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2005/08/30

撮影現場その1

中古物件だった今のマンションに暮らして10数年。
コロッと忘れていたけれど、ウチでドラマの撮影が行われた事がある。


……それは、引越して来てそれほど経っていない頃だった。
「ピンポ〜ン!」というインターホンに玄関へ出てみると、ドラマの製作会社の人がいた。なんでも、ウチの玄関先を撮影に使いたいのだとか。

「お、とうとう来たか……」
そう思ったのは、元の住人から「このマンションで、以前ドラマの撮影があった」と聞かされていたから。
「別に、いいですよ」
ミーハーな私は、平静を装いながらもワクワクして応じた。

「若いお笑い芸人さん」を主人公にした、15分程の深夜番組ワクの連続ドラマだとか。
主人公が、長山洋子さん(「でもね……」の演歌でお馴染み)の部屋を訪れるシーンを撮りたいのだという。
当時、まだアイドルをなさっていた長山さんがいらっしゃると聞いて、私のミーハー魂に火がついた。

ところが、当日は脚本が変更されたらしく、期待した長山さんはお留守の設定。
(世の中なんて、そんなもんヨ……)

しかし、ガッカリするのは早かった。
なんと現れたのは、あの「ウッチャンナンチャン」のウッチャン。
(そりゃぁ、若い芸人さんに違いはないけど。まだ売り出し中とはいえ、私でさえお名前は知っておりましたのに……)


たったワンシーンだったけれど、やはり撮影に変わりはない。
10数人のクルーが一気に押し掛け、テキパキと撮影を進めていく。

そして、「撤収!」の声にサッさとお引き取りになった後には、お礼の品として御中元か御歳暮だったとおぼしきウィスキーが残された。

……ウッチャンナンチャンが、それからあれよあれよという間に売れっ子になっていったのはご存知の通り。

今から思えば、サインくらいもらえば良かったのに。
「でもね……」、そんな経験は序盤戦に過ぎなかった。

8_28murasaki
 
色付き始めた
コムラサキシキブの実。
 
思えば
ブログで最初にアップした写真も、この実。
季節はめぐります。
 

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2005/08/27

おねだり

小学生の頃、父と母との間でこんなやり取りがあった。
会社が休みの日、買い物に出かけると言う父に、母は「だったら、この子も一緒に連れてって」と言った。(この子というは、一人ボケっと家にいた私の事)
その時の父の返事が忘れられない。

「一緒に連れてっても、『アレ買って、コレ買って』と言わないからつまんねぇ」

それを聞いた私は、「おねだりをされる方が嬉しい」という父の本音を知って、びっくりした。
言われてみれば、確かに私はおねだりをしない子だった。

でも、それには理由があった。

あれはまだ、小学生にもなっていない頃だと思う。
親戚が集まった新年会の帰り道、時計屋の前で父に呼び止められた私は、ディズニーの腕時計を買ってもらったのだ。
別に、私がおねだりした訳ではなかったけれど、幼い私に断るすべもなかった。

これは一大センセーションを巻き起こしたらしい。
「同じ年頃の子供を持つご近所から、アレコレ言われて困った」
と、後になって母がこぼしていた。
それは、一つ屋根の下にいる他の兄弟なら尚更で、その矛先は当然のように私に向けられた。

こうして私は、「イイ目をみると後が怖い」という浮き世のことわりを、幼くして会得してしまったのだった。

実は、私はその他にも子供用自転車を買ってもらっている。
自転車屋さんの前で父に呼び止められる、という同じなりゆきで。
本当にちっちゃな自転車で、すぐに乗れなくなってしまったけれど、この反響は腕時計の比ではなかった。

私のすぐ上の兄は、行動半径が広がる小学校高学年の頃、自分用の自転車を買ってもらっている。(やはり、需要がでてから供給を受ける方がトクだと思った)
私はといえば、あの件以来「お前は自転車を買ってもらったんだから……」が付いて回った。

兄の自転車を借りながら、「ボクも自転車が欲しい」とは言い出せなかった私。(あの時、なぜ「いらない!」と言えなかったのかと、長いこと悔やんだものだった)
家族の中に、その時の私の胸中を忖度した者がいたかどうかは、はなはだ疑問である。

そして、「私だけが子供用自転車を買ってもらった」という事実だけが、皆の記憶に残っていく。

その時の気分で、後先の事も考えずに行動する。
そんな父の、江戸っ子気質。
そのツケを払わされる身としては、迂闊におねだりもできなかった。

そして現在。
その気質を、決して受け継いでいないとは言えない私。
自分の中のその因子によって、今もツケを払わされ続けている。

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2005/08/24

(コマンド)+(Z)

key_boadMacとウィンドウズでは、ショートカットキーも違う。
Macの場合、「間違えた作業を取り消して、一つ前の段階に戻る」のは(コマンド)+(Z)。

コンピュータを使っていて、便利だと思う事はたくさんあるけれど、これが一番ありがたい。(保存し忘れて固まってから泣く、という新たな危険はあるけれど)

もともとキーボード操作が苦手な私は、ショートカットキーも殆ど使わない。(ってか覚えられない)
でも、この(コマンド)+(Z)だけはすぐに覚えた。
なんてったって、ブラインドタッチなどできない頃から、コレだけはキーを見ずにしていたほどだから。

失敗しても、「元に戻れる」というのはなんとラクチンなのだろう。

手描きのイラストで、失敗した時なんかは泣きたくなる。
上からホワイトや絵の具を重ねたりして、必死になって修正する。

これが、エアブラシ(原理はカラースプレーのようなもの)の場合は修正すらできない。
この、「絶対に失敗できない」というプレッシャーは辛い。

それが、Photo shop のエアブラシツールだと元に戻れるんだから……。
ウソみたい。

「人生に、『たら』、『れば』はない」とはよく言われるけれど……。
でも、あの時「〜してたら」、「〜しなければ」という後悔は尽きない。

つい、人生も(コマンド)+(Z)できたら、なんて考えてしまう。

……あ、でも、つまらない事を考えるのはやめた。
そうなったら、自分にとって良かった出来事も、他の誰かに消されちゃうかもしれないし。(結局、あんまり変わらなかったりして。トホホ……)

第一、家内から真っ先に(コマンド)+(Z)されちゃいそうだもの。(^^;)

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2005/08/21

植木鉢大移動

この前、夏の旅行に出掛けたと書いたけれど、何かと準備が大変だった。

中でも頭を悩ませたのは、植木鉢の植物へ水やりができない事。
それを人に頼めるような、ハンパな数じゃないから。

今までにも3年に一度くらいは旅行してたけれど、日の当たらない場所に移したりして、何とかしのいできた。
その移動先として、最適なのが北側のベランダ。
水をやれなくても、直射日光さえ当たらなければ何とかなるから。

でも、このベランダ、あんまり広くない。
だから、どうしても枯らしたくないものとか、暑さに弱いものの特等席。
しかも、寝室を通らないと行けないから、あまり大きな鉢は運べない。

それで、バラなんかはレジャーシートで作った日よけの下に移動。
さらに、大きな樽に植えた桜の木は、根元を樽ごとシートで囲って。

その他の鉢は、なるべく日の当たる時間が短い日陰に移すのが精一杯。
(帰ってから、真っ先に元に戻したけれど、元通りにするのも大変だったくらいだから)

……結果は、大体大丈夫だったけれど、中にはダメだったのもあり。って感じ。

水分の蒸散を抑えるため、ペチュニア等、切り詰められるものは全て切り詰めたんだけど。(枯れるよりはと、いっとき花は諦める事に)
それでも一番ダメージを受けたのが、やっぱりペチュニア。

趣味のガーデニングは、のめり込むと際限がなくて……。

意識してブレーキをかけないと、楽しいんだか辛いんだか分からなくなってしまう。
そこで最近は、距離を置くのを課題にしている私。

旅行に行く事は前々から分っていた事だし、それを承知でしてた事。
自分の趣味より、やはり家族の一大イベントを優先するべきでしょう。

ここは一つ、気持ちをスッパリ切り替えて、秋の花に期待する事にいたしました。
 
8_19petyunia
 
 
 
最盛期には及びませんが
それでもまた
咲き始めてくれました。
 
 

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2005/08/18

賑やかな乗客

お盆休みに実家に行った。
日帰りできる距離だから、「里帰り」という感覚ではないんだけれど。
その、帰りの車中での事。

折しも、その日は「東京湾大華火祭」。
駅に停車するたびに、浴衣姿の女の子達が乗り込んできた。

座っている私の前に立った「その乗客」も、そんな女の子の二人連れ。

「大学生んなったら、高校生ん時より門限がキビシクなっちゃってサァ〜」
向かって右側の子が大声で喋りだす。
「ナニそれぇ〜」
相づちを打つ左の子も、負けずに大声で応える。

……それが、延々と続いたんだけれど。
左の子が言うに、○智大のサークルが一杯で入れず、テニス部に入部したんだとか。
けれど、体育会系の厳しさに嫌気がさして、すぐに辞めたんだそう。
でも、買ったラケットのカバーには、細かな刺繍でネームが入っているから、売りたくても売れない。……とかなんとか。

その時、隣に座っていたレスラーを一般人サイズに縮めたようなオジサンが、いきなり「オメーラ、大声で話すんじゃねーよ!」と怒鳴った。

車内は一瞬水を打ったような静寂に包まれる。

しかし、オジサンに一喝されたその子達が去った後の車内には、またいつものざわめきが戻ってきた。
よほどその子達がにぎやかだったのだろう。
それはまるで、雷にかき消されていたセミの鳴き声が、戻ってきたかのようだった。


家に帰ってその話をしたら、なんとオジサンが怒鳴るまで、家内は寝てたんだと言う。
(あの大音響下で寝てられたあなたって……)
ウチの子も、ウツラウツラしてたとか。
(この二人の図太さには、いつも尊敬の念すら覚える)

「『服』とか『歯ブラシ』とか言ってた」という息子の一言で、私の記憶が一気に蘇った。

なんでも、右側の子が言うには「お兄ちゃんで失敗したから、親が厳しくなった」そう。
「コクったカノジョと内緒で暮らし始めたんだけど、ある日仕事から帰ったら部屋には彼女も服もなくなっていた」そして、「テーブルの上には『こんな別れ方でゴメン』というメモと、歯ブラシだけが残された……」
そんな内容。(あぁ……スペースが許せばもっと書きたい!)

「よっく覚えてるねぇ〜!」二人からは賞讃の嵐。
(だって、あんな大声で聞かされたら……)
おかげで、ウチはその日一番の盛り上がりを見せた。

……しかし、こうやって思い出してみると、明らかに右の女の子の「お話」の方が聞き応えがあった。
ネタの面白さといい、飽きさせないその語り口。

オジサンだって、怒鳴るにはタイミングが遅過ぎた。
だって、その子達がうるさかったのは最初からなんだから。
でも、右の子の話の上手さに思わず聞き入ってしまった。
けれど話し手が左の子に移り、話がつまらなくなった途端、ムラムラと怒りが再燃してきて……。

そんな疑いまで湧いてきた、夏の宵だった。

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2005/08/15

雨乞い

8_15konote私には、密かに「雨乞い」と呼んでいる行為がある。
それは、バルコニーに並べたコノテガシワに水やりする事。

今のマンションに越してきたばかりの頃、一鉢300円のそれを見つけた時、「コレしかない!」と思った。手すり沿いに並べれば、屋根瓦ばかりの景色よりいいし、適度な目隠しにもなってくれそう……。
そう思って買い込んだのだった。


ところで、夏の強烈な日射しを受けた草花は、すぐにグッタリしてしまう。
その姿は、「お水ちょうだい!お水ちょうだい!」と叫んでいるよう。
まるで、巣の中で我れ先にエサを欲しがるヒナ鳥のようだ。

そんな様子に追い立てられて、この季節は毎日水やりしている。
さらに、朝やってもすぐに乾いてしまうので、夕方また水をやらなければならない。
その度に、バケツ1〜2杯の残り湯を風呂場から運ぶのもなかなか大変だし、ちょっとウンザリする。

その点、針葉樹のコニファー類は、あまり見た目に変化がない。
よく見れば下葉が枯れ上がったりしているけれど、朝夕の水やりに追われていると、とてもコノテガシワまで手が回らない。

いつも「ゴメン!また今度ね」と勘弁してもらっているんだけど。
(我慢強くて手がかからないものほど、後回しになっちゃう)
そうやってグズグズしている内にも雨が降って……。というパターンに毎回救われている。(見かねた家内がやってくれることも)

それでもなかなか雨が降らないと、さすがの私も「そろそろヤバいかな?」と思いはじめる。
そうなってから、やっと年貢を納めるのがいつもの事だ。

とはいえ、いつかは雨が降る。
だから、「いくらなんでも……」と私が重い腰を上げる頃には、次の雨が降る確立が高いという訳。
そして、「せっかく水やりしたのに……」と、降る雨を恨めしく眺める事になる。

……で、「コノテガシワに水やりをすると雨が降る」というジンクスの出来上がりである。


小学生の頃、「手のかかる、やんちゃな生徒ほど記憶に残る」と言う先生の言葉に、ちょっとガッカリした私。
だって、おとなしい自分は忘れられちゃいそうで……。

でも、それは勘違いだったのかもしれない。

……こんな自分を顧みれば……。
私もけっこう「お水ちょうだい!」と叫んでたりして……。

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2005/08/12

暖かなテーブル

safiniaなんてタイトルから、和やかな食卓を想像なさった方がいるかもしれない。でも残念ながら、今回はまんま暖かいテーブルのお話。


椅子に座って手をテーブルに置く。
その時、普通はヒンヤリと感じるものだ。

しかし真夏の昼下がりともなると、それがホカホカと暖かく感じる時がある。
その暖かさで、いつも夏が本番を迎えた事を思い知らされる。
(このところ、ぐずついた天気で暑さも一休みだけれど)

私は、コレが苦手だ。

この感触の気持ち悪さ。
清少納言さんだったら、何と言っただろうと思う。


夜明けと共に日が当たり始め、私が起きる頃には既に温度計は30度を示している。
急いで窓を開け放っても、昨夜の熱気が冷める前に、室温はドンドン上がっていく。

夏の盛りになると、最高気温が36度なんて日もあるし。
そうなると、もう体温とほとんど変わらない。
そしてウチのリビングも、外気温とたいして変わらない。
ブラインドの羽根が、炎天下の校庭にある百葉箱のルーバーに見えてしまう。

当然、年期の入ったエアコンの効きも悪い。
(室外機を西日の当たる所に置いたのがいけなかった)
だから、めったにスイッチを入れる事もない。


一応、30度以上が「真夏日」という事になっているけれど。
30度なんてまだまだしのぎやすいと思う。
だって、それくらいならまだテーブルは暖かく感じないから……。

幸いパソコンのある仕事部屋は、狭いからエアコンもよく効いてくれる。(設定は28度)
ウチの子も夏休みの宿題はココでするから、一家三人がひしめきあって……。
見ようによっては、たしかに暖かい家庭かも。(暖か過ぎて暑いくらい)

けれど「やれやれ一休み」と、一歩リビングに足を踏み入れればこの暑さ。
そして「ヨッコラショ」と、椅子に座ってテーブルに手をつけば……。

暖かなテーブルが、今日も私を待ってくれている。

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2005/08/09

恐るべし麺類

私は麺類が好きである。
しかし、それと対峙した時、いくばくかの緊張を強いられるのもまた事実である。

なぜなら、麺類は「長い」という特性を持っているからだ。
箸で適当につまんでしまうと、思いのほか大量の麺がつかめてしまう。
実際につまんでいるのは少量でも、それは氷山の一画。
その下には、膨大な量の麺が連なっている。


以前テレビの番組で、楚々とした風情の女優さんが素麺を召し上がった事がある。
婉然と微笑みながらおっしゃるには、「素麺の繊細な感じが好き」。

しかし、麺鉢からすくいとった素麺の量は、私が考える3倍はあった。
「……そ〜か!麺ツユに浸した後、小分けにして食べるつもりなのか」
と、安心したのもつかの間、なんとそれをそのまま口に入れてしまった。

「い、いくら何でもそれは無理でございます!」

私が心の中で叫んだ次の瞬間。
あろう事か、その方は麺を途中で食い切ったのである。

・・・その時、私の目は点になった。
たしか、素麺の繊細さに惹かれてたんじゃぁ……。


お里が知れている私、決してお行儀がイイとは言えない。
けれど、なぜか麺を食い切るのだけは抵抗がある。

だって、その全身がツユの中でたゆたってこその麺。
食い切っちゃったら、中途半端な長さで残ってしまう。
そしてそれを繰り返していたら、全体が食べ残しみたいになっちゃいそうで……。

だだ、それは残りを自分が食べなきゃならないから気をつけてるだけ。
別に、相手がどんな食べ方をしても気にならないんだけど……。
自分だって、不用意に口に入れちゃって、食い切らざるをえない時もあるし。


これもまた、以前観たテレビのNG番組でのこと。
あるイベントを取材していた女子アナが、麺類を食べていた。
静かに麺をすすり、決して噛み切ろうとはしない……。

しかし、その健気な努力が報われようとしたまさにその時、耐え切れなくなった彼女は、「ウェッ」と口の中の麺を全て吐き出してしまった。

・・・あまりに痛ましいその映像。

これだから麺類は恐ろしい。

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2005/08/07

8月ともも展とVirtual Beauty EXPO

私のHPは、製作した3D等がメイン。
それでも、プライベートな趣味とかを最後のMy Roomのコーナーに載っけてたり。

その中の、独り言(愚痴?)のコーナーを独立させたのが、この「日常雑記」のブログ。
日々の生活雑感をつらつらと綴ったものなので、あんまりCGの話題とかには触れてないんだけれど。(語る程の知識もない、っていう現実があったりして……)

ただ今年の8月は、いつもの「もも展」Studio MOMOさんの他に、[CG美少女]All Aboutさん主催のVirtual Beauty EXPO 2005にも投稿させて頂いて。
(あ、Shade online 画像投稿機さんにもお世話になっております)
そちらの方から、HPを見にいらした方がいるかもしれないし、このブログにまで足を伸ばして下さっていたら、とっても嬉しい。

yusuzumiそこで今回は、その話題を少し。

作品をHPに載せるだけじゃ、限られた人にしか見てもらえないけれど、展覧会なら多くの人に見てもらえる。この、「見てもらえる」というのは、私にはとっても励みになること。(一生懸命やっても、見てもらえないんじゃ、やっぱり寂しいし)

だから、その機会を与えて頂けるのは、本当にありがたい。(主催者の方々にお礼申しげます。)

前出の「Virtual Beauty EXPO」は、普段ディスプレイで見ているCGを、A3サイズにプリントアウトした状態で展示するという展覧会。
ディスプレイなら72dpiの解像度ですむけれど、プリントするにはとても足りない。
(印刷だったら360dpi必要なくらいだから)

A3サイズって、決して大きくはないけれど、それでもレンダリングするとなると「一体、どれくらいの時間がかかるのやら……」。
その大きさにビビって、前回は参加できなかった。

でも、インクジェットのプリンタなら、印刷の半分くらいの解像度でもなんとかなりそう……。
そう思い至って、今回はチャレンジすることに。

なんとかレンダリングも済み、RGBをプリントする段になって、改めて気がついた事も。
「見てもらうなら、せめて美しく……」と出力を依頼することにしたけれど。
まず、CMYKでなければ受け付けてくれないプリントサービスが多くて……。

さらに大きな問題は、そのダイナミック・レンジの違い。
こっくりと綺麗に仕上がっているけれど、明るい所の諧調が重視されたのか、他が少し暗い。
きっと、暗い部分の諧調を重視すると、明るい所が白く飛んでしまうのだろう。

この、画面自ら発光する加色混合と、紙からの反射光に頼る減色混合の違い。
頭では理解していても、それをまざまざと思い知らされて。

それが、今回の大きな教訓だったような……。

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2005/08/06

不馴れなネットカフェ

sennitikoじつは、先月の末から旅行に出ておりました。

出がけに大急ぎでUPして、帰った翌日にストックしていた記事をUPするという綱渡りを敢行。(今回が久々の書き下ろしデス)
ついこの間、「三日に一度の更新」なんて書いたくせに、このところUPが不規則になっていたのはそのせい。

もともと私のは、そんなにコメントを頂けるブログでもないし、「ま、大丈夫かな?」と……。
ホテルの近所にネットカフェでもあったら、そこでチェックしようとの目論見。(自分のPHSじゃネットにつなげられないみたいで)

だけど、ネットカフェ自体あまり利用した事がないし、そこで書き込みをした事もない。
ましてや、行った事もない所の設定がどうなっているのかなんて分からない。
不馴れなネットカフェで、ちゃんとコメントの返信ができるのかとっても不安。

でも、そんな心配は杞憂だった。
家族がテレビを観ている時に、ホテルを抜け出して近くのネットカフェへ。
(一緒に行動してる時に、勝手な事をするのも気が引けるし……)
マックとキーの配列が違うウィンドウズにまごついたけれど、何とかクリア。
(旅先で、ひとつだけ返信しました)

1時間300円で、お飲み物付き。(なんてゴージャスなんでしょ!)
見馴れぬディスプレイで見る自分のブログは新鮮で、お客さんになったみたい。
これもまた、日常を離れた過ごし方の一つではないだろうか。(……と、言い訳も一つ)


しかし、新たな不安材料が・・・。
ディスプレイが古かったのか、そこで見た自分のHPはとっても暗かった。

もともと、マックでは色が薄めに表示されがち。
自分のディスプレイで丁度良いと、ウィンドウズでは濃く表示されてしまう。

それは一応気にかけてはいるんだけど……。
ただ、メリハリがなくなるのは(印刷で「眠い画像」と呼ばれるもの)どうしても避けたくなってしまう。

もしかして、いつもあんなにクドくて暗い画面を晒しているんだったら・・・。

ちょっとメゲそう……。
 

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2005/08/03

鴨の水掻き

「鴨の水掻き」という言葉。
それは、呑気に見える鴨も水面下で常に水を掻いている事から、人知れぬ苦労が絶えないという意味だとか……。

言い換えれば、人知れず努力を重ねるという事だろう。
あくまでも、それを人に見せないという美学もあると思う。

そこへいくと、私はちょいと恥ずかしい。
悲しい事は「悲しい」と言い。辛い事は「辛い」と言う。

確かに、弱音を吐く事を潔しとしない考えもあると思う。

ただ私の場合、「悲しい」と書くと、その言葉が悲しみを吸い取ってくれる様な気がする。
「辛い」と書いただけで、その言葉が辛さを引き受けてくれる様な気がする。
そして、ほんの少しだけ元気になれる。

私もスマートに生きて行きたいんだけれど……。
でも、らしくない事を真似しても上手くいくとは思えないし、できたとしても、それはもう自分ではないような気がする。

それでも、「強靱」な心は持てるようになりたい。
「強堅」さは、それ以上の「強堅」さに出会った時、ポッキリと折れてしまう。
しかし、「強靱」さは、いっときたわんでも、また元に戻るしなやかさを持っている。

鴨の水掻きで、その岸辺に辿り着く人もいるだろう。
けれど、私は弱音を吐きながらでも、一歩一歩その高みを目指して行きたい。

そして、やれやれと腰を下ろして周りを見渡して……。
「あぁ、ここまで来たんだ……」

そんな風に思えたら、いいなぁ……。

fujisan
 
 
 
先週の台風一過(?)の朝。
いつになくクッキリと見えた富士山。

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