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2005/07/30

たかが自転車、されど自転車

7_22rabenda自転車は慣れてしまえば簡単だけれど、乗れない人もいる。
そんな人は、練習する機会がなかったか、そのタイミングを逃してしまったのだろう。

家内がそうだった。
買ってはもらったものの、そのままになってしまったのだと言う。

もったいない話である。
「やってみれば簡単だよ」と、近所の公園で気軽に練習が始まった。
(若かったのねぇ……)

後ろから私が荷台を支える、というお約束のスタイルだったけれど、実際に目の当たりにすると、やはり「乗れない」という事実は大きかった。

バランスをとるという無意識な行為が、これ程難しいとは……。
「もしかしたら」という不安がよぎったりもした。

それでも、練習を繰り返す内にだんだん距離も伸びていって。
あれ程広大に見えた公園も手狭になっていった。
……そして最後は広めの路地で、めでたくフィニッシュを迎えたのだった。

それから月日が経って、うちの子の幼稚園時代。
後ろに子供を、前に大きな荷物を乗っけて逞しく自転車をこぐ家内。
そんな姿を見るにつけ、あの時の苦労がウソのように思えたものだった。


順調に上手くなったり、殆ど上達しなかったりと、その日によってバラつきがあった。
「やはりダメかもしれない」と思った翌日に急に上手くなったり……。
人の進歩とはそんなものなのだろう。
決して、一直線に上手くなるものではないらしい。

「より高く跳ぶためには、より低く身を屈めなければならない」とはよく言われるけれど、進歩の無さに歯痒さを感じる時、あの時の事を思い出したりする。


もちろん、わが子の自転車教習の時にも、その経験は大いに役立った。
「もしかしたら……」などと焦る事もなく、気長に付き合う事ができたし。

やっぱり自転車は、子供の頃に覚えてしまうのが一番ラクみたい……。

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2005/07/28

集団心理(未知との遭遇編)

7_22hanabi以前住んでいた所も多摩川が近かった。そして、その土手からは某遊園地の花火がよく見えた。

20年ほど前の、ある花火大会の日。
例年通り、土手には数十人の観客が一列になって花火見物をしていた。

花火の打ち上げ筒の数には限りがあるのだろう。
続けざまに打ち上げられた後には、少し間が空くのが常だ。

「早く次が始まらないかなぁ……」
そう思いながら、私は今まで打ち上げられていた辺りを見ていた。
すると、ちょっとずれた場所から火玉が上がった。

遠くて音は聞こえないけれど、「ヒュルヒュル……」と昇っていく。
さぁ、後はバ〜ン!と景気良く……。

1秒、2秒。……しかしどうしたことだろう。
その火の玉は爆発するでもなく、消えるでもなく、そこに留まっているのだ。

「なに?あれ」と、家内とささやいていると、それはツツーっと横移動を始めたではないか!
そうなると、周りにもどよめきが広がっていく。

「……UFOだ。」あちらこちらから声が上がりだした。

しかし、そういった時の集団心理というのは面白い。
これが一人っきりなら「マスコミに知らせなきゃ!」とか考えて、花火どころではないかもしれない。けれど、これだけあからさまに姿を見せられると、そんな気も起こらない。
だって、周りの人達もいっぱい目撃してるんだから。

「みんなが見た」という安心感のせいらしい。続きの花火が始まると、周りの人達はすぐに興味を無くして、元のように花火に興じ始めた。

そりゃぁ、一年に一度の花火大会。楽しまなきゃソンである。
でも、さっきのUFOは、わずかに上下運動を加えながら、二つになったり合体したりを繰り返して、西に向かって飛行しているのに……。

あれは、一体何だったのだろう。
UFOにも驚いたけれど、そのまま何事もなかったかのように、花火見物が続いた事の方が不思議だ。

……それにしても、花火の真似をするようなお茶目なUFOさん。
みんなに無視されて、傷付いちゃったんではなかろうか……。

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2005/07/25

集団心理(映画館編)

7_22sarubiaおととい、東京で震度5の地震があったけれど。
(ウチは震度4)
起動していたパソコンを、終了しようか逃げようか、一瞬躊躇した。
……で、PCよりも身の安全を取った私。


あれは2、3年前だったろうか、家族で行った映画舘で、グラっとした揺れがいきなり襲って来た事がある。

そんな時は、誰でも一瞬身構える。そして、しばらく様子を見て、揺れがおさまれば「やれやれ一安心」だし、揺れがひどくなりそうなら「逃げなければ!」になるだろう。

その時思ったのは、「このまま揺れが大きくなれば皆一斉に出口に殺到するだろう」という事。パニックになってから行動を起こしても遅い。自分一人だったら何とかなるかもしれないけれど、なにせこちらは子連れの身。

「とりあえず外に出よう」そう言って、私は出口に向かった。映画への未練で、まだ座ったままの観客を尻目にロビーに出て振り向くと、そこには私一人しかいなかった。

何という事だろう。家内も息子も、家長である私のいう事を聞かず、映画を見続けているらしい。

その頃には揺れもおさまっていたし、そうなるとこちらの方がバツが悪い。
そのまま戻るのもくやしいし、映画が佳境に入ってからトイレに行きたくなることも多い。
引き返すのは、用を足してからにした。

席に戻った私に家内は一言、「一人で逃げ出したのかと思った」ですと。
……あまりと言えばあんまりなお言葉。
こちらは家族の安全を第一に避難したのに……。

そもそも結婚前、同じ社内で地震に遭遇した時、動じなかった私に惚れたと言っていたくせに。(ま、諦めがイイだけだけど)そんな事も忘れてしまったらしい。

それはどうでもいいけれど、ああいった場面ではどうすればいいのだろう。

「誰も逃げてないからきっと大丈夫……」そんな根拠のない理由で誰も行動を起こさず、惨事になった外国の地下鉄火災もあったし。
かといって、事態がより深刻になれば、一斉にパニックが起こるのは目に見えている。

自分一人だったら、きっと周りと同じ行動をとった筈。
建物の外に出る方が危険だし、ロビーに出るくらいしかないのなら、揺れがおさまるまで席の下にでも潜り込んでいた方がマシなのだろうか。

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2005/07/22

引き算のオーラ

natubara「あの人にはオーラがある」なんて言われるけれど、それってあると思う。
華やかな人には「華がある」と言うように、何か目に見えない輝きを感じさせる人がいるものだ。

昔から、ありがたいお方には「後光がさしているようだ」とも言うし。
仏像などに見られる「光背」は、背中から放射している「後光」をかたどったものだとか。
よく言われるように、それこそ「オーラ」の極みなのだろう。


そして、オーラと言えば芸能人の方達。
ごくたまに撮影現場に出くわしたり、街中で見かけたりする事があったけど、やはりどこか違う。

ところで、そのオーラにも「足し算」のオーラと「引き算」のオーラの、二種類あるように思う。

「足し算」の代表選手は、なんと言っても女優さん。
天然の輝きが自身の内側から滲み出ているようだ。

その点、モデルの方々には「引き算」のオーラを感じる。
昔ハンズでお見かけしたその方は、立っているだけで周りの空気が浄化されていくように感じた。

それはまるで空気清浄機のようで、パリ・コレにお出ましになるモデルさんなどは、いったいどれくらいの範囲まで浄化するのかと思ったほどだった。

女優さんもモデルさんも美しい。けれど違うのは、その生活感。
(人生を演じるのが女優で、人間臭さを排除し、服を引き立てるのがモデルの仕事だからだろうか)
人気が出たモデルさんが女優に転身する例はよくあるけれど、女優さんになった途端、生活感が漂いだすのも興味深い。


なんて、勝手なことを言ってる私は、生活感どころか所帯臭さまで漂っちゃって……。
それがホントの臭いにならぬよう、セッセとお風呂に入りまショ。

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2005/07/19

三日坊主

kagerou昨日、今日、明日、で三日間。
「三日」というのは丁度いい単位のようだ。

「三日にあげず」「三日先知れば長者」「三日見ぬ間の桜かな」。
いろんな言い回しや諺がある。

そして、「三日」と言ってまず思い浮かべるのは「三日坊主」。

あぁ、耳が痛い。
まるで飽きっぽい私が、非難されているような気がする。

好奇心が旺盛で、何にでも「あ、面白そう!」と飛びつく。
そのクセ、熱しやすくて冷めやすいお調子モン。


その私がHPを始め、ブログを始めた。そりゃもう、一大決心をしての事。

最初、兄に「HPを始めようと思って……」と言った時、ドキッとした。
「皆、三年くらいでやめちゃうんだよね……」なんて言われたから。

「そうか!」確かにその時私が漠然と考えていた構成は一年分だけ。
その後の事なんか考えてもいなかった。

季節はめぐり、また冬が来る。(始めたのは、冬の足音が聞こえてきた頃でした)
二年目の冬、三年目の冬。そのたび毎に、書く事なんてあるんだろうか。


そんな不安を抱えて始めたHPは、月に一度の更新ペース。
そして、このブログは三日に一度の更新。
何となくそうなったんだけど、私にはそれくらいが丁度いいような気がする。

読んでもらいたい記事が書けた時はいいけれど、月夜ばかりじゃないし。
書く事が見つからなかったら、と思うと慎重にならざるを得ない。
(あ、臆病モンでもあった)

こんな自分が信用できないし、だからいつも記事は暇な時に書き溜めている。
(もう、2・3ヵ月分は溜まっているだろうか)

けれど、浅はかで軽い私ゆえ、ヒンシュクをかってしまいそうなのが多くて……。

当たり障りのない記事を見繕って、選んではいるけれど……。
そうすると、結局日の目を見ないまま、どんどんアブナイ記事が溜まっていく。
(ブログに移行する前のもイッパイあるんですぅ〜)

そしてまた今日も……。

「どうしようかなぁ」と思いつつ、私の「三日に一度」がやって来る。

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2005/07/16

数の吉凶

5_26parpul数の吉凶は洋を問わずあるけれど、西洋でのラッキー7や13はあまりにも有名。

日本だと四、九が嫌われるけれど、それだけじゃないみたい。
聞くところによると、末広がりの八以外の偶数は、あまり良くない数字らしい。


所在ない時、ついトントン……と指先でテーブルの上を叩く。
そんな時、「あ、四回じゃ数が悪いから……」と慌てて一回追加したりして。

私の場合、それだけじゃない。

電気のスイッチ等を切る時も、ジャストミート出来ないと「ん?なんかしっくり来ないなー」などと、もう一回。(実際にon/offする訳ではなく、指を離す時の感覚が気に入らないので、指の動作をするだけなんだけど)

すると、もういけない。
3回で済まないと、例の「4回じゃ数が悪いから……」が始まり、納得いくまで続けたい衝動にかられる(あんまりやると、今度は九が来ちゃうから我慢するんだけど)

……どうやら、こーゆーのを強迫観念と言うらしい。
そして、私のもカウンセリングものなんだろう。


……なんて思いながら、書いてはみたものの結局ボツに。

だけどあれから時間が経って……。
書くだけ書いたらバカバカしくなっちゃって、気がついたらこの癖も治ってました。

ヤレヤレ……。

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2005/07/13

懐かしのリュックサック

リュックサック。
懐かしい響きだけれど、今でもその名で呼ばれているのは嬉しい。
てるてる坊主を吊るして、待ちに待った遠足の日。
目的地に着いて、それを開けるのが楽しみだった。

そして、遠足と言えばお菓子はつきもの。
プリントには「おやつは○00円まで」とか書いてあって、友達と一緒に買い出しに行ったものだった。

当時はスーパーマーケットが登場したばかりの頃。
何とか予算内に納めようとヤリクリするのは、ちょっと大人になったようで嬉しかった。


あれは、何年生の時だったろうか。

待ちに待ったお弁当の時間、リュックを開けて驚いた事があった。
そこには自分が買ったお菓子の他に、バナナや覚えのないお菓子が入っていたのだ。

どうも母は、子供が予算内で揃えたお菓子の少なさを、不憫に思ったらしい。

しかし、親の心子知らず。
その時、私はちょっとイヤな気分になった。

「せっかく自分で計算したのに……」

自分が決まりを破っているという後ろめたさ。
自分の努力を水の泡にされたような思い。

なにせ遠い昔の事とて、うろ覚え。
もしかしたら、お菓子はなくてバナナやリンゴ等の果物だけだったのかもしれない。
そして母は、「果物はデザートだからお弁当の内」なんて言い訳を考えていたのかも。

それよりなにより、高度経済成長の始まりで、末っ子の私の番になって、やっと「好きなものを持たせてやれる喜び」を感じていたのだと思う。

しかし、子供らしい律儀さで「果物はおやつ」としか思えなかった私には、それが理解できなかった。

いや、本当はね……。
最後の「親の喜び」だけは、うっすらと分ってました。
だから帰ってから文句は言いませんでしたヨ。(たぶん……)

koboredane
なぜだか今年は
アチコチからこぼれ種が芽を出しました。
左から、ペチュニア、クフェア、
ノースポール、トレニア、ラベンダー。

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2005/07/10

出合いがしら

曲り角をまがったら、たまたまこちらに歩いている人とぶつかりそうになった。
こんな事はよくあるけれど、歩いている同士ならどうと言う事もない。

でも、これが自転車なんかだと、いきなり危険度が増す。(自動車の場合、エンジンの音で気がつく事もできるけれど、自転車は音もなしに襲ってくる)

以前、自転車に乗って近所の十字路を左折しようとした時。
カーブミラーに、こちらに向かって走って来る自転車が写った。

こちらは左側、あちらは右側。
万一こっちに曲がられたらぶつかってしまう。
そう思って角の手前で止まっていたら、案の定その自転車に乗ったおばさまが突っ込んできた。

・・・ちょっとぉ〜!

謝ってもらっても、凹んだママチャリの前カゴは、元に戻らないんですけど。
……なんて、文句を言ってもしょうがないから黙って立ち去ったけど、思いっきりイヤ〜な顔をさせて頂きました。(プン!)

こんなパターンにはよく出くわすけれど、どうして角の向こうに誰かがいるかもしれないとか思わないのだろう。(同じ人間同士、同じ行動をしている可能性は否定できないのに)

ならば、見通しがよければいいかというと、それがそうでもない。

広い歩道を歩いていて、向うから真直ぐに歩いて来る人がいる。
このままだとぶつかりそうだからと右によける。
すると、相手もまた同じ方に進路を変える。

だったら左、と思うと相手もまた移動して……。
コレもよくあるパターン。

「ツボにハマる」とでもいうのだろうか、そうなるともうお互いそのツボから抜け出せなくなる。

こんな時は、立ち止まっちゃうのが一番いい。
どんな人でも、止まっている人にぶつかる事はまずないから。

ところが、つい先日の事。
若い頃は2〜3m手前から「あ、アレだ!」と反応できたのに。
その時は1m手前で止まるのが精一杯だった。

すると、「お嬢さん」の時期は過ぎたとおぼしきその女性。
「なによ!」とでも言いたげな顔で、横をすり抜けていった。
・・・ちょっとぉ〜!!!

お互い、同じ行動をしただけでしょ〜がぁ。
それとも、なんですか。
そのまま最後まで行動を共にした方が良かったとでも・・・。
 
7_9confi
 
 
 
何とか夏までに咲いてくれた
コンフィダンスの二番花

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2005/07/07

夢うつつ

この前は、夢の中で喋る寝言の事。
今回は、同じ寝てる時でも、動作に関するお話を……。

あれは、まだ若い頃だった。

目覚ましの音に目が覚める。
「起きなければ……」と思いつつも、体が動かない。
しかし、これで起きなければ遅刻してしまう。

渾身の力を込めて右足をベッドから下ろし、次に左足を。
そろそろ上半身も持ち上げなければ……。
と、腕を動かそうとしたところで気が付いた。

なんと、まだ全身がしっかりとお布団にくるまっているではないか。

・・・???
つまり、「起き上がろうとする」夢を見ていたのだ。
「じゃあ、さっきの苦労は何だったの……」

あの時の絶望感たるや、今思い出しても切なくなるけれど、それも懐かしい思い出。
歳のせいか、最近はイヤでも目が覚めてしまう。

でも、つい最近同じ様な経験をした。

あまりに疲れたので、変な時間に昼寝をしてしまった時の事。
起きなければと思っても、やはり起きられない。しかも、今度は足すら動かない。

「えぇ〜!」。
無理矢理体勢を変えようと踏ん張ったら、首の筋肉が「グギギギ……」と痙攣したのが分った。
ヤバい。あまり無理をすると後が怖そうだ。

「はて、どうしたものか」と、しばし考えた後、なにげにタオルケットをめくると、あっさりと腕が動いた。・・・「あら」


……アレは一体何だったのだろう。

私の夢はめちゃくちゃで、現実と全く違うシチュエーションなのが常。
それが、あの時はちゃんと自宅で寝てる自覚があったし、意識が覚醒しかかっていたのは確か。

頭は目覚めだしたのに、体がまだ寝ている。

よく言う「金縛り」というのはあんな状態なのだろうか。
別に、怖いものは見えなかったんだけど……。

7_1sikibu
 
 
去年実付きの鉢を買い、
今年初めてコムラサキシキブの花を見ました。
ポージィさんの
ポージィの花etc.記: コムラサキシキブの花.で、
名前に「コ」が付くのも初めて知りました。

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2005/07/04

悲しき寝言

5_28safinia2怖い夢を見ている。
「助けて〜!」と、叫び声を上げたいのに声が出ない。こんな経験は誰にでもあると思うけれど、どうして夢の中だと声が出ないのだろう。

……でも、最近私は、それが出来るようになってしまった。

何かに追われて必死で逃げている。
出ない声に焦りつつ、それでも腹に力を込めて、無理やり「どぁずげでゅえぇぇぇ〜!」。
・・・その声で目が覚めたりする。

こうなると、もう力技って感じがするけれど、コレは結構恥ずかしい。

さらに夢の中では、声が出せたとしても、はっきり発音出来ない。
舌が回らないというか、もつれるというか、活舌が悪い事甚だしい。

……しかし最近、私はそれもやるようになってしまった。

理不尽極まりない仕打ちに耐え切れず、「お言葉ですが……」と立ち向かう。
切々と心情を吐露しようとするけれど、か、活舌が。

それでも構わず、激情に駆られるまま、無理に喋ろうとするからもうメロメロ。
その、自分の声で目が覚めるのもまた恥ずかしい。

けれど、覚めなくても結果はあんまり変わらない。
翌朝になって、家内から「夢で怒ってたでしょ」なんてからかわれる。

一応、自分なりには理路整然と反論していたつもりなんだけど……。
家内には、ただ唸っているようにしか聞こえないらしい。

歳を重ね、「恥じらい」という鍵で封印されていたものが、解き放たれでもしたのだろうか。喋れないのに、それでもなお言いつのろうとする。

パンドラの箱を開けた鍵。
それを、私はどこに置き忘れてしまったのだろう。

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2005/07/01

醤油飯

kara熱々のご飯に、ツナをちょっとのっけてお醤油をひと垂らし。
その上に切った焼き海苔をかぶせて、そのままお箸で包んで食べる。

これは、以前お気に入りだった食べ方で、「最期に何か食べるとしたら絶対コレ!」と、夫婦で言い合ったほど美味しかった。(今思い出しても、ヨダレが出そう)

その他にも、卵とお醤油をかけた「卵かけご飯」とか。(バターでも美味)
「ご飯」+「何か」に、お醤油をかけるとどうしてあんなに美味しいのだろう。

もちろん、手の込んだフランス料理とか、懐石料理とかも素敵。
でも、この美味しさは、そんな「素材を生かした〜」とか、「まったりとした〜」といった、高尚な味わいなどブッ飛んでしまうような次元から、私に襲いかかる。

それはもう、味覚中枢の奥深くにまで達する、抗えないインパクト。
もしかしたら、遺伝子レベルではないかと思ってしまう程だ。

「日本料理の悲劇は、『お醤油』というパーフェクトな調味料に出会ってしまった事」なんて、何かで読んだ覚えがあるけれど、それも分かるような気がする。

ご飯好きのウチの子は、おかずばかり食べて、残ったご飯にお醤油をかけて食べようとする。
「そんな食べ方はやめなさい!」と注意されているけれど、本当に困ったものだ。(キミもやっぱり庶民の子)

ワタクシ、そんな事をした覚えなどございません。(子供の前では)

臆面もなくそんな事をして……。
まったく・・・羨ましい。

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