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2005/06/28

螢雪時代

昔、近所にまだ本屋さんがなかった頃。
月に一度、講談社の「たのしい一年生」を自転車に乗った本屋さんが届けてくれた。

小学校3・4年の頃だろうか。
配達してくれるのが近くにできた本屋さんに変わったのと、それが廃刊になったのと、どっちが先かは覚えていない。でも、それに代わって読み始めた小学館の「小学○年生」。そのどちらも私は楽しみに待っていた。

「少しでも勉強してくれれば……」という親心だったのだろう。
けれど子供の私は、もっぱらそれに連載されている漫画がお目当てだったのが心苦しい。

学年別の月刊学習雑誌とでも呼べばいいのだろうか。
この、「たのしい○年生」と「小学○年生」。
どちらかを読んでらした方は多いと思う。

だから、中学生になって学研の「中1コース」を読み始めたのも、ごく自然のことだった。
それは同級生も同じで、旺文社の「中○時代」か、この「中○コース」の読者という子が結構いた。

各学科別に、要点が色刷りでまとめられた小冊子が付録に付いてたりして、試験前には随分お世話になったものだ。
その他、連載されていたジュブナイル小説も面白く、それで小説を読む楽しさを知ったような気がする。

高校生になっても、この旺文社と学研の勢力図は変わらなかった。
兄は「『高○コース』の方が印刷がキレイでカッコイイ」と言っていたけれど、それは私も同意見。(きっと、「高○時代」は「中身で勝負!」がポリシーだったのだろう)

ところが「コース」派だったその兄が、高三になった時、いきなり「螢雪時代」を読み始めた。(「高○時代」は高三だけ「螢雪時代」ですもんね)

何という節操の無さ。

その変節をなじる私に、兄は「『螢雪時代』の方が権威がありそうじゃない?」と言い繕った。(なるほど…。オシャレじゃない分、確かに御利益がありそうな威厳があった)
そして、その言い訳はいかにも受験生の本音らしく、意外な説得力で私の心に響いたのだった。


そんな経験から、ウチの子にも「時代」か「コース」を買い与えようと本屋さんに行って驚いた。小学生向きの学習雑誌はあったけれど、なんと「時代」も「コース」も見当たらない。

店員さんに聞いてやっと見つけたのは、テキストコーナーの隅にあった「螢雪時代」一冊だけ。
かつては学年別学習雑誌だけで、一つのコーナーを占領していたのに……。

通信教育が急成長したり、塾通いが珍しくなくなった現在。
学習雑誌の付録で勉強する子は、もういないのかもしれない。

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………………………………………………
ちなみに「コース」は99年3月号で、
「時代」はそれより前に休刊になったそう。
かつての読者としては寂しいかぎりです。

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2005/06/25

路傍のオオバコ

雑草と言ってまず思い浮かべるのは、このオオバコではないだろうか。
野草と書かずに敢えて「雑草」と書いたけれど、わざわざ踏み付けられるような所にばかり生えている。

逞しく生きる事を「雑草のように生きる」なんて言われるけれど、踏まれてもなお立ち上がる様は、まさに雑草の鑑(かがみ)。

しかし、そんなオオバコを哀れんで、踏まれぬように柵で囲ったとする。
すると、やがてより競争力の強い植物に駆逐されてしまうのだとか。
つまり、踏みつけにされ、足蹴にされるような、劣悪な環境でしか生きられないということである。

「不幸な星の下に生まれた」と言うのは、まさにオオバコのことを言うのではあるまいか。

しかも、虫食いの跡の無いのを探すのに苦労するほど。
(オイシイって事ね)
さらにさらに、傷や腫れ物に効く薬効まであるというのだから、その健気さは哀れを誘う。
虫ばかりか、人の役にまで立って……。

散々じゃけんにされて、都合の良い時だけ利用される。

あぁ。なにやらひと事とも思えず、書いてて辛くなってきた。
もう、コレ以上は何も言いますまい。

でも、惜しみなく与える、慈母の様なあなたのその生き方は立派だと思う。
ただねぇ……。


やっぱ地味過ぎだしぃ!

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ガンバレ!オオバコ。
 
 

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2005/06/22

春日局(かすがのつぼね)

kimonogara「江戸城は、およそ二六五年間に渡り、徳川家の居城でございました……」

そんな重々しい岸田今日子さんのナレーションで始まる『大奥』。
小学生の頃放送されていたドラマだけれど、私は夢中になって観ていた。
(20年前にも放送されたそうだけれど、その前にも放送されてました)

なんでそんなに好きだったのか考えると、やはりあの「お引きずり」の着物姿だろう。
絢爛豪華なお着物を、惜し気もなく引きずって歩く、衣擦れの音に彩られた世界。
私の着物好きは、あの『大奥』が源流だと言っても過言ではない。

そして、その大奥の創設者が、あの春日局。
三代将軍家光の乳母として余りにも有名だけれど、私の興味の対象は、やはりそのお召し物である。

『大奥』に続いて放送された『大阪城の女達』を観た時、私は少なからず失望した。
それは、そのお召し物が原因だったと思う。

『大奥』に代表されるそれは、打ち掛け姿の花嫁衣装の振袖を短くした感じ。
かたや、大阪城の女性達は、戦国時代のお姫さまスタイル。

帯も、半幅帯を腰の辺りで締めている。
源氏物語の女性の髪を、背中で束ねた様なヘアスタイルの水前寺清子さんが、打ち掛けをまとったよう。

確かに、打ち掛けは引きずっているけれど、それだけじゃ私は不満だった。
(ここはひとつ、お着物も引きずって欲しいし、髪も結って欲しい)

大雑把に言うと、和装は平安貴族の十二単から、武士の台頭で安土・桃山時代の戦国姫君ルックへ。そして徳川の時代に、大奥スタイルに変遷していく。

その大変換期にいらしたのが、まさに春日のお局さま。

大河ドラマが『春日局』を取り上げた時、私はその変化をつぶさに観察しようと、毎回固唾を飲んで待ち構えていた。けれど、物語の舞台がちょっと大奥と離れているスキに、ある日突然、何食わぬ顔で全員が姫君ルックから大奥スタイルに衣替えしてしまった。
・・・そんなぁ。

歴史の教科書に載っている春日局は、なぜかお馴染みのあの姫君ルック。
その後でイメージチェンジしたにしては老けて描かれているし……。

私にとって、これは未だに解けない歴史上の大きなナゾである。

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2005/06/19

世慣れた雀

suzume先日のこと、植木に水やりしようとバルコニーのドアを開けたら、すぐ目の前にいたスズメと鉢合わせしてしまった。

当然のように、スズメは跳んで逃げていく。

・・・?
しかしこの場合、やはり不精せずに、「飛んで」逃げていくのがスジではなかろうか。(せっかく翼を持ってるんだから)

最近の雀は、ずいぶん警戒心が薄くなったと思う。
昔は、足で逃げるのは鳩くらいだったのに。


茶色の帽子をかぶり、ホッペに黒いほお紅を差したような、スズメの顔は可愛らしい。

ヒヨドリとちがってスズメはフンも小さいし、しぐさも愛らしいので、ついつい頬が弛んでしまう。
そんな気持ちを知ってか知らずか、世代交代するにつれ慣れてきた。

一度、あまり楽しそうにしているので、窓辺で「チュチュッ」と舌を鳴らした事がある。すると、待ってましたとばかりに窓に向かって突進してきた。(ホントにぶつかりました)

危ないアブナイ。これでエサでもやったら結果は目に見えている。
いくら小さなフンでもチリも積もれば大変だ。
だから、それだけはグっとこらえているのだけれど……。


何年か前、親子のスズメがバルコニーの端にとまっていた。
すると親鳥は、「ここで待っててね」とでもいうように、エサを探しに飛んで行ってしまった。

「ちょっと、ちょっと親御さん!」
残されたヒナが心細そうにうずくまってますヨ。

ヒナといっても体は親と変わらない大きさ。
けれど、飛べるようになったとはいえ、まだくちばしの黄色いヒヨッ子だ。
(足もくちばしも、ホントに黄色かった)
こちらを信用してくれるのは嬉しいけれど、あまりに無防備な。

しかし、その傾向はウチに来るスズメだけではないような気もする。
世慣れているというか、何というか……。
愛嬌を振りまいて、浮き世を軽々と渡って行く。

・・・う、うらやましい。
そのアッパレな態度に、ツメのアカでも煎じて飲みたくなってしまった。

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2005/06/16

流転のバナナ

612niji「安いよ安いよ!」の叩き売りでお馴染みのバナナ。
ホントにお買得なのかどうかは分からない。
けれど、バナナ単独で商売が成り立っていたのだから、その商品価値は高かったのだろう。

「いろはにコンペイトウ コンペイトウは甘い〜」で始まる子供の頃の遊び歌があった。

「黄色いはバナナ バナナは高い 高いは十二階〜」(十二階は、大正時代にあった浅草のビル。だからといって私が大正生まれな訳ではありません)

と、歌われていたくらいだから、当時高級品だったのは間違いない。
そして、母にとっては私のメロンのように大好物だった。
さすがに私の頃には大衆的な果物になっていたけれど、それでもやはり果物としての威光は残っていた。

それがどうだろう。
今じゃスーパーの特売で、一房100円で売ってたりする。

そして、嬉々として遠足に持って行った昔の事など忘れて、「なんだ、バナナか」と、その前を素通りする自分がいる。

……嗚呼。凋落の一途を辿る流転のバナナ。


しかし、これがサラダに入っていたりすると話は別。
「ワァ!フルーツサラダだ」と嬉しくなるのが不思議だ。

あるいは、ケーキに入っていたり、別のものに添えられていても、突然昔の威厳を取り戻す。

それはリンゴも然り。
その他、ミカンの缶詰とかも普段わざわざ食べようとは思わない。
なのに、素麺に浮かんでるだけで高級感が増すのはナゼだろう。

う〜む。一体これはどうした心理の為せる業なのか。
もしかしたらそこには、昔日の輝きを取り戻すヒントが隠されているのかもしれない。
(そんなものがあったらの話だけど)

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2005/06/13

メロンの編み目

6_04isotoma2メロン様、あなたはどうしてメロンなの?

のっけからおかしな事を書いてしまったけれど、私はメロンの編み目を前にすると平常心ではいられなくなる。

控え目な薄緑色に、白い筋が神々しく浮き上がって、……あぁ、もうダメ。

オレンジ色の果肉をした夕張メロンと共に、マスクメロンは果物界のセレブな御夫妻のよう。(アンデスメロンにも編み目はあるけれど、ちょっとありがたみが違う)

子供の頃、果物自体が高級品だった。

ドラマなんかでは、お見舞いのフルーツ・バスケットに必ず入っていたけれど、こちらはテレビで見るだけ。
たまに、そのフルーツ・バスケットの絵が描かれた包みを携えて、お客さまがいらっしゃる事があった。
子供の私は、それだけで期待に打ち震えていたものだけれど、たいてい包装紙を開けると中はみかんでガッカリ、の繰り返しだった。

そんな庶民の味方はプリンスメロン。

これなら食べた事があった。
初めてマスクメロンを食べた時、「同じ味じゃン」と少々落胆する程、これも美味しかった。

そのマスクメロンだけれど、「麝香」のMuskから名付けられたとか。
でも、メロンソーダとかメロンパンとかで馴染んだ、あの香りと違う。
香りもやっぱりプリンスメロン似。(それは千○屋のメロンでも同じ)

それがずぅ〜っと不思議だった。

ところが、ある時メロンソーダに添えられていたメロンの欠片を食べて、そのナゾが解けた。
いじましく皮ギリギリまでかじった時、ほんのりとあのメロンの香りがした。

どうやら、皮の近くならあの香りがするようだ。
(種の近くの方が美味しいけれど、近いほどプリンスメロンと似てる気がする)

まぁ、プリンスだろうがアンデスだろうが、美味しいことには変わりはないし。
あんまし違いが分からない方が、私には幸せなのかもしれないけれど……。

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2005/06/10

ツユクサの君

6_tuyukusa二つ折れになった、苞の間から顔を出した青い花が可憐なツユクサ。子供の頃は道端によく咲いていたし、たいして気にもとめていなかった。

しかし、ある時手ぬぐいに藍染めで描かれたツユクサの絵を見たことがある。
スッと伸びた茎に、ササの葉を広くしたような披針形の葉がすがすがしい。そのフォルムは、いかにも夏らしく涼し気だった。

「ツユクサって、こんなに風情があったんだ」

……そう思った時は遅かった。
普段気づかないだけなのだろうか、大人になってからはトンと見かけなくなっていたのだ。

そんな折、私がよく伺っているポージィさんのブログポージィの花etc.記: 夏もちかづく・・・ 〜道端の草花〜の記事を拝見してから、どうしても見たくなってしまった。

でも、近所で見かけた覚えはない。
そう簡単ではないだろうと思いつつも、あちこちウロウロすること小一時間。
なんとか見つける事ができた。

時期が早い事もあって、咲いている株は少なかったけれど、確かにあのツユクサだ。
緑の葉と小豆色の茎。青い花におしべの黄色が映えて、意外なほど華やかな印象。

それは子供の時に見たのと同じ姿のはず。
けれど、その時にはそんな事を思いもしなかった。

大人になってからの再会で、再認識したその魅力。
まるで、同窓会で久々に出会った級友のよう。

しかしこの級友は、あの頃と全く変わらずに目の前に佇んでいる。

それにひきかえ、この自分ときたら……。
再会を喜んで帰る道すがら、ちょっとした感慨に耽ってしまった。

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2005/06/07

真空管

5_26gazania私の父も兄弟も、機械いじりが好きだったけれど、さすがにテレビまでは修理できなかった。(あっちこっちいじくって微調整するのは好きだったけれど)

そうなると電器屋さんの出番となる。

茶色いテレビの裏ブタを開けると、ブラウン管の下にはホコリを被った真空管が、何本か鎮座ましましていた。
直径3〜4cm、高さ5cmほどのガラス管。子供の目には、それはちょうど透明な電球のように見えた。

「なんで電球がテレビの中にあるの?」
それはいくら説明されても理解できず、それゆえに、いかにも電子機器らしい威厳を持っていた。

しかし、その威厳も長くは続かなかった。

その頃すでにラジオはトランジスタ。やがてそれはテレビにも及んでいき、新しいテレビの裏ブタが開けられるたびに、ブラウン管は大きく、その他の部品は隅に押しやられて小さくなった。

基盤の上にハンダ付けされた、申し訳程度の小さな物体。
それが、あの真空管の代わりだなんて……。

そのトランジスタ自体も、やがて基盤の中に埋め込まれるほど薄くなる。
そして、現在の集積回路になっていく。

子供の頃、兄が読んでいたSF小説を借りた事があった。
アリゾナの砂漠の地下に、巨大なコンピュータ(その頃は電子頭脳なんて言われていた)施設が作られる。やがて、それが独自の知能を持ち始めて……。というストーリーだったけれど、その集積回路は真空管で作られていた。

透明に輝く無数の真空管の中を、エスカレーターで地下に降りていく描写は圧巻だった。
でも、今自分の足下にうずくまっているパソコンのメモリは1Gバイト以上。
もしかしたら、あの小説に描かれていた真空管の数よりも多いのかもしれない。

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2005/06/04

橋の下

5_28burakiこれは、日本古来の伝統なのだろうか。
昔の親達は、子供に「橋の下で拾って来たんだよ」と言うのが好きだったらしい。
私も言われたし、「あ、自分も言われた!」という人は多い。(皆さん、それぞれ固有の橋を持っていらっしゃる)

ところで、ウチの実家の男達は、私以外全員理科系の脳をしている。

その製造元の父は、休日になると嬉々として自転車やスクーターの手入れをしていたものだ。その例に洩れず、長兄も次兄も機械いじりが好きで、ハンダ付けするための工具類なんかが当たり前のようにあった。

そのエンジニア達は、簡単な電気製品の修理などは朝飯前。
そんな時には、プラモデルを作っていた子供の時分と同じ顔になる。

長兄は秋葉原で買って来た部品でコンピュータを作ったというし、プログラマーの次兄もラジコン飛行機の設計のために、3Dを始めたという。

だから、コンピュータ・エンジニアである姪の旦那さまとも気が合うこと、話が合うこと。彼等の会話は、私にはとても日本語と思えない。

だけど家内に言わせると、私も理科系人間なのだという。
でも、そんな様子を目の当たりにしてきた私は思う。
やはり何か根本が違う。

確かに中学の科学は好きだった。
けれど、高校生になっての物理の時間。
電気のコンデンサでコケた私は、やはり毛色が違うようだ。

電子の動きと電流の流れが逆になる。それを頭の中で実感できないと納得しない私は、授業中ずぅ〜っとそればかり考え、結局落ちこぼれてしまった。(そもそも、電子をプラスという事にしてくれれば、プラスされた方が+になって分かりやすいのに……)

兄に言わせると、数学の公式のように「そんなものだ」と思わなければいけないのだとか。
納得できないなら、それなりに探究すれば別の道が開けたかも。
でも、家に帰ると忘れてしまうところが、いかにも私らしい。

機械いじりより、土いじりの方が好きな私。
こうなると、橋の下で拾われて来たという話も、なにやら信憑性を帯びてくる。

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2005/06/01

買うはヨイヨイ修理はコワイ

5_26roberia_ariこの前、家電品の買い換えや、カメラが壊れた顛末を書いたんだけれど。
こういった機械ものが故障した時の修理にはいつも頭を悩ませている。

手で持ち運べる様なものは、販売店に持ち込める。
量販店なんかだとそのままメーカーに送る事になるけれど、その場合費用はたいてい5,000円から。
大物になるとメーカーの人に来てもらわなければならないから、出張料だけでもやはり5,000円は取られる。

電気製品は、お店によって随分安く買えるようになったけれど、こと修理代に関しては却って高くなったような気がする。

昔は、近所の電気屋さんが「単に接触が悪くなっただけですよ」とか言って直してくれた。
けれど、最近の製品はブラックボックス化しているようだ。
手の施しようがなくて、そっくりそのまま部品ごと取り替えないといけないらしい。

値が張る電化製品なら、多少修理代がかかっても仕方ないのかな、とも思う。(もちろん、壊れないに越した事はないけれど)でも、この間のカメラみたいに安いものだと、修理しても新しいのを買っても、たいして変わらない金額だったりする。

数年前、気に入っていたハンディタイプ掃除機のコードリールが壊れた時、修理代が5,000円だった。
でもその後で、全く同じ商品が5,000円で売られているのを見た時には、さすがに力が抜けた。

なんとか修理して使おうとしても、新品を買うのと変わらない費用がかかるなんて……。
コレって、やっぱり何か間違ってるような気がする。

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