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2006/02/20

追いつめられて

xmassrose昔、そんなタイトルの映画もあったような気がする。

「窮鼠猫を噛む」とか「火事場の馬鹿力」とか。
追いつめられると実力以上の力が出せたりする。

でも、それは良い面が出た場合。

いつもと違う自分が出てしまうって事は、悪い面が出る可能性もある。
苦し紛れにジタバタして、かえって醜態を晒してしまったりとか。


これは、松本清張さんの作品で知ったんだけれど。
「カルネアデスの船板」という考え方があるそうだ。

海に放り出された二人の前に流れて来た板。
二人じゃ沈んでしまいそうで、どちらか一人だけしかつかまれない。
そんな時、相手を蹴落として自分だけ助かろうとする。

その行為は是か非か?を問うたギリシャの哲学者がいらしたとか。
(法律用語では、それを「緊急避難」と言うらしい)


有名な「蜘蛛の糸」のお話だと、健陀多(カンダタ)が細いクモの糸にぶら下がっている。
下を見れば、その後を大勢の人間が……。
クモの糸が切れるのを心配したカンダタが、他の人間を蹴落とした行為。
考えてみればそれも、「緊急避難」と言えそう。


どれも見苦しい行為で、平素なら糾弾されてしまうけれど。
それが許されてしまうのは、それだけ「切羽詰まった」状況が、人を尋常でない行動に走らせるという事だろうか。

そこまで行かなくっても、追いつめられた時にポロっと本当の自分の姿が出てしまう、なんてのはよくある事。
そんな時、自分がどんな情けない振る舞いをしてきたか、思い出すと顔が赤くなる。


作家の故森搖子さんのご主人はイギリス紳士で、絶対に走らなかったと、何かに書いてらっしゃった。
そのため飛行機に間に合わず、成田から引き返して来た事も一度や二度ではなかったそう。
(私だったら汗かいて走りマス)

チケットを無駄にしてでも走らない。
そこまで徹底して紳士道を貫けたら、どんなにか潔いだろう……。

そう、思うだけなら自分にもできるんだけど。

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コメント

はじめまして
笑い豚 ポパイさんのところから来ました。

47になって、走らなく、いや、走れなくなりました(笑)

嵐山光三郎先生の不良中年を目指していますがまだまだです。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: 楽笑 | 2006/02/20 13:40

 
楽笑さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。(^^)
楽笑さんのお名前は、私もぽぱいさんのところで拝見していました。

>47になって、走らなく、いや、走れなくなりました(笑)

あは!そうそう。
実は私も息が上がっちゃうんですけどね〜。(^^;)
ナイスな不良中年目指して、がんばって下さいね♪

こちらこそ、よろしくお願いします。

投稿: nanbu | 2006/02/20 16:21

>そんなタイトルの映画もあったような

「追いつめられて」 ケビン・コスナー主演 
これ 面白かったです~♪
最後にどんでん返しがあって 見事騙されましたよん(^_^)

あっ 映画の話は置いといてぇ、、
切羽詰ると意外と根性座ってしまいます
諦めが悪い とも言うんですが、、(^_^;
ジタバタするところを見せたくない
要はエエかっこしいなんだなぁと
この記事読んで納得しました(^^)
 

投稿: miki | 2006/02/21 15:07

 
mikiさん、コメントありがとうございます。(^^)

実際に観たわけじゃないんですけど、タイトルが印象に残ってて。
ケビン・コスナー主演だったんですか。
(この時点で、すでにアウトですね。)(^^;)

>切羽詰ると意外と根性座ってしまいます

あぁ、羨ましいです。
やっぱり、人それぞれ違うんですね。
私もそうなりたいんですけど、
散々ジタバタして、落ちるトコまで落ちてからじゃないと…。
中間を省けるといいのに。(T_T)

投稿: nanbu | 2006/02/21 19:12

「蜘蛛の糸」のお話は、深いですよねぇ。
 ただのお話と言えばそれまでだけれど、実際に置き換えるととってもシリアスに思います。
 たとえば、自分の大切な家族が臓器移植しないと助からないとしたら。脳死したひとから移植を受けたいけれど、脳死の人の家族からすれば大切な肉親がトドメを刺されるわけですからね。
 でも必死に生きる姿が生物の本来なのかもとか思ったり。……難しいですね。

 ちなみに僕は「泣きっ面に蜂」や「やぶへび」「虻蜂取らず」ばっかり経験しております。
 (TдT)

投稿: ろぷ | 2006/02/22 07:19

 
ろぷさん、コメントありがとうございます。(^^)

肉親が植物状態になって、人工呼吸機を外すかどうか医師に尋ねられた方が、「生きてさえいれば、温かい体に触れる事ができる。」と悩んだ、という新聞記事を読んだ事があって。
その状況になった人にしか、見えて来ない心境があるんだと、深く考えさせられました。

>でも必死に生きる姿が生物の本来なのかもとか思ったり。……難しいですね。

ろぷさんの、その視点が好きなんですよね。(^^)

投稿: nanbu | 2006/02/22 09:41

こんにちは。
子供の頃、母から聞かされた話…
なんか、船が沈没する事件があったときのことだそうです。
母が父に「子供や私と一緒にいて、同じ状況になったらどうするか?」と
問うたところ、父は「まず自分が助かろうとする」と答え、それに対して母は
「私ならまず子供を助けようとする」と憤慨したとか…
子供である私にその話をしたことの是非はこの際置いておきまして…。
私はこの話を聞いて、母の答えは、母親という立場としては
やっぱりそうなるのかなと思いましたし、父の答えも正直だなぁと思いました。
実際にそういう状況に置かれたら二人がどんな行動に出るかは永遠に謎ですが。

自分は、いざとなったら覚悟が決まるような気もすれば、基本的には
自己中人間なことを考えると、あっさりとカンダタになるような気もします。
でもま、できれば、そんな選択を迫られる場面には遭遇したくないです~

投稿: ポージィ | 2006/02/22 11:01

 
ポージィさん、コメントありがとうございます。(^^)

そんな時、男ってテレちゃうんですよね。
そして、悪者ぶりたくなるような気がします。
私はそこに、「確信を持てない事は言いたくない。」というお父様の真摯な姿勢を感じました。
きっと、男らしくて真面目な方だったんですね。

投稿: nanbu | 2006/02/22 18:27

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