« 収・納 | トップページ | インディアン »

2006/06/03

繭の中の世界

5_25_1もう、ずぅっと前のような気がしてしまうけど。

ゴールデンウィーク。
実家にも顔を出して来た。
母の日には早いけれど、誕生日が4月だから。
いつからか、GWに行くのが恒例になってしまった。

昼間からビールを飲んだりして。
いい気持になったところで、散歩がてらに外へ。


考えてみれば、もう何年も近所は歩いていない。
駅から実家までの道を、ただ往復するだけ。
かつて自分の世界は、そこだけだったのに。

中学生になる時に一度引っ越ししたものの、同じ町内を移動しただけだし。
その町は自分が生まれて育った所だ。

以前住んでいた家の前は、両端がT字路になった路地。
大人になってからそこを通ったけれど、記憶していたよりずっと狭くて驚いたものだ。

両側に6軒ずつ家が並んだ、こじんまりした空間。
だからそこは、子供が遊ぶには格好の場所だった。
ロウセキで絵を描いたり、なわとびをしたり。
自転車を練習したのもそこだった。


それが成長するにつれ、だんだんそのテリトリーも広がって。
自転車で遠出をするようになると、その範囲はもっと広がった。

すると、幼い頃は狭いながらも密だったその地図は、行動半径が広がるにつれてだんだん粗くなり、中心から放射状に伸びる線に変わった。
そして、その線は所々で交差して、少しいびつなクモの巣状の編み目に。
目的地が遠くなった代わりに、その途中はただの風景へと。
やがて大人になると、もはやその糸の上を移動するだけになってしまった。

でも自分は今、その原点とも言うべき糸口にいる。


何年かぶりにこうやって歩いてみると、頭の中の地図と、現実との違いに唖然とする。
まるで箱庭の中を歩いているようだ。
シゲオ君ちにタアちゃんち。アキオ君の家もある。
でも、何かが違う。
頭の中の地図は緻密でも、何年も広げないでいる内に、黄ばんでしまったようだ。

けれど、きめ細かく編み込まれたそれは、切ない柔らかさで包んでくれる。
その感触は、羽化する前のさなぎが、やすらかな惰眠をむさぼる繭の中に似ているのだろうか。


帰り際、その路地に目をやると、さっきまでいなかった幼い兄弟が遊んでいた。
その子達にとっても、きっとその路地は世界の全てなのだろう。
あの頃の自分のように。

もう、その世界の住人ではなくなってしまった自分。

そんな自分は、そこに入ってはいけないような。
そんな気がして、そそくさと地図をたたんだのだった。

|

« 収・納 | トップページ | インディアン »

コメント

nanbuさん
読み進むうちに、まるで詩を読んでいるようにドンドン引き込まれていきましたよ。
最後のフレーズ…

>そそくさと地図をたたんだのだった

にやられちゃいました(さすがnanbuさんです)♪

子供は成長に伴い行動範囲が広がって行きますね、ウチの子供達はたまにビックリするような地名を言う時があります(隣の区まで行ったの?)!
友達同士で自転車で冒険に行っているようです。

投稿: ぽぱい | 2006/06/03 21:18

 
ぽぱいさん、コメントありがとうございます。(^^)

やられてくださって嬉しいです。m(_ _)m
今回は、ちょっとおセンチになってしまいました。

大人になると、広げたものをたたまなくちゃならない時が来るんですよねぇ。
月曜日の朝みたいに。(T_T)

>友達同士で自転車で冒険に行っているようです。

そうなんですよね〜!知らない内に行動力がついてて。
ウチの子が小学3、4年の頃、クラスで順番に日記を書く事になってたんですけど。
友達の日記から、一緒に大きな街まで自転車で行った事を後になってから知って、冷や汗をかきました。
(考えてみれば、自分もその頃にはアチコチ行ってたんですけど。)(^^;)

投稿: nanbu | 2006/06/04 07:42

神戸は震災があったので 
もう私が住んでた家は無くなってると思ってたんですけど
その数年後 ちゃんと残ってると友達から教えてもらって
遊びに行った時に元住んでた家の前まで行ってみました
「え~!こんなに小さかったっけ?」
子供の頃は 大邸宅だと思ってました(^_^;
「こんなに道は狭かったっけ?」
子供の頃は 端から端まで行くのが遠かったです(^_^;

でも 家々の雰囲気がそのまま残ってたのは嬉しかったですよ♪

投稿: miki | 2006/06/04 19:16

 
mikiさん、コメントありがとうございます。(^^)

あれほどの震災で残っていたなんて、嬉しいですね。
しかも、無くなってると思ってたのなら、なおさらですよね。
(“どうぞ このまま” 丸山圭子さん懐かしいです。)(^.^)

>子供の頃は 大邸宅だと思ってました(^_^;

うふ♪mikiさん、ナーイス!(^-^)v
でも、ほんとに子供の頃は大きく見えましたよね〜。
道も、よくこんな狭い場所で遊んでたと思うほどで。
やっぱり、体の大きさが違うと縮尺が変わっちゃうんですね。

追伸:“ダヴィンチ・コード”活字がおっきいなんて書き込んじゃいましたけど。(確かに9ptで、それまで読んでた本の8ptより大きいんですが。)今日本屋さんで比べてみたら、9ptの文庫本も結構ありました。
「大きい方」と思って下さい。m(_ _)m

投稿: nanbu | 2006/06/04 20:40

小学校低学年の頃 四国K市に数年住んだことがありました。
家の近くには神社のある小高い山があり,そのふもとの通学路は季節になると 手のひら大のカニが無数に這い出してきたものでした。
休みの日に親に連れられてその山にハイキングにきてお弁当を広げたこともあります。
でも雨が降るとぬかるんで 腰まで赤土のぬかるみに埋まったこともあります。
人気のないいなり神社は不気味でした。 
そんな中で今でもはっきり思い出すのですが 近所の上級生に連れられて木の生い茂った川のそばの 大きな洞窟に入ったことがありました。
中で十分人が生活できるほどの大きさであったのも驚きですが そこにあった鉄製のギザギザのワナは いまでも目にやきついています。
それはまるで洞窟に入り込んだ人間を捕らえるかのような足型の大きなワナでした。

それから後 父の転勤に伴ってあちこち点々とするのですが 
大人になってから 自分のアイデンティティーと言うか子供時代の想い出の地をたどりたくなって矢も楯もたまらずかの地を訪れたことがありました。
かつての小山はてっぺんまで新しい家が建ち並び おどろおどろしい雰囲気は消え去っていました。
20年ぶりに会った昔の隣人は いぶかしげな目で私を遠ざけました。
上級生に連れられて行った洞窟は いまだどこにあったかわかりません。
ふるさとは 遠くにありてなんとやらです。
ただひとつ,もう自分はあのころの小学生ではないことは確かです。
過去を辿って旅するのは二度とするまいと誓いました。

投稿: ろーど | 2006/06/09 22:38

 
ろーどさん、コメント嬉しいです。(^^)

夜の暗闇で見ると恐ろし気でも、昼間見るとなんでもなかったりしますもんね。
同じように、ナイーブな子供の頃って、不気味さや怖さも倍増で。
大人にとっては何でもないことが、子供には大問題だったりしますよね。
(私も実際に見た事はありませんが、ギザギザのワナの存在を知った時はショックでした。)

いつでも出来ると思っていると、結局やらなかったり。
逆に、今しかないと思うと出来たり。
矢も盾もたまらず、思い出の地を訪れた気持わかります。
(一方で、ずっと実家で暮らしている同級生の地図はどうなんだろうと、考えたりもしました。)

その時は残念な結果だったようですが、
私にも、どうしても思い出せない場所があるし。
よく考えてみれば、その隣人以外は至極当然の変化でもあるような。
(その人も、すぐには20年の歳月を飛び越えることが出来なかったのかもしれませんね。)

でもだからといって、それでろーどさんの思い出が色褪せることにはなりませんもん。
それも一つの、大人へのプロセスなんでしょうか。(^^)

投稿: nanbu | 2006/06/10 08:45

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55071/10371144

この記事へのトラックバック一覧です: 繭の中の世界:

« 収・納 | トップページ | インディアン »