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2005/10/20

寂しさの形

924susuki幸せの形はどれも似ているけれど、不幸にはそれぞれの形がある。

そんな言葉があるけれど。
人生の数だけ、不幸の数もあるような気がする。

もし仮に、幸運にもその「幸せの形」に巡り合えたとしても……。
今度は、それを何一つ失いたくなくて、怯え続けたりしないのだろうか。
それでもまだ足りない何かを、求め続けたりしないのだろうか。

「不幸」を、それが満たされない「寂しさ」と言い換えたら。
一人で生まれてきて、一人で死んでいくまで、人はそれぞれの寂しさを抱いて生きて行く。
なんて言葉に辿り着く。

その寂しさを埋め合わせるために、出会いを求めて彷徨しても、決してそれは完全には埋められない。
いつも何かしらの隙間が付きまとう。

指紋で個人が識別できるように、元々それぞれの寂しさの形が違うのだから。

でも、だからこそ、一部分でもその隙間を埋められた時の喜びは大きい。
だからこそ、そんな出会いが尊いような気もする。


はるか昔、最期の時を迎えた王は、多くの奴隷を道連れにしたという。
古墳時代の埴輪は、その代わりだと聞いた事もある。
支配者は、そうやって最後の寂しさを紛らわせようとしたのかもしれない。

しかしそれは、そんなことで相殺される筈もない。

豊臣秀吉が、死の床で「世継ぎの秀頼を頼む」と言い遺した時。
あれほどの人物が、徳川家康の将来の裏切りを予感しなかったとは思えない。
それでも、家康にそう言わずにいられなかった秀吉。

いくら天下人とあがめられても、それは安らかな最期と言えるのだろうか。


生きて行く寂しさ。

そこからは、いっとき目をそらす事ができたとしても、逃げ続ける事はできない。
だったらそれは、最後の寂しさを受け入れるための、模擬試験なのかもしれない。


なんて……もの思う秋の日、少々感傷的に。
 

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