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2005/09/29

ちょんまげの陰謀

この前、お歯黒の慣習には社会的悪意を感じると書いたけれど。
実は、密かにもっとエグイと勘ぐっているものがある。

それは、お侍さんのちょんまげ。
スッパリ頭頂部の髪だけを剃り落としている。

……よく言われているのは、「兜(かぶと)を被りやすいように」なんて理由。
だけど、どうもそれでは納得できない。

だって、世界中どこの国でも戦の時はカブトを被ってた訳だし。
日本だけ剃らなければならないっていうのは、合点がいかない。
いや、日本だって鎌倉時代までは髷を結うだけで、髪の毛はそのままだったような。
室町時代になって、やっとちらほら髪を剃る人が出てくるけれど……。


それはそうと、人間は老いてくるとまず目が衰える。
それから歯。虫歯がなくても、それを支える歯茎が弱ってくる。
さらに、個人差もあるけれど、相対的に髪が薄くなる。

私も、すでに老眼が始まっているし、ただでさえ歯質の弱い歯は、かろうじて残ってはいるものの、それもちょと怪しくなってきた。(日本人には歯槽のう漏が多いんですって)

しかも父の場合、私が物心ついた時には既に頭頂部に髪はなかった。
ということは、私の髪もコレから先どうなるか油断がならない。
丁度、ちょんまげで剃り落とす部分が弱々しくなったような気もする。

そう考えると、お歯黒といい、ちょんまげといい、何故か老いのイメージと符合する事に気がつく。


歴史をひも解くまでもなく、独裁者って、とんでもない事を考えつくものだ。
全て自分の意のままにしないとおさまらない。
そして、権力者は往々にしてお年を召している。

その中に「みんな坊主にしちゃえ!」と思った独裁者が、一人もいなかったと言い切れるだろうか。

それは、別に本人が指図するまでもない。
権力者に取り入ろうとする家来が、「拙者も……」と、理屈を付けて真似をした可能性だって考えられる。(太鼓持ちが迎合するのは世の常でございます)

これは、ちょっと穿った見方かもしれない……。
けれど、私は未だにその疑いを払拭する事ができないでいる。


●念のため、「ちょんまげの歴史」で検索してみた所、まったく同じ事を考えてらした方がいらっしゃいました。(^^) 郷土玩具の杜 さん

↑ぽぱいさんはブログもなさっていました。
笑い豚: ちょんまげ

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2005/09/26

死語の世界/その後

2月10日 靴が鳴るの記事で、今となっては使われなくなった「死語」の話題に触れたけれど。

その時「言わないようにしている」と書いたものの、それはやはり努力目標でしかなかったらしい。
このところ、どうも歯止めが効かなくなっちゃって……。
最近はチョットあきらめモード。


それは、家内の運転する車で、買い物に出かけた帰り道での事だ。
私はウチの子と一緒に後部座席に座っていた。

家の近くの路地に差し掛かった時、男女の二人連れと出くわした。
初夏だったのだろう、お日和に誘われてそぞろ歩いている。

狭い道ゆえ、横に並んで歩いている人を除ける時は注意が必要だ。
人の運転とはいえ、やはり気になってしまう。

その二人連れを追い越し、ヤレヤレと思ったのも束の間、また向うから男女が……。

「今日は、いやにカップルが多いね」と言おうとした時。
なぜか私の口は、「アベックが多いね」と発音していた。

「しまった!」と思っても後の祭り。
一瞬の静寂の後、車内は爆笑の渦に包まれた。


……しかし、そんなのは序の口だった。

つい先日、やはり買い物に出かけた折の事。
今度は、コンビニの物陰からベビーカーを押した家族連れが出てきた。

その時、なんと私の口からは「乳母車に気を付けて」という言葉が飛び出した。

「三つ子の魂百まで」。人の記憶というのは恐ろしいものだ。
数年前までは、自然に「ベビーカー」と言っていたのに。
久しぶりにそれを見た途端、口を突いたのが「乳母車」とは。

それからというもの、ウチの子はベビーカーを見るたびに「ホラホラ、乳母車だよ!」と嬉しそうに言う。

人間、「努力すれば何とかなる」という希望がある内は頑張れる。
しかし、ある一線を超えてしまった時、それはもろくも崩れ去る。

最近ではもう、自分の口からどんな死語が飛び出しても、驚かない境地にまで達してしまったようだ。


どうも「家内の運転」で、「後部座席」に座っている時。
死語の世界の入口は、私の横で口を開けているらしい。
 
9_24higanbana
 
 
 
誰に手折られる事もなく
ひっそりと咲いていた彼岸花。

「情念」という言葉を思わせる佇まい。
 
 
●ぽぱいさんの「死語の世界」は、ひと味ちがいます。(^^)
笑い豚: 死語の世界…Part1

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2005/09/23

お歯黒の陰謀

子供の頃、テレビの時代劇を観て不思議に思った事がある。
「なんでお侍さんがアイラインを引いているのだろう?」

そんな、不思議とも思える時代劇の「お約束」は様々。
今じゃちょんまげにスパンコールをお召しになったりして。
(あ、コレは違うか)

ところで、時代劇と言えば「お歯黒」も気になる。
当時の既婚女性は、皆していた筈だけれど、時代劇では省略するのがお約束らしい。

無気味さを際立たせるために、役どころによっては敢て黒くしている場合もあるけれど、やはりそれは例外というもの。
いくら美しい女優さんでも、ニッコリ笑ったら歯が真っ黒、では興醒めしてしまう。(ちょっと歯を黒くしただけでも可笑しいのは、お笑い番組を観れば分かりますもんね)

最近では、日本でも歯の矯正をしている人をよく見かけるようになったけれど、それだけ「歯」の大事さが認識されてきたのかもしれない。(芸能人を見ても歯並びの悪い人はまずいないし、デビュー前に何とかするらしい)
それ程に、歯は重要な意味を持っている。(あぁ……。自分にも一本、差し歯にしたい前歯があるんだけど……)


それなのに、当時真っ白い歯をしていたのは、子供か郭(くるわ)の女性くらい。
いくら綺麗な格好をしていても、お金で遊廓に縛り付けられる人生は切ない。

かといって、まっとうな人妻たらんとすれば、歯を黒く染めなければならない。
いくら慣習だったからとはいえ、その心情はいかばかりだったのだろう。

黒い歯が平気と思えるほど、それは美意識を左右するものだろうか。
そこに、社会に認められるための「諦め」はなかったのだろうか。

華やかな女性は貞節を諦め、貞節な女性は華やぎを諦めるストイックな社会。
そこには、ある種の政治的悪意を感じる。

社会の歯車の一つにならなければ、自分の居場所を見つけられなかったあの時代。
勝ち組も負け組も、哀れだったような気がしてならない。
 
9_22kuwagata
 
 
 
ビニールポットに出来た穴を覗いたら、
中にいたクワガタさんに威嚇されました。
もしかして、そこで冬眠する気ですかぁ〜?

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2005/09/20

終わってしまった夏

夏の終わりは寂しいもの。
これは、いくつかのブログさんで書かれていた事。

しかしそれは、秋が深まった頃の寂しさとは違う。
冬の気配を感じだした頃の、もの思う寂しさとは、また違った感慨のような気がする。

朝夕涼しくなったとはいえ、まだまだ残暑は厳しいし、暑さにはもうコリゴリなのに……。
ふと、その寂しさって何なんだろうと、自分なりに考えてみた。


基本的に、寒さが苦手な私は冬が嫌い。
だから、3月になって寒さから逃れられた時の解放感はひとしおだ。
時は春、すべてが良い方向へ動きだしたような錯覚さえ覚える。

そして、その3月を始まりとすれば、8月の終わりが丁度折り返し点になる。
その、3月と一番遠い季節。
夏の終わりは、折り返してしまった寂しさなのだろうか。

あるいは、せっかくの休日を寝過ごしてしまったような……。
なにか取り返しがつかないような、焦りの感覚に近い。


今月最初の週末、近所の市民プールの脇道を歩いてみた。

もう9月だというのに、そこは過ぎてゆく夏を惜しむ人達で賑わっている。
その時、「しまった!」と思った。
まだプールは終わっていなかったんだ。

別に、泳ぎたいと思った訳でもないのに……。
なにか、「取り残された」ような寂しさを感じてしまった。

夏に取り残されたような寂しさ。
そこで泳いでいた人達は、それに突き動かされてこのプールに来たのかもしれない。

ならばその人達は、きっとその「寂しさ」をここに置いていける。
そして、明日から新しい季節に向かって歩いていける。

なのに自分は、それすらできなかった。
自分はまだ、「終わってしまった夏」の中にいる。


私が秋を好きになれないのは……。
もしかしたら、毎年それを思い知らされるからなのかもしれない。
 
9_19enokoro
 
 
秋来ぬと
目にはさやかに 見えねども
風の音にぞ おどろかれぬる

藤原敏行

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2005/09/17

現実逃避

この言葉、あまりイイ意味で使われる事はない。
でも、私がけっこう頼りにしてる手段でもある。

もちろん、避けて通る事のできない問題には、正面から取組まなければならないけど。
ただ、アレコレ考えても詮無い事って案外多かったりして。

さっさと気持ちを切り替えられればいいんだけど……。
そうそう上手くいく時ばかりじゃないし。

「眠らなければ……」と焦ると、却って眠れないように。
「考えないようにしよう」と思えば思う程、頭の中はその事で一杯になってしまう。

そんな時、私は現実逃避をする。
少なくとも、その間だけは何も考えずに済むから。

落ち込みの程度が軽ければ、植木に水やりしたり、しようと思っていた植物の植え替えをしたり。
そんな事をするだけでもかなり気が晴れる。

それが、やや重症になってくるとちょっと厄介だ。

ガーデニングくらいでは気分転換にしかならないし。
……そうなると、私はひたすら製作に逃げ込む。

現実逃避でするのだから、いくらでも打ち込めるし……。
案外自分を追い込むには適した状態だったりする。
(辛いだけより、それで作品が出来るんならメッケモンでしょ?)

ただ、それにも行き詰まっちゃうと困るんだけど。


昔のドラマなんかに描かれていた小説家の先生は……。
文机にキチンと積まれた原稿用紙を前に、あぐらをかいて座っている。
おもむろに万年筆を取り上げるけれど、一行書いただけで筆が止まる。
そして、やにわに頭を掻きむしったかと思うと、それをクシャクシャっと丸めてポイ。

……なんか、「苦悩」してるって感じがカッコイイ。

比べものにはならないけれど。
キーボードをバンバン叩きながら、ディスプレイに向かって吠えているのは、サマにならずに口惜しい。

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2005/09/14

知らぬが仏

oridururanこれは、家内がまだ高校生だった頃のお話。
通学の時は、いつも近所の同級生を誘って、一緒に登校していたのだと言う。

そんなある日の事。

いつものように玄関から出てきたその子は、なぜかいつもと違う格好だった。
それを見た家内。「アレ?」とは思ったが、何か訳でもあるのだろうと、たいして気にも留めなかったそう

そのまま何事もなく電車に乗り、学校の門まで来た時。
どうしても好奇心を押さえられなくなった家内はたずねた。

「ところで、どうして肩にタオルを乗せてるの?」

……そう、その子はブラッシングの時に肩にかけたタオルを取り忘れていたのだ。

肩のタオルを見て、「そんなもんだろう」と納得した家内のスゴさはさておくとして。その時、他の乗客がどう思ったかを考えると興味深い。

これが一人っきりだったら、「気がついてなのかな?」と思われただろうけれど。
隣に連れがいたら、まさか本人が知らないとは思わない。

彼女にとって、家内と一緒だったことが幸運だったのか。
はたまた、一人でいた方が幸せだったのか。
……なかなか難しい問題である。


なんて書いていたら、自分にもそんな事があったのを思い出した。

10年以上前の事だけれど、頬にできたニキビ。(ハイハイ、私の歳だと「吹き出物」ですね)それがなかなか治らない。
外科に行って診てもらうと、「ニキビのお化け」だそうで、詰まっていた脂肪を切除してもらった。

ホッペタにちっちゃな絆創膏を貼ってもらい、ヤレヤレと帰る時。
向うから歩いて来た若い女の子とすれ違った。
その時、その子が一瞬恐ろしいものでも見たような顔をしたのが、ちょっと気になったんだけど……。

ウチに帰って鏡を覗いた時、その訳を悟った。

絆創膏の下から、クッキリと一筋鮮血が垂れていたのだ。
どうやら駅前の自転車置場まで、私は血を滴らせながら歩いていたらしい。
(一応、駅の向うにはパルコがあるような繁華街なんですぅ)

知らぬが仏とは良く言ったもの。

「♪どうせ私をだますなら だまし続けて欲しかった」
なぜか、バーブ佐竹さんの歌が聞こえたような気がした私なのだった。

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2005/09/11

ハイリスク・ハイリターン

8_31kufea貯蓄とか株式とか、資産活用でよく使われるこの言葉。
もうけが大きいもの程、危険を伴う。
ことわざだと「虎穴に入らずんば虎兒を得ず」ってところだろうか。

だけど若い頃、私は正反対の考え方をしていた。

「リスクがあるくらいなら、良い事なんて無くてイイや」
ただ日々を送るだけでも精一杯なのに、これ以上イヤな目に遭うくらいなら、退屈な方がまだマシだと……。

マイナスがあるくらいなら、プラスなんていらない。
プラス・マイナス・ゼロ。
心穏やかに、やり過ごせる事だけを願っていた。(つまんないヤツゥ)


それがいつからか、「楽しむためなら、多少のリスクはしょうがないのかな?」
なんて考えられるようになった。
「楽しいと思う事が、イヤな事を乗り越えるエネルギーになるのかも……」
そんな風にも思えるようになった。

日がな一日、凪いだ海を眺めるだけの毎日。
岬の向うに打ち寄せる波を、横目で見ている事に嫌気がさしたのだろうか。

いや、そんな平穏無事なだけの日々なんて、ある訳もなく……。

「何もしなくてもイヤな事が訪れるのなら、せめて楽しい事は楽しまなくちゃ」
と、開き直ったのかもしれない。
(自分から行動を起こさなきゃ、なぁ〜んにも変わンないのヨねぇ……)

とはいえ、今でもリスクに二の足を踏む事は多々あるし。
せいぜい砂浜に打ち寄せる波と戯れている程度。


…それでも、自分にとっては結構エキサイティング。
(穏やかに見えても、高波は不意にやって来るものだしネ)

これくらいが、「身のほど」なのかもしれない。

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2005/09/08

その場しのぎ

8_31agehaこの前、耳が痛い言葉として三日坊主の記事を書いたんだけど。
他にもドキッとする言葉がたくさんある。

その最たるものが「その場しのぎ」。
「とりあえず……」、「さしあたって……」。
自分の行動には、いつもこんな言葉がつきまとう。

たとえばハンドルネーム。
自分のは、ただローマ字表記にしただけ。
なのにHPには……、というイイカゲンさ。


もともと、ウェブに書き込みをした事なんてなかったし、ハンドルネームも考えてなかった。
だから例の「もも展」に初めて投稿した時も、漢字の名前だったほど。
その後、新たに開設された「Shade online 画像投稿機」に投稿しようとした時、当時はハンドルネームばかりで漢字の名前がないことに気がついて……。

にわかに私の中の「日本人の遺伝子」が騒ぎだした。

「なんか目立っちゃいそう……」
そこで、「とりあえず」ローマ字にしたのが事の始まり。

そもそもHPを立ち上げた時、トップの画像に記名してたんだけれど。
「テキストで名前を入れとかないと、検索に引っ掛からないよ」なんて兄に言われてしまった。
作品集として始めたことを考えれば、「ふぅ〜ん、そうなんだぁ」と……。

「その場しのぎ」で付けたHPのタイトルを変えようとした時も、一応考えはした。
「サイトフォルダの名前を変えちゃったら、ブックマークに登録してくれている人達にはNOT FOUNDになっちゃわないのかなぁ」とか。

いろいろ人に聞いてはみたけれど、ハッキリした答えはなくて。
「さしあたって」2ページ目からフォルダ名を変える事に。


以前、「バカ占い」のサイトで、「計画性もなく、その場しのぎの行動に出る『ノープラン・バカ』」との御託宣を受けた私……。

こうやって考えると、やっぱりそれは当ってました。

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2005/09/05

撮影現場その3

とはいえ、いつまでもお邪魔しているわけにもいかない。
結局は、衣装さんと一緒にハンガーに囲まれた寝室にこもっているしかなかった。

我が家であって、我が家でない……。
こんな時の所在なさというのは何とも言えないものだ。

お昼休みにスタッフが出払った家で、(エアコンは止めて行ってね)一人留守番しながら食べるロケ弁。
豪華ではあっても、それはあまり美味しく感じられなかった。

寝室に控えていた衣装さんとのお話も尽きた頃、午後になって刑事役の羽場裕一さんがお出ましになった。
この羽場さん、とても気さくな良い方で、あるじの身の置きどころない心情を察してか、しばし話し相手になって下さったのだった。

PTAの集まりが終わり、学校から帰って来た家内は、撮影中のために家に入れず、ロケバスの中でロケ弁を食べたという。しかし、最後には一緒に羽場さんとお話できたし、この場合そっちの方がお得だったような気がする。


なにはともあれ無事撮影も終わり撤収となったのだけれど、今回のお礼は現金で頂いた。いろいろ気苦労はあったものの、やはりキャッシュはありがたい。
(ちなみに、「お家賃の半分程度」が相場だとか)

余談ながら、例の暗幕の設置作業中、ウチの子が育てていた教材のミニトマトの鉢を、スタッフが転がしてしまうというアクシデントも。(学校から帰った息子の、「トマトが落ちてるぅ〜」の一言で、福沢諭吉さんが一枚増えました)
その瞬間、ウチのミニトマトは日本一高価な値が付いたのだった。


しかし、たかだか六・七年前の出来事なのに…。まるで夢だったかのように実感がない。(コロッと忘れてたくらいだから)

特殊な状況に置かれた時の記憶というのは、案外そんなものなのかもしれない。

今じゃ壁紙も汚れて、ペンキも剥がれだしているし……。
もう、こんなお話はやって来ないだろう。
 
8_19senniti
 
 
 
 
よく見ると
繊細な千日紅の花。
 

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2005/09/02

撮影現場その2

それは、いつも「ピンポ〜ン!」というインターホンの音から始まる。

突然の依頼は、最初の撮影があってから数年後のことだった。
最初があまりにもアッサリと済んでしまったので、何も考えずに今度もOKしてしまった。

しかし、前回は主人公の訪問先という設定だったけれど、今回は犯人である主人公のお住まい。
しかも、2時間のサスペンスドラマである。
そんな簡単に済むハズもなかった。

狭い2LDKは大勢のクルーで溢れるばかり。
寝室にはちゃっかりとハンガースタンドが置かれ、結構な量の衣装が掛けられている。
そして、仕事部屋にはライトの支柱や撮影機材が所狭しと並べられた。

なんでも、夜のシーンから先に撮影するとか。
窓という窓には外側から黒い暗幕が張られ、完全に外光が遮断された。
なんのことはない、家中丸ごとスタジオに変身である。

そんな中にいらっしゃったのは、犯人役の根岸季衣さんと、その友人役の大島智子さん。
が、何といっても殺人事件がらみのサスペンスドラマ。
お二人とも役に入り込んでいて、声を掛けるのも憚られるような御様子。

そんな重苦しい雰囲気の中、撮影が始まった。

洗面所には監督さんが陣取り、モニターを覗いている。
「見ますか?」のお言葉に甘えて拝見したその画面。
そこに写っている部屋は、いつも見慣れた我が家とは思えなかった。

さらに撮影が佳境に入ると、女優さん達は台所で包丁を振りかざして「死ぬの生きるの」という熱演を繰り広げだす。
根岸さんが、泣いてすがりつく食品ストッカー(取っ手がタオル掛けになるというスグレモノ)。
そこには、ウチでいつも使っているフキンが写っているのに……。

……その時になって、初めてえらい事になったと悟った私なのだった。
 
8_18sikuramen
 
 
 
新芽を出した
ミニシクラメン。

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