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2005/03/29

鏡に映る顔

街中を歩いていて、いきなり鏡があると驚かされる。
何に驚くかといえば、そこに映った自分の顔にだ。

無防備でいるところに、不意にボケッとした顔を見せつけられると、かなり傷付く。
どうやら自宅で洗面台の鏡を見る時には、無意識に自分の一番良い顔を作っているらしい。(そうでなければ、このギャップを説明出来ない)

鏡ならまだいい。家電売り場などでは、ディスプレーされているテレビ画面に、いきなり自分の姿が映ったりして、本当に失礼な話だ。(変なヤツと思ったら自分だったりする)
この角度からは撮らないで!というアングルがあるというのに……。

リアルタイムのそれは、まだ取り返しがつく。
が、困るのはスナップ写真だ。
若い時でも、10枚撮ればその内の1枚は許せない写真があったものだけど、(「この顔変!」と言ったら、「いつものオマエだよ」と言われたという笑えない話も聞く)最近の私は、10枚中1枚でも許せる顔があればラッキーという体たらく。
歳と共に、随分キャパシティーが広がった筈なのに……。

そして、ド近眼の私には、もう一つドキッとするものがある。
間に洗面台を挟んでいる洗面所では、眼鏡を外した顔など普段ぼやけて見えない。
しかし、入浴中ふいに間近でお風呂場の鏡を覗いたりすると、そこに何処かで見たような顔があってビックリするのだ。

そういえば、最近父親に似てきたような気がする……。

3_25musukari
 
 
 
おととし植えた時には
指先ほどの大きさだったのに。
ムスカリさん、
球根はみ出てますよ。
 
 

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2005/03/26

幸せの味わい

3_12bioraなみなみとお湯をたたえた湯舟に、ゆったりと足を伸ばして、肩まで浸かるように……。

そんな風に、幸せを味わえたらいいなぁ、と思う。何も考えずに、幸せに全身を浸して……。

溢れるお湯がもったいなくて、洗面器や手桶に移してからでないと浸かれない私には、出来そうもないけれど。

それでも、ささやかな幸せならしみじみと味わう事ができる。
しかし、一定のレベルを超えると、とたんに浮き足立ってしまう。

私にも、たまにそんな「身に余る幸せ」がいらして下さる時がある。けれど、そうするとこちらの方がどうも落ち着かなくなってしまう。お茶の一つでも……。などと気を遣うから、当然あちらも居心地が悪いらしく、さっさと出ていかれる。

その点、幸せの扱いに慣れていらっしゃる方は、テレビのCMのように、ドアを開けたら藤原紀香さん。でも、「あ、いたの?」ってなもんで、鷹揚に構えていられるのではないだろうか。そうなれば紀香さんだって長居をしようというものだ。

私はまるで、めったにないご褒美をもらった子供のよう。あっちこっちひっくり返して、ためつすがめつ眺めるものだから、結局落としたり、どこかにぶつけたりして、自分から壊してしまう。

それを得る為に、努力するまでは出来るのだけれど……。
必死に努力して、やっと手に入れても、それを「当然の報酬」としてゆっくり味わう事が出来ない。

ただ、素直にその時を味わうだけでいいのに……。
どうしてそれが、こんなにも難しいのだろう。

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2005/03/23

たえて桜の

03_3_31世の中に たえて桜のなかりせば
春の心は のどけからまし

平安の歌人、藤原業平が詠んだという有名なこの歌。
毎年この時期になると、実感として思い出される。

膨らんできた蕾に、今か今かと胸ふくらませ、咲けば咲いたで、いつ満開になるのだろうと気を揉む。
そして満開になれば、今度は吹く風や雨に散ってしまわないかとハラハラして……。

だったら、気にしなければいいのに。
でも、とてもそんな呑気に構えてなんかいられない。
和歌にうとい私でも、この歌だけは聞いた瞬間に心にハマってしまった。もう、時空を超えて、その心と同化してしまう。

お花見には行きたいし、せっかく行くのなら満開の桜の中で……。
そうなれば、週間天気予報もチェックしなければならないし、スケジュール調整にも熱が入る。

桜の花芽は寒さに遇って、初めて休眠から目覚めるのだと言う。
気象庁のはじめの開花予想では、昨年の12月が暖かだったせいで、その休眠打破が遅れたそうだ。だから今年は開花が遅いと言っていたのに……。
3回目の予想は、うって変わって「早い」だって。

郊外のせいか、毎年ウチの方は都心の開花より少し遅れがち。(つか、都心が早すぎ)
おととしは同時に咲いてくれたけれど、都心の開花宣言の後、花冷えが続いた去年はやはり遅れてしまった。
しかし、それと比べても今年はちょっと遅いと感じている。

いったい、気象庁は何をもって「早い」と判断したのだろうか……。
完璧に業平モードになっている私は、今年も蕾の成長から目が離せない。

・・・ホント、疲れるわぁ……。
 
sakuratayori05
 
ホームページmy gardenのコーナーで
今年も「桜の便り」
始めました。
イラストブース
 
 

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2005/03/21

トウが立つ

319habotanその美しい葉色で、冬のあいだ目を楽しませてくれた葉牡丹も、そろそろトウが立ち始めた。

「トウが立つ」という言葉の意味は、「野菜等の花茎が伸びて硬くなり、食べ頃を過ぎる」という事。

アブラ菜科の植物は、春になると花茎が伸びて、菜の花の様な花を咲かせる。
その風情も好きなので、私はそのまま咲かせたりするけれど、野菜だったら確かに味が落ちるのだろう。(フキノトウも茎が硬くなる前が食べ頃なのだろうし)

野菜の事だったらいいんだけれど、大概の場合女性を揶揄する時に使われている。
「食べ頃を過ぎる=年頃が過ぎる」
しかし、それは「茎が伸びて硬くなる=自立する」という事でもある。

花嫁衣装の白無垢も、「何色にでも染まります」の意味が込められている訳だし、(ウェディングドレスも白なのが暗示的)どうも女性は、自我を持つ事を疎んじられるようだ。

しかし、人それぞれ人生を生き抜いてくれば、それなりの自我は目覚めるのが当然だろう。
「あなた好みの女になりたい」なんて言ってくれたのは「恋の奴隷」を歌った奥村チヨさんが最後ではあるまいか。

確かに男にとっては、その方が御しやすく感じてしまうけれど、それで安心は出来ない。
大体、一人の人間として自立していてくれなければ、その全存在を支えなければならない。頼られる方が、余っぽどの人物でなければ、共倒れしてしまうだろう。(私なんぞは押し潰されそう)
もしくは、ツル性植物のようにがんじがらめに縛られてしまう。

昔は、「黙ってオレについて来い」で済んでいた。しかし、威張っている旦那さんでさえ、その父親である家長には逆らえなかったし、その家長は代々続く「家」の掟に従っていただけ。そして、誰しもお上には絶対服従だった。(オイコラ警官という言葉があったくらいなのだから。そして当然、その警官にも上司がいた)

人権なんて考えがそもそも無かったのだから。
誰も皆「社会」に隷属していただけだ。

考えてみれば、そっちの方がずぅ〜っと大変な気がするんだけど……。
 
tougatatu
 
 
 
葉牡丹の花。
それは、
ほとんど菜の花と同じ。
 
 

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2005/03/18

誕生日検診

とうとう行って来ました誕生日検診。2月7日付バリウムでも書いたように、胃ガン検診は早めに済ませたんだけど、基本健康審査の方は放ったらかしたままだった。

誕生日を挟んだ2ヶ月の間に、7回程予備日があった。その中で都合の良い日に行けばいいだけだったのに。
バリウムを飲むのは、前日から注意事項がいろいろあって面倒臭いけれど、受けてさえしまえばこっちのものだ。(お陰様で異常なしでございました)でも、こっちの方はどうしても行くのがおっくうだった。

受付は昼からだし、行けばいいだけだし、よっぽどラクな筈なんだけど……。どうも血液検査は気が重くて。
血液を調べると、かなりな事までわかっちゃうし、なんかヤバい事が発覚しそうで。(とりあえず、臭いものにはフタをするのがワタクシ流)
しかし、もうあと2日しか予備日がない。そこまで追い詰められて、やっと観念したのだった。

最初に受けた検査は尿検査。
他の検査を受けている間に結果がわかってしまうのにはビックリ。で、結果はタンパクも糖も潜血もなくて、一安心。(実は、これも心配だったの)

そのあと心電図を測ってから、いよいよ例の血液検査。注射針にセットされた、小さな試験管に血液が採取されるわけだけど。二の腕を縛って血管を浮き上がらせているのだから、勢い良く鮮血が試験管の中へ……。の筈なのに、そのわりには赤黒いような気もして。あぁ、心配はつのるばかり。

そんな不安を抱えながらも、最後に胸部のレントゲンを撮ればおしまい。結果は3〜4週間後に郵送されるという。

あれ程イヤだった基本検診。それだけに、終わってしまえばやはりホッとする。ひと月以上も、ずぅっと頭に張り付いていた懸案が、済ませられただけでも嬉しく、身も心も軽くなったよう。(その前には確定申告も滑り込みで済ませたしぃ)

これで結果が異常無しだったら、何も言う事はないんだけれど……。

そのあかつきには、白鳥麗子よろしく「オ〜ッホッホ!よくってヨ〜」と、雄叫びをあげたい。今は、ひたすらそれを願っている。

(もし、何かあっても書かないから、その時はヨロシク!)

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2005/03/15

利休色

利休色、利休鼠、利休茶、利休白茶、これはどれも色の名前。
(どの色にもちゃんと規格があって、RGB値が決められている)
そして利休と言えば、言わずと知れたあの、茶の湯の千利休のこと。

「利休」の名が付くだけあって、どの色も抹茶色を感じさせる色だ。
ちなみに、利休鼠(りきゅうねずみ)は緑色がかった鼠色。
江戸時代に愛好されたり、明治時代にも流行したというだけあって、ご存知の方も多いと思う。


子供の頃、「図工」の時間に絵の具を混ぜていた時のこと。黄色と黒を混ぜたら、とてもイヤな色になって驚いたことがある。どんな色でもそれに黒を混ぜると、たいてい深く落ち着いた色になる。出来上がりの色も、混ぜる前から大体想像がつくものだけれど……。

しかし、黄色だけは違う。

混ぜた筈のない緑色を感じたりして、神経を逆撫でるというか、とても落ち着かない色になる。間違って混ざったりすると、「しまった!」と思うほどで、それは生理的嫌悪感に近かった。

でも、それも混ぜる黒が70%辺りになると、うって変わって落ち着いたシブい色味になる。
そしてそれは、利休色にとてもよく似ていて、「特別な色」と言ってもいいくらい。

先に挙げた色名は、後世の人が抹茶色にからめて付けた名らしい。けれど、利休がこの色を好んだというのだけは、本当だと思う。


人は、成長と共に色々な味覚を認知し、その美味しさを知っていくのだそうだ。その中でも、「苦味」は一番最後に理解出来るのだという。(大人になって味わう、ビールの苦味はこたえられません)
今回、試しに黄色から黒へのグラデーションを作ってみたのだけれど、子供の頃に感じたほどには、嫌な印象を持たなかった。

案外それは、この色味が味覚で言う「苦味」だからなのかもしれない。

あまりに鋭い美意識のために、秀吉から切腹を命ぜられたほどの千利休。
「苦い」と感じるほどの、この色のうつろいの中に、絶妙な刹那の美を見い出した利休という人の感性。
その感性に、改めて想いを馳せてしまう。
 
rikyuu rikyu
左が、黄色から黄+黒70%への
グラデーション。
右が、利休色。値は#5D4F25

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2005/03/13

貸本屋さん

それはもう、記憶から欠落していたけれど、「少年マガジン」等の漫画雑誌隆盛の前に、確かに貸本屋さんの時代があった。

その頃、本屋さんは電車かバスで行く大きな街にしかなくて、私が住んでいた町にはなかった。でも、貸本屋さんならあった。今はやりの「懐かしの」昭和30年代の町並みにあるように、当たり前のようにそこにあった。

土間の壁一面の本棚から好きな本を選び、帳場にちょこんと座っているおばちゃんに渡す。そして、登録してある自分の名前を書いて、借りてくる。ちょうど図書館と同じシステムだ。
そこにあった漫画本もハードカバーで、貸し出される事を前提に、丈夫に作られていた。なかには「読者の声」のコーナーがあるシリーズ本もあったりして、「0号の何々が面白かった」なんて投書が載っていたのだから、いかに貸し本のルートが確立していたかがわかる。

私が少し大きくなった頃、バス通りに新しい本屋さんができた。(そこで、私と漫画雑誌とのお付き合いが始まるのだけれど)ただ、最初は駅の売店のスタンド売りのように、新刊の雑誌はごく一部で、大部分は貸し本だった。(書店として経営が成り立つかどうか、様子を見ていたのだろう)
そこは、今までのように名前ではなくて、登録すると番号が割り振られた。(自分の番号が106番だったのを思い出してしまった!)IPアドレスのようなもんだろうか。

その新しいお店ができた頃、昔からあった例の貸本屋さんが店じまいすることになった。
在庫一斉処分ということで、本棚にある漫画本を安く売ってくれるという。
何冊か選び、おばちゃんの所に持って行くと、「これが00円だなんて……。新品だから得よ」と、悔しさと諦めが混じったような、複雑な目で私を見て言った。それは、いつものやさしい顔ではなくて、自分が何か悪い事をしてしまったような気にさせられた。
もしかしたら、それは私が初めて見た「大人が本心を見せた時の顔」だったのかもしれない。

一方、新しくできたお店の方もだんだんに新刊の本が増えていき、いつの間にか普通の本屋さんになっていった。それにつれて私の方も、漫画本は買うのが当たり前になっていく……。

そして、大人になってその前を通っても、昔そこが貸本屋さんだった事など、記憶の底に沈んでしまったのだった。
(昔の事って、どうしてこう、思い出すと切なくなるのだろう……)

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2005/03/11

少年マガジン

前回、『少年マガジン』から始まった、私の漫画遍歴を書いたけれど。
なぜ、10代の終わり頃から少女漫画に移行したのか考えてみた。
そして、思い出した事があった。

高度経済成長まっさかりのあの頃。定価50円の時代がけっこう長く続いたんだけれど。それが60円になり、70円になったあたりから、どんどん値上がりしていく……。そして、それにつれて読者の対象年齢もどんどん上がっていった。

当時の連載漫画『丸出だめ夫』は小学生だったし、『ハリスの旋風』の石田国松は中学生。それが、『巨人の星』の飛雄馬が小学生から大人になるように、大人を主人公にした作品がどんどん増えていった。さらに、革新的な問題作も次々発表されて……。こちらとしては、自分の成長とともに内容が高度になっていくのだから文句は無い。夢中になる訳だ。

しかし、いつからか「あれ?」と思うようになった。
時は「サイケデリック」全盛の頃。「イラスト」なんて言葉も、その頃から言われ出した。『少年マガジン』の表紙も、横尾忠則さんのイラストになったりして、完全に「大人」の鑑賞に耐える内容になっていた。そうなるともう、「少年」と言うには無理が出て来るし、それは単なる冠でしかなくなっていった。

「このまま、大人向けになっちゃっていいの?」一読者でさえそう感じるのだから、出版社側も対応策を考えていたのだろう。小学校低学年向けの『テレビマガジン』を創刊したり、青年向けの『ヤングマガジン』が創刊されたり……。『少年マガジン』自体も、軌道修正が始まったように感じた。

でも、今さら子供向けの漫画を読んでも夢中になれないし、かといってミョ〜に色っぽい、大人向けのコミックにも惹かれないし……。そうなると、自分が夢中になっていたのは、やはり「少年」の冠だった事に気付いた。(同時に、自分がもはや「少年」ではない事にも……)そして、少年漫画がそんな変換期を迎えた頃、急に「醒めて」しまった。

だからこそ、当時少女漫画にまだ残っていた、古き良き時代の臭いを感じたのだと思う。
あるいはまた、少女漫画のカオスをも飲み込む、度量の広さに惹かれていったのかもしれない。

それはもう、漫画がコミックへと成熟するための、時代の必然だったような気がする。
そして、それは対象年代別にキチンと住み分けがなされている、今のコミック雑誌を見てもそう思う。
 
magajinn1 magajin2
 
ホームページの方で既出の画像ですが。
左から、1964年1号定価は40円。
同年45号定価50円。特集は「東京オリンピック」なのが泣けます。

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2005/03/09

漫画少年

文学青年ではなかった私も、漫画少年ではあった。

さすがの私も、あの月刊『漫画少年』は読んだ事はない。
けれど、長兄が光文社の月刊『少年』を読んでいたのは覚えている。

その当時の私は幼くて文字が読めなかったのだろう、連載されていた『鉄腕アトム』や『鉄人28号』を「眺め」ていた記憶がある。それは、なにか「お兄さん」が読む本のようで、ちょっとした憧れでもあった。

実際に自分が読みだしたのは、『8マン』が連載されていた頃の『少年マガジン』から。50円玉を握りしめて本屋さんに通い、『紫電改のタカ』や『黒い秘密兵器』等、当時連載されていた漫画を夢中で読んだものだった。

ちばてつやさんの漫画で言えば、『紫電改の〜』から、『ハリスの旋風』『オレは鉄兵』を経て、『あしたのジョ−』の前半あたりまで。その間には、あの『巨人の星』もございました。
さらに、後発の『少年ジャンプ』も創刊号から。(最初は2週間に1度の隔週刊だったから、なんとかお小遣いで買えた)

また、今では少女漫画を男の子が読むのも珍しくなくなったけれど、その当時から『少女フレンド』もチェックしておりました。楳図かずおさんの『ママがこわい』から、『まだらの少女』『べにぐも』あたりまで。

その後、成長するにつれ増してきた財力にものを言わせ、『花とゆめ』は創刊号からの読者。あと、『別マ』も読んでいて……。(漫画好きの間では、『別マ』を読むのが一種の流行だった)考えてみれば、その頃がピークだったような。(『ポーの一族』に心酔してたのはその頃)

今は「コミック雑誌」の方が通りがいいようだけれど、私の頃はまだまだ「漫画雑誌」と呼ばれていた。そして、これだけお付き合いが古いと、数々の名作の連載開始にもけっこう遭遇している。
あの『ガラスの仮面』もそうだけれど、『少女フレンド』派の私が、なぜか『マーガレット』の『ベルサイユのバラ』の初回を読んでるのも不思議。(最初っからカラーページだったのは、さすがでございます)

そうやって、一時少女漫画に移行したかに見えた私の漫画遍歴も、『Dr.スランプ』が始まった頃には『少年ジャンプ』に戻ってたりして……。

それが細々と続いていたのだけれど。
いつしかそれも、程なく終焉を迎えたのでありました。(と・お・い・目)
 
magjin3
 
 
 
1966年 5月15日特大号 定価70円
表紙は『ハリスの旋風』
この号から『巨人の星』の連載が始まった。
 
 

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2005/03/03

読めるけど書けない

「座右の書は?」と問われれば、私は迷わずに「辞書」と答えるだろう。

実は、私は漢字が書けない。だから、文章を書く時は辞書が手放せないのだ。
あ、でも読むのはできるのでご安心を……。

前に、漢字変換する時は「手書きの時にも、漢字にするかな?」を基準にしていると書いたけれど、それは「辞書を引いてまで漢字にするかな?」と言う意味。

見た目で「こんなカンジ?」(シャレではない)と、アバウトに覚えちゃってるし。電卓に頼っていると簡単な計算でも億劫になるように、辞書を引くのが習慣になっていると、ますます書けなくなってくる。(何も考えずに、書き写しちゃうから)特に最近ではパソコンで済ませてしまうし、もう考えるだに恐ろしい。

地名とか人名とか、よっぽど珍しい字でなければ読めるのに、(はなから読みを間違えて覚えてる事もあるけど )書く段になると小・中学生程度でも怪しい。
たとえば、「貧乏」の貧と「貪欲」の貪なんて、どっちがどうだか。その他、「粉」と「紛」とか、挙げたらきりがない。(だって、「粉飾決算」が「粉」だったりして「紛」らわしいんだもの)

早くから、それを自覚していた私がとった自衛手段は、漢字の書取り。漢字の問題集を買って来て、書取りを始めたのは20代の終わりの頃。それからは、忘れた頃を見計らって2〜3年毎にやっている。(大人になってから覚えた事って、しばらくすると忘れてしまうのが悲しい)
最近でも、それをしたのは一年ほど前なんだけど。はたして今、どれくらい覚えているのやら……。

こんな事を書くとおバカさんと思われそうだけど。(はい、反論はいたしません)
いったい、私は学校で何をしていたのだろう……。
 
kannji1
 
 
 
これが、その問題集。
お世話になっております。
 
 

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