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2006/02/23

諦観の中にあったもの

koisi1ある時、「透徹」という言葉が頭に浮かんだ。

「透」の澄み渡った感じと、「徹」の字から受ける一途さと強さ。
そのイメージから、なんとなく気に入っている言葉。

すべてを見通しているんだけれど、「冷徹」とは違った穏やかな印象を受ける。

もちろん、そうなったら@nifty辞書で調べなくっちゃ。
……すると。

【透徹】
(1)すきとおっていること。澄みきっていること。また、そのさま。
「—した空気」「晩秋の気透徹にして和適/欺かざるの記(独歩)」
(2)筋が明確にとおっていること。一貫していること。また、そのさま。
「—した論理」「—した洞察力」

……あれ?
澄んではいるけれど、べつに「見通した」という意味はないみたい。
そこで、自分としては同じ穏やかさを感じている「諦観」で調べてみた。

【諦観】
(1)全体を見通して、事の本質を見きわめること。 「時代を—する」
(2)悟りあきらめること。超然とした態度をとること。

おぉ……。
「諦」の字はあっても、決してネガティブな意味だけではないようだ。
しかも、自分が抱いていた「透徹」のイメージをも含んでいるではないか。

私が思っていた「透徹」は、「諦観」の中にあるのだろうか。


なにか、長い時を経て辿り着いたような。
漂泊の中で色が褪せ、透明になったような。

渓谷から崩れ落ちた岩が流され、山裾まで運ばれる。
そして、野を流れる川岸で、静かに丸くうずくまっているような。
そんな穏やかさ。

やがてそれが河口まで運ばれた時、いつしか小さな砂粒となって混じりあう。
もう、その時にはどの砂がどの岩のものだったかなんて分からない。
分かる必要もない。

でも、その一粒一粒には、しっかりと刻まれたものがある。
そんな、透き通った穏やかさ。

あとはただ、打ち寄せる波に洗われるだけ。
ゆっくりと堆積し、「時代」というひとつの地層になっていくまで。


……な〜んて思えれば苦労はないんだけど。
未だに角の取れないこの私。
アッチコッチがぶつかって……痛いわぁ。

hiyodori_sutokku
 
 
 
ヒヨドリに
食いちぎられたストックの花。
あんまりですぅ。(T_T)

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コメント

河原の丸っこい石の写真とも相まって、なんと優しい気持ちに
してくれる文章でしょう。
そっと優しくゆすぶられているような、そんな心地よさを感じました。
ん、nanbuさんが意図されたのと違いますか?

きっと最近の私、すごくゴツゴツしていて、そう、できたばかりの
硬い角などもある石っころなんだと思います。
だからなんだかじわっと… (^^)

下の写真、何の花だろうと思いましたよ。
ヒヨドリさんのお食事跡でしたか。あちゃぁ~お気持ちお察しいたします(; ;)

投稿: ポージィ | 2006/02/23 09:27

 
ポージィさん、コメントありがとうございます。(^^)

>そっと優しくゆすぶられているような、そんな心地よさを感じました。
ん、nanbuさんが意図されたのと違いますか?

いえ、意図したと言うより、この記事を書いていた時、まさにポージィさんがおっしゃっているような気分でした。
ひと月くらい前の、冬の中にポッカリと現れた暖かい日で。
穏やかなお日和の中で、ぼんやり物思いに耽ってました。(ヒマ…とも言いますね。)(笑)
その感覚を汲み取ってもらえたとしたら嬉しいです。

泣いたり笑ったり、痛がったりするのが、生きて行くって事なんでしょうか。

このストック、冬の寒さにも負けずに、たわわに咲いてたんですよ。
最近は、ヒヨドリ攻撃にも目くじら立てなくなってたんですけど。
やっぱり、諦観の境地にはなれないようです。(^^;)

投稿: nanbu | 2006/02/23 11:38

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