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2005/03/26

幸せの味わい

3_12bioraなみなみとお湯をたたえた湯舟に、ゆったりと足を伸ばして、肩まで浸かるように……。

そんな風に、幸せを味わえたらいいなぁ、と思う。何も考えずに、幸せに全身を浸して……。

溢れるお湯がもったいなくて、洗面器や手桶に移してからでないと浸かれない私には、出来そうもないけれど。

それでも、ささやかな幸せならしみじみと味わう事ができる。
しかし、一定のレベルを超えると、とたんに浮き足立ってしまう。

私にも、たまにそんな「身に余る幸せ」がいらして下さる時がある。けれど、そうするとこちらの方がどうも落ち着かなくなってしまう。お茶の一つでも……。などと気を遣うから、当然あちらも居心地が悪いらしく、さっさと出ていかれる。

その点、幸せの扱いに慣れていらっしゃる方は、テレビのCMのように、ドアを開けたら藤原紀香さん。でも、「あ、いたの?」ってなもんで、鷹揚に構えていられるのではないだろうか。そうなれば紀香さんだって長居をしようというものだ。

私はまるで、めったにないご褒美をもらった子供のよう。あっちこっちひっくり返して、ためつすがめつ眺めるものだから、結局落としたり、どこかにぶつけたりして、自分から壊してしまう。

それを得る為に、努力するまでは出来るのだけれど……。
必死に努力して、やっと手に入れても、それを「当然の報酬」としてゆっくり味わう事が出来ない。

ただ、素直にその時を味わうだけでいいのに……。
どうしてそれが、こんなにも難しいのだろう。

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コメント

ん、そういう感覚、私も同じです。
良いこと続きのときほど、辛いことが起きたときに少しでも耐えやすいよう心のどこかで身構えている性格がいけないのか、大きなたっぷりの幸せに慣れていないからどう向き合っていいのかわからなくておたおたしてしまうのか…?
せっかくだもの、余計なこと考えずに、ただただ幸せにどっぷり浸れたらいいのにって思います。
(実際は「幸せすぎて怖い」という感覚はもったこと、…ないです)

投稿: ポージィ | 2005/03/28 21:33

>ポージィさん
>良いこと続きのときほど、辛いことが起きたときに少しでも耐えやすいよう

「好事魔多し。」って言いますよね。
浮かれていると、何か辛いことが起きた時、立ち直れなくなりそうで…。
どうしても身構えちゃいます。
「これは何かの間違いだ。」と思っていた方が、夢から覚めた時ショックが少なそうで…。
どうもハイリスク・ハイリターンは性に合わないようです。(^^;)

>どう向き合っていいのかわからなくておたおたしてしまうのか…?

自分は「幸せの貧乏性」だと思ってたんですけど。(笑)
やっぱりみんなそうなんでしょうか。
ポージィさんでさえ、おたおたしてしまうのだったら、自分は・・・
想像するのが怖いです。(^^;)

投稿: nanbu | 2005/03/29 08:29

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