる事はあるのだろうか……。

wakuraba.jpg 

  

   
 
「わくら葉」。
 漢字にすると嫌だけど、
 言葉の響きは好き。
 
 
 

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