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2005/05/29

縦絞り

5_28tutuji私は、よほど呑気な子供時代を過ごしていたらしい。
だって、大人になって初めて気がつく事だらけなんだから。

まぁ、それは現在進行形でもあるんだけど。

その筆頭は、なんといっても雑巾の縦絞りだろう。
ゾウキンを横に持って絞るのは間違いだと知ったのも、大人になってからだ。

なんでも、剣道の竹刀を持つ時のように、縦に持って絞るのが正しいのだとか。
確かにそんな絞り方を見た覚えはある。
けれど、絞り方に正しいとか間違いがあるなんて思わなかった。

有名幼稚園の入園試験でも、出題される事があるらしい。
「あんなの、ゾウキンを絞れればイイのよ」と人の噂に聞いたけど、私は騙されない。
「いんにゃ!それはきっと縦絞りの事だ」という疑いを、未だに持っている。

子供の頃、どうしてもゾウキンをきつく絞れなかった。
力一杯絞っても、ビショビショ。
どうやら、それは絞り方にも問題があったのだろう。

しかし、縦絞りだと向う側になる腕がどうしても濡れやすくなる。
袖をまくれば済むんだけれど、冬の大掃除とか寒い時期には、なるべくまくるのを少なくしたい。
腕も、あんまり濡らしたくない。

だから、めんどくさがり屋の私は、寒い時には未だに横絞り。

しかしそれは、万事私の「ツメの甘さ」に通じているのかもしれない。
自分では精一杯やっているつもりでも、案外横絞りしかしていなかったりして。

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2005/05/26

プチ不運

5_20bellバターを塗ったトーストを落としてしまう。
そんな時は、きまってバターを付けた方が下になって落ちる。

それが逆だったら、ホコリを落とすだけで食べられるし(マネはなさらないように)、床を拭くのも簡単なのに……。

どうも私は運が悪い。
まぁそれは、別に大騒ぎするほどの運の悪さではないんだけれど。
「プチ不運」とでもいった感じだろうか。

初めて乗る駅のホームなんかでも、階段を下りている時に発車のベルがなる。
それが目的地行きの電車なのか、逆方向なのか判断しているヒマはない。
「えぇい、ままよ!」と乗ってしまうと、きまって反対方向だし、見送ればそれが目的の電車だったりする。

本で探し物をしていても、前からページを繰っても見つからない。
諦めて後ろから探しだすと、結局中程にあったり。
(それに懲りて最初から初志貫徹していると、最後の方なのは言うまでもない)

そんなだから以前同僚に、「うん。確かにちょっと運が悪いよね」と、お墨付きをもらった事まである。


ただ、普段運が悪い分、ここぞという時には救われていたような気もする。
ちょこちょこ貯金していた運で、大きな不運から逃れられているのなら、それもまた良しと思っていた。

しかしそれも、良い子だった若い頃までのお話。
大人になって自我に目覚めてからは、トンと見放されているようで、しっかり大きな不運もやって来るようになった。

なのにプチ不運は昔のまま。

「運も実力のうち」とはよく言われるけれど。
これくらいが、私の人徳にはふさわしいのだろうか。

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2005/05/23

家電品の買い換え

この間、FAXを買い換えた事を書いたけれど、家電品はいつかは壊れる。

耐久消費財というのは、長期の使用に耐える消費材の事。
家電品もその中に入っているから、長く使えると思ってしまうんだけど。

でも、保証期間は大体1年から長いもので5年くらい。
しかし、5年って長いと言えるのだろうか?

うまくしたもので、保証期間中に壊れる事はめったにない。
けれど、期限が過ぎると途端に機嫌が悪くなるのはどうしてだろう。

たしかおととしは仕事部屋のエアコンが壊れた。
冷蔵庫とかコンプレッサーものが壊れると、修理代がバカにならずに結局買い換えるハメになる。
どれも安いものではないし、無いと困るしで本当に辛い。

今の住まいに越して来てから十数年になるけれど、その間に冷蔵庫、寝室のエアコンがダメになった。仕方なく買い換えたけれど、重なる時は重なるもので、そんな時は泣きたくなる。

昔の電気製品は、こんなに早く壊れなかったと思うんだけど。
結婚した時に買ったテレビや洗濯機は長持ちしてくれた。(冷蔵庫と乾燥機は家内が使っていたのを使い続けたし)カッコイイ新製品が出る度に、「壊れてくれれば新しいものが買えるんだけどな」なんてバチ当たりな事を考えたくらいだったのに……。

そのバチが当たったのか、引っ越しを機に買い換えた洗濯機は何年か前に壊れてしまった。
そして、同じ時に買い換えた乾燥機も最近怪しくなった。乾燥の途中でドラムが「グガガガ・・・」と物凄い音を立てるようになって、その度に扉を開けてやり直さなければならない。

いくら古くても、頑丈だった昔の乾燥機を処分したのが今更ながらに悔やまれる。

バブルに踊らされて買い換えたものを、不景気になってからまたせっせと買い換える。
あの時のツケは、不良債券だけではなかったらしい。
 
5_22somei_mi
 
 
 
三日見ぬ間の桜かな
は、花だけではないようで。
さくらんぼが
もうこんなに色付きました。

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2005/05/20

触らぬ神の「お座布団」

私はお作法の本を読むのがワリと好きである。

なんか、自分がお上品になった様な気がして心地良い。
「あ、ソレ錯覚」などと夢を壊すような事はおっしゃらないように……。

ただ、それはあくまでも本で得た知識。
実践しなければ身に付かない。

当然、そんな経験をする機会などないから、すぐに忘れる。
忘れるから、何度でも新鮮に読める。の悪循環に陥っている。
(この連鎖を断ち切る術はないものだろうか)


ところで和室の場合、「畳のヘリを踏んではいけない」とか色々あるけれど、どうしても覚えられないのが「お座布団」の使い方。

なんでも、ご挨拶が済むまでは勧められても座ってはいけないという。
(混乱するから、どうか勧めないで!)
ちょっと下座の方にズレて座るのだとか。

いざあてる時も、膝を上げ座布団を引き寄せてから座るそうで。
その後両手をついて、膝で右、左と膝行(ウンニウンニと?)するか、すぅっと一気に座るとある。(ややアクロバチックな気もいたしますが)

最近読んだものには、「勧められてから」「ご挨拶の時は外す。(ってことは、とりあえず勧められたら座ってもイイのね?)」の他に、「踏まない」「動かさない」の原則を守ればOKとあって、だいぶ気がラクになった。

ただ、そこまでいくとチョット「触らぬ神にたたりなし」っぽい。
まぁ、最近は和室に通される事も少ないし、しばらくすれば忘れちゃうんだけどサ……。
 
5_20somei_mi
 
 
 
結実しないと言われる染井吉野も、
ごくまれにサクランボがなる事があります。
ただし、渋くて食べられません。
 

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2005/05/17

タイトな時代

5_13bara最近、巷でよく見かける100円ショップでは、「え!これが?」というようなものまで100円で買える。
中には「まぁ、そんなもんでしょ」というのもあるけれど、大半の商品はその安さに驚かされる。

どうせなら安い方がいいし、お客さんが引きも切らない。

だけど材料費や手間賃を考えると、信じられないようなその安さ。
そんな物に囲まれていると、それを作った人達、その値段で納品した人達の想いが、漂ってそうな気さえする。

もちろん商談が成立しての事なのだろうけれど、誰かが無理に安く引き受けてしまったら、他もそれに合わせざるを得ない。そして、そうなるとそれが全体の「相場」になって、「当たり前」になってしまう。

確かに、消費者にしてみれば安いに越した事はないけれど、その消費者だって、自分や家族が何らかの「生産者」や「供給者」である事が多い。
安いのが当然の事になってしまえば、いずれその波は、自分が携わっている業界にまで及んでくるのではないだろうか。

安くて良いものを提供する努力はされるべきだし、その競争がないと殿様商売になってしまいがち。
けれど、それが過当競争になって共倒れ、なんて事になったら困る。

必死になって薄利多売し、だから必死になって安いものを探す。
物も時間も無駄を省いて、すべてがタイトになっていく。

何か、世の中すべてが100円ショップになってしまったようで、ちょっと世知辛い。

安さではあがなえない「何か」。
余裕があったら、そんな付加価値を見つけられそうなんだけど……。

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2005/05/14

壊れたカメラ

5_13erigeronいつもブログに載せている写真はデジカメで撮ったもの。スキャンする手間がいらないし、撮ってすぐ使えるのはありがたい。

1万数千円程度の安価なカメラだけれど、10cm位まで接写できるので重宝していた。

ところが、先日いきなりパソコンに取り込めなくなってしまった。

カメラが悪いのか、パソコンが悪いのか。ドライバをインストールし直してもダメ。
困った。これでは明日から写真がUPできない!

仕方なく販売店に修理を依頼したら、費用は1万円程度からと言われてしまった。
「1万数千円のカメラを直すのに、1万円もかかるなんて……」

店員さんに愚痴を言ったら、待ってましたとばかりに「最近のカメラはお安くなっているので、買い替えた方がお得ですよ」とのたまう。
しかも「今ならどんなカメラも3,000円で下取りします」とのこと。

っうん!お上手。

なんか乗せられてるようで、釈然としないながらもショーケースを覗いてみた。
すると、2万円以下で3倍ズーム、接写も6cmからというカメラがあった。
しかも、小さいながら液晶画面までついている。(実は、コレに憧れてたの)

今までのカメラは120万画素でも別段不自由は感じていなかった。
それが驚いた事に、400万画素ですと!

・・・おあつらえむきに、手には壊れたカメラまである。

20,000円-3,000円=17,000円
これでは前のカメラと大して変わらないではないか!

壊れたカメラを手に携え、暗たんたる思いでお店に向かったあの日……。
イソイソと新しいカメラを提げて帰った私を誰が責められるだろうか。

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2005/05/11

ねぶり箸

tutuji3食生活の洋風化で、ナイフやフォークなどのカトラリーが一般的になった。
しかし、まだまだお箸は大活躍している。(日本人ですもの)

このお箸だけれど、お作法の本を読んだりすると、なかなか使い方が難しい。
まず、右手で箸を取る。次に左手で下から箸を受ける。そして右手で正しく持ち直す。

いきなり右手で正しく持つほうが難しいから、そんなものだろう。と、思ってたんだけど、自分でやってみたらダイレクトにできてしまった!(体が覚えているのだろうか?)
無意識にしている動作だから、普段自分がどんな取り方をしているのかと思うと、恐ろしい。

ただし和食の場合、茶碗やお腕を持ちながら食べる事が多い。
その時は、先に箸を持つのはガッツいているようで、お下品なのだとか。つまり、器を持った後で箸を持たなければならない。

何でも応用編は難しくなるものだけれど、そんな器用な事が…。と思ったら、それもやってみるとできるものだ。まぁ、そこまでの作法を要求されるような場面には遭遇しないだろうから、やってみただけなんだけど……。

ただ、普段から気をつけていないと、いざという時がアブナイ。
箸と箸で受け渡しするようなタブーはしなくても、(これをしたら周りの空気が凍ってしまう)ついついやってしまうのが「ねぶり箸」。箸を口でなめたり、吸ちゃう事。(だって、他のと味が混ざっちゃいそうで……)
昔から「箸先五分、長くて一寸」と言われているそうで、1.5〜3cmのところまでしか汚してはいけないという。しかし、これは難しい。私など、5cmは使っているのではないだろうか。

笑ってしまったのが、話に興がのった時、箸を指揮棒のように振り回す「振り上げ箸」。(情景が目に浮かびます)その他、「迷い箸」や、器を箸で寄せる「寄せ箸」。分っちゃいるんだけど、どれも普段やってそうで耳が痛い。

しかし、これではお里が知れてしまう。
せめて、人と食事をする時くらいは気をつけなければ。

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2005/05/08

テキスト入力

501montanaキーボードを叩いてテキストを入力する。
何気なくしているけれど、こんな事ができるようになったのはほんの数年前からだ。

私の短い会社員時代には、OA機器もモノクロのコピー機くらいだった。(FAXさえ無かったような気がする)
会社と言ってもデザインプロダクションだったから、社員はデザイナーとコピーライターと事務の人くらい。その「コピーライターの人達が、ワープロを使いだした」と、風の便りに聞いたのは、私が退社した後の事だった。

自分で使いだしたのも、それから随分後になって。ワープロと言っても、液晶画面が10文字程度の安価な物で、たまに自治会のプリントを印刷するくらい。
当然、テキスト入力も人指し指一本。「カチャチャチャ……」とキーボードを操る人達を、不思議な光景のように見ていた。そしてそれは、パソコンを使うようになっても変わらなかった。

そんなだから、販売店が設けていた簡単な講座を受講した時は大変だった。
丁寧に教えてくれるから、ソフトの操作自体は私でもできた。しかし、問題はテキスト入力だ。

「さあ、それじゃあファイルに名前を付けて保存しましょう!」先生の声に、周りから一斉に「カチャチャチャ……」とキーボードを叩く音がする。それはファイルの名前だったり、フォルダの名前だったり。その度に、人指し指でキーを探している私は置いて行かれるのだった。(あの時、途中からうつろな目でセンセイに全てを委ねていたあの方は、今頃どうなさっているのだろう……)

あまりの事に、一度兄に聞いた事がある。「どうしてキーボード操作ができるようになったの?」
その答えは「会社で使っているうちに何となく……」だった。
やはり、会社で覚えるのが一番らしい。自営業の私には、最初からハンデが大き過ぎた。

そこで考えたのが、知っている歌の歌詞を入力するという手。
原稿を見ながらだと、視点が定まらなくてちっとも進まない。でも、歌詞だったら入力だけに専念できる。さらに、寝床の中でもイメージトレーニングができる。(腱鞘炎になりそうだったけど)

そうやって、涙ぐましい努力の末に、少しづつキーボードを見ずに入力できるようになっていった。
今でも「ー」は間違えたりするけれど、このブログの文章くらいならなんとか。

他の人にとっては当たり前の事。
でも、以前の自分を思うと、こんな事が素直に嬉しい。

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2005/05/05

サマータイム

ajisai夏は英語でsummer。当たり前である。
でも、ここ数年「本当にそうなのだろうか?」と思い始めている。
日本の夏と、あちらのsummerとは全く別物なのではないかと。

ちなみにアジサイの花は、日本では梅雨の頃ひっそりと咲くウェットな印象。
けれど、イギリスなどでは夏中咲き続ける明るいイメージだとか。

それを何かで読んだ時に、驚くと同時に疑問が湧いてきた。

晩秋から初冬のころ、通常より暖かい日和が続くことを「小春日和」というけれど、英語では「Indian summer」と呼ぶ。アメリカンインディアンたちが厳しい冬を向かえる前に、その準備をする貴重な時期なのだという。

もしかしたら、かの地でのsummerというのは、とっても穏やかなイメージではないのだろうか。(あの"SUMMERTIME"も子守唄だし……)
雪に閉ざされた長い冬を乗り越えて、やっと訪れたsummer。
それは、文句無しの季節なのだろう。

関東にしか住んだ事のない私には、「夏」のイメージはジリジリと焼け付くような日射しと、うるさい程のセミの声。ランニングシャツ一枚に、麦わら帽子をかぶった頭からは、ダラダラと滝のような汗が滴り落ちる。(メ○ットしようか?)
そして、部屋中にこもった熱気は暗くなっても収まらず、寝苦しい夜が続く。

昔、日焼けオイルのポスターで、前田美波里さんの背後に描かれていた「summer」の文字。あれが私にとってのsummerである。それは、エキサイティングではあるけれど、強烈な季節。それを充分に楽しめたのは、やはり若かったからだろう。

夏の暑さがこたえるようになった最近の私には、初夏くらいのお日和がちょうどいい。(そう、まさに今)
そんな、ゆったりとした季節。それが、Summerなのかもしれない……。

               ●

今国会で、サマータイム法案が提出されるとか。でも、ちょっと待って欲しい。
生活を「楽しむ」術を知っている国々のサマータイムは、日の長いSummerを堪能するためのもの。
有給休暇を消化することさえままならない日本でそれをしたら、結局サービス残業が増えるだけではないのだろうか……。

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2005/05/03

馬のパン屋さん

05koinobori子供の頃、「チンドン屋さんが来る!」というのはビッグニュースだった。
誰かから、「どこそこにいる」と聞けば、何をおいても飛んで行ったものだ。

何をするわけでもない。ただ、練り歩く後をついて行くだけ。
それでも満足だったのは、これといった娯楽もない日常の中で、いっとき別世界に浸る事ができたからなのだろう。時代劇の衣装をまとった人達を間近で見て、賑やかな演奏を聴くのは、なかなかの高揚感があった。

その頃楽しみだったものでは、紙芝居なんかもそう。
道具一式を、自転車の荷台に括り付けた紙芝居屋さんが来ると、子供達が集まってくる。握りしめた10円玉を差し出して、あんずジャムを付けたウェハースをもらい、それを食べながら観るのだった。

ただ、いつも来てくれるわけではない。
だから、時々行商の人達がやって来るのさえ、楽しみの一つだった。
「富山の薬売り」のオジサンからもらう、オマケの紙風船。そういったものが、本当に嬉しかった。
とにかく、何か「いつもと違う事」に出会いたかったのだ。


そんな中でも、一等賞は「馬のパン屋さん」だろう。
結局2、3回しか来てくれなかったけれど、それだけに一番待ち焦がれていた。

蒸しパンの屋台を引いた白馬は、それはそれは美しくて、幻想的でさえあった。蒸しパン自体はそれほど美味しいものではなかったけれど、その白馬を見られるだけで充分だった。

子供の頃は何でも大きく見えるもの。しかし、それを割り引いて考えても、ポニーではなかったと思う。なにせ、見上げる程の大きさだったのだから。
まだまだ、交通量も多くない時代だったからこそ、そんな大きな馬が住宅街の路地まで来られたのだろう。

綺麗なものや、豪華なものは、テレビでしか見られなかったあの時代。
子供にさえ畏敬の念を抱かせるような、あの神々しい美しさは今でも忘れられない。

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2005/05/01

夏の予行演習

kodemari五月は本当に爽やかな季節だ。
そんな初夏の日々にも、おとといのように真夏を思わせる暑さの日が訪れることがある。(まだ四月だったのに。)

三島由紀夫氏の作品に、そんな日のことを「夏の予行演習」と表現した一節があったけれど。
まさに言い得て妙。
それを読んだ時には、かゆい所を的確にかいてもらった様な快感を覚えた。

華麗で美しい文章は、緻密な彫刻のようで。
理解するのに時間がかかって、気軽に読もうとは思えないけれど。
それだけに、こんなフレーズを見つけると嬉しくなってしまう。


そういえば、裏地が付いた袷(あわせ)の着物を単衣(ひとえ)に替えるのは、六月の「衣替え」から。
そんなうるさい決まりがある着物でも、五月の暑い日には単衣を着て良い事になっている。

それだけ「夏の予行演習」のような日は、特別な日。


若かったあの頃。
そんな日が来ると、私もタンスからいそいそと短パンを引っぱり出して、つかの間の「夏」を楽しんだりしたものだった。

でも、その予行演習は昼間だけ。
夕方になって冷えて来ると、またいつもの格好に戻らなければならない。
かりそめの夏は、はかない白昼夢。

「最初からわかってたよ……」

そうやって穿いていた短パンをしまいながら。
過ぎてゆくうたかたの夏の日を恨めしく思うのだった。

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