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2007/09/28

緑の黒髪

9_27higanbana_m_2前回の「あかなめ」先生。
担任だったのが短かったこともあって、ほとんど記憶がないんだけれど。
それでも忘れられない出来事があった。


あれは図工の時間。
先生と生徒が、電車ゴッコで遊んでいる絵を描いた。
ルンルンで描き終えたそれを、意気揚々と先生の所へ持って行くと。

「髪の毛はこんな色じゃないでしょう?」と言われてしまった。

……たしかに。
肌色に、その色がキレイに映ったのだろうか。
その時私は、それを緑色で塗っていたのだ。

どうやら、好きに描けばいいお絵書きと、図工の時間に描く絵は違うらしい。
そんなことを悟った私は、今度はそれを茶色に塗り直した。
「うん。この方がナチュラル」(と、思ったかどうかは分からないけど)
私は、今度こそと意気込んで先生の所へ行った。

すると先生は「髪は茶色じゃないでしょう?」と言って、それをまた突き返した。
(あの頃、茶パツの人はいなかったですもんね)

……はて、だったら何色に塗ればいいのだろう?
困惑して立ちすくむ私に、先生は怒ったようにこう言った。

「髪は黒に決ってるでしょう!」

……あぁ。そうだったのか!
私はまさに目から鱗が落ちるような気がした。
自分はそれまで、夢見心地で絵を描いていたのだろうか。
その時、私は絵にはお約束があることを知ったのだった。


しかし、あれから時は流れ。
高校生になった私が美術を志した時、顧問の先生からこう言われた。

「君は固有色にとらわれすぎるね」(……はぁ?)
「白い紙を丸めた絵を描いたら、君はグレーでしか色を付けられないでしょう?」

……まさにおっしゃる通り。
当時の私は、肌色だったらその濃淡に茶色い影しか付けられなかった。
でも、ルノワールの絵なんかを見ると、同じ肌色でも影の部分には紫色や緑色が混じっている。
そしてそれが、ふっくらとした肌に透明感を与えている。


小学校で固有色を教えられ、今度はそれにとらわれていると指摘され。
左右に大きく振り子を揺さぶられた私。
アッチへコッチへと小突かれて。
結局小さくまとまっちゃって。

あの時「綺麗な緑色ね」と言ってもらえていたら、今頃どんな絵を描いていたのだろう……。

なんて思ったりする私は、ウチの子に絵の描き方を教えたことはない。

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2007/09/25

附子

Yuyake2ある時、ポージィさんのブログに萩の花が。
それで思い出したのは、中学の教科書に載っていた狂言『萩大名』。

そんなことを書き込んだところ。
ポージィさんが習った狂言は『附子(ぶす)』だった、とのお返事をいただきました。
(教科書でも一度は古典芸能に触れられるようになっているんですね)

そこでさっそく検索してみると、とっても有名な狂言のようだけれど。

砂糖のことを、猛毒の「附子(ぶす)」だと言って一人占めしていた主人。
その留守中に、こっそり食べてしまった太郎冠者達。
はたしてその言い訳は……。というあらすじを読んで驚いた。

私はナゼかこのお話を知っている。

小学校一年生の時、担任の先生に所用があって。
代わって教室に来た、教頭先生が聞かせてくれたお話によく似ているのだ。

砂糖が水飴で、主人はお寺の和尚さん。
そして、召し使いの若者の冠者達は小僧達と、設定を変えた一休さんのお話。
その、トンチの効いた言い訳が面白かった。

それもそのはず。
検索したサイトさんには「一休さんのとんち話を受け継いでいる」との記述も。
(『一休さん』が、そんなに古くからあるお話だったなんて!)


それはそうと、教頭先生のお話の後も、一、二度そんなことがあって。
(別の先生の『あかなめ』のお話は面白いけど怖かった)
私はそんな時に聞けるお話が楽しみだった。

当時、担任の先生は新任の若くて優しい女性教師。
休み時間もまとわりついていたほど、大好きな先生だった。

記憶の中のその先生は、いつも微笑んでいたけれど。
ただ、時折寂し気な表情になることもあったような。
そしてそのまま、一学期か二学期が終わる頃、突然退職してしまった。

後任になったのは、ベテランの女性教師。(『あかなめ』の先生だったかも)
やがて自習の時間にお話をしてくれる先生もいなくなり。
私はそんな変化を味気なく感じていた。


今から考えると、自習の時間のお話は、周りの先生の精一杯のサポートだったのだろうか。
私はその時、「大人の事情」というものを知ったのかもしれない。

そして、学年が上がるごとに先生も厳しくなって。
それが「お兄さんになる」ということだと悟るまで、そう時間はかからなかった。

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2007/09/22

同じ轍

9_7wakuraba私の髪はクセッ毛。

中学の校則で坊主頭だったのが。
高校生になって伸びてきた髪はウェーヴィ。
その、あまりの変化に愕然としたものだった。

そこで気になるのがウチの子の髪。

小学生の頃は自分と同じで真っ直ぐだったのに。
だんだん髪にうねりが出て。
踏んだのは、私と同じ道の轍。

散々親に文句を言ってた私だけれど。
今度は自分が言われる立場。

毎朝黙々とヘア・アイロンで伸ばしてる姿を見るたびに、秘かに心が疼いたりして。


そんな折。

先日、ひょんなことから遺産の話になって。
家内に「無駄遣いすんなよぉ〜」なんて言っている。
なんて子だろう……。(でも、言えてるかも)

ただでさえ小さいパイ。
それを案じて、今から先行きを心配するのも不憫な話ではある。

続いてそれが遺伝の話になって。
今度は親の悪いとこばかり受け継いじゃったとボヤき始めた。
(たしかに。返す言葉もございませんが)
次は何を言い出すのかとヒヤヒヤしてたら。

「負の遺産、残し過ぎじゃねぇ〜!?」ですと。

・・・・・(・o・)
キツイわぁ……。

でも、あまりに核心を突いた発言に、思わず「ナイス!!」と叫んだまま。
しばし笑いが止まらない、脳天気な私なのでありました。

9_14kodemari


この夏の猛暑で枯れた葉が
台風に吹き飛ばされた後
伸びてきた新芽から
季節外れの花が咲いたコデマリ

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2007/09/19

シェーバーの落とし穴

9_14yaburanあれは夏の終り頃。

なんとなく、顔まわりが痛痒いことに気がついた。

最初はアゴの下で、次は左の頬。
そのうちには右の頬まで。

そんなことが二、三日続き、気になって家内に聞いてみた。
「何かできてる?」とアゴを上げて見せると。
「あぁ……。アセモよ」とのお返事。

そうか。こんなに暑くちゃアセモだってできるよなぁ。
と納得した私は、そのつどオロナインを塗っていたんだけど。

しかし、しばらくするとまた痒くなる。いや、ちょっと痛いような気も。

鏡を見たら赤味はひいているし。
だいいち、頬にアセモなんてできるのだろうか?
もしや、「はたけ?」とか。
なんて、どんな症状かも知らない皮膚疾患の名前が頭をよぎったりして。


Higesoriそんな日々を送っていたある日。

私は重大なことを発見した。
シェーバーの外刃に穴が開いていたのだ。
それが肌に細かい傷をつけていたのではなかろうか。

以前使っていたのが壊れちゃって。
一、二年ほど前に買い替えたこのシェーバー。
これは細長い外刃の中で、短い棒状の内刃が左右に振動するタイプ。(水洗いできるのがウリ)

それまでは、外刃が丸いタイプしか使ったことがなかったから。
初めての体験で気づかなかった。

そういえば、以前のシェーバーを買う時も。
「四角いタイプは外刃に穴が開くことがある」とお店の人に言われて、丸刃の方にしたんだった。
(本当は水洗いできるのが欲しかったんだけど)
お店の人が言っていたのはこのことだったんですね。

やっぱり何事も経験しないと分からないもの。

なにはともあれ、よかったよかった。
こうして、私のお肌は無事元に戻ったのでした。
(ま、ハリとツヤはとうに戻っちゃきませんが……)

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2007/09/15

ばねけん

Syomen_2昨夜「にこけん」(煮込み研究会)に行ってまいりました。(今回は「赤羽」で開かれるから「ばねけん」なんですね)

知識も経験も乏しい自宅聴講生(在宅信者?)の私にお声を掛けてくださるなんて。
そんなファジーな包容力がたまらない魅力。

教祖様の楽笑さんのお誘いに、ホイホイ出掛けたのでありました。


埼玉出身の私にとって赤羽は東京の玄関口。
荒川を渡った電車が赤羽駅に着くと、「あぁ。東京に来たんだ」と思ったものでした。
改札を出て近代的な駅前を通り過ぎ、一番街に足を踏み入れると。
そこには、どこか懐かしさ漂う商店街が。


Iriguti_2その一画にある居酒屋「だるまや」が、今回のお店。

そっと店内を覗いてみると。
先に到着していたのは楽笑さんとcoldginさん、そして新たに加わったhirozoさん。
その姿にホッとして、無事着席。
その後、yochyさん、ぽぱいさんという、いつものメンバーが揃って。総勢6名の、賑やかで和やかな会が始まったのでございます。


Nikomi煮込みに造詣が深い皆さんの中で、猫に小判なのが申し訳ないけれど。
「♪いいじゃないの幸せならば」
と心で言い訳する私。
いつもながら、とっても楽しい気分に浸りっぱなしだったのでありました。

そして二次会では。
なんとホッピーの「ナカ」をお代りしないぽぱいさんの姿を初めて見るという、貴重な体験まで。
(思い返してみると、今までじっくりお話ししたことなかったですもんね)

そうやって、瞬く間に過ぎる時間の心地よさ。
みなさん、本当にありがとうございました。(^o^)

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2007/09/13

負の連鎖

Yuyake1やってもやっても終わらない。
そんな夏休みの宿題に悶々としていたウチの子。

『サザエさん』じゃ、カツオの宿題を父親の波平とマスオさんが手伝ってあげてたけど。
親の方が理解できないんだから手の出しようがない。

そうやって、最後に残ったのが国語の宿題。
なんでも『今昔物語集』と『羅生門』の相違点を挙げ、感想をまとめるんだとか。

は。ナンデスカ?

なんでも『羅生門』は、『今昔物語集』のお話の一つを題材にしているらしいけれど。
そもそも読んだことないし。
(学校で習ったのかもしれないけど、記憶がないんだからしょうがない)
知ってるのは芥川龍之介の短編小説だということと、黒澤明監督が映画祭でグランプリを取ったことくらい。

ウィキペディアによると「生きるための悪という人間のエゴイズムを克明に描き出し」た作品とのこと。
さっそくプリントに載っていた『今昔物語集』の現代語訳や『羅生門』を読んで、やっと設問の意図が理解できた私。
確かに情景や人物描写はずいぶんと違うけれど。

本人は一日でやると呑気に構えちゃって。(いくらなんでもそれは無理でしょう)
そこで、私が感じたいくつかの違いを挙げると、やっとその気になったらしい。
やれやれ、これでホッと一息。


しかし、読後に残るこのやり切れなさは何だろう。
今度はコッチの方が悶々としてしまった。

エゴに走った老婆が、盗人のエゴによって自分も同じような目に遭う。
そんな因果応報の皮肉な結末が、『今昔物語集』の面白さだとすれば。
『羅生門』は、それでは済まない何かが心に引っ掛かって爪を立てる。

物語の冒頭、「生きるため」とはいえなお悪に逡巡していた下人。
老婆の行為を目にした当初、悪に対する反感すら感じていたのに。
それが老婆のエゴに感化され、いとも簡単に自分のエゴに飲み込まれてしまう。
悪行を憎む気持が、老婆を「さげすむ」という負の感情に変わった時。
老婆と同じ次元まで堕ちてしまうのがくやしい。

負の感情は感染するのだろうか。
眠っていた他人のエゴまで引きずり出してしまうのが恐ろしい。


老婆を蹴倒した瞬間。
作者に見放されたかのように、その後一切下人の心情は語られなくなる。
そして「下人の行方は、誰も知らない。」であっさりと物語は終わってしまう。

置き去りにされた私の気持は、やり場を失う。

のろのろと起き上がった老婆が、覗きこんだ門の下にあったのは夜の闇。
人間の心の深淵にある暗闇に、作者はもう蜘蛛の糸を垂らしてはくれない。

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2007/09/10

やおら

078yuyake今年もまた、文化庁が発表した「国語に関する世論調査」の結果が新聞に出てました。

95年度から実施しているというこの調査。
毎年この時期になるとテレビや新聞で取り上げられるんだけど。
クイズみたいで結構楽しみだったりして。


特に印象深かったのは04年度版。

本来と違う意味で使われてたり、間違えて覚えてた言葉が多くてビックリしたものでした。まだブログを始めてなかった当時、HPの方で書いてたのを挙げてみると。

「的を得る」は間違いで「的を射る」が正しかったり。
「檄を飛ばす」の「ゲキ」が「サンズイ」じゃなくて「木ヘン」なのに驚いたり。
他にも、「姑息」は「ズルい」ってことだと思ってたら、「一時の間に合わせにする」って意味で。
「憮然(ぶぜん)」も、本来は「がっかりする」という意味だったり。
(↑新しいネットの辞書には、「不満なさま」も載ってます)

「さわり」も、「ほんのさわりだけ」なんてよく聞くから。
「つかみはOK!」みたいに導入部のことだと思ってたら。
「中心となる部分。聞かせどころ。名場面。見どころ」のことだったり。


去年も読んだ覚えはあるんだけど。(一昨年は、はて?)
どんな言葉があったか思い出せないのが残念。
(やっぱり書き記してないとダメですね)

っということで。気になる今年の言葉はコレ。
(ちなみに数字は、不正解と正解との割合)

●「役不足」    50.3% 40.3%
●「流れに棹さす」 62.2% 17.5%
●「気が置けない」 48.2% 42.4%
●「ぞっとしない」 54.1% 31.3%
●「やおら」    43.7% 40.5%

実は「やおら立ち上がる」の「やおら」が不正解だった私。
(「いきなり」だと思ってたら「ゆっくりと」でした)
もしかしたら、「やにわに」と混同しちゃったんでしょか?
(漢字で書くと「矢庭に」だったなんて。う〜ん、緊迫感ありますね!)

そういえば、「おっとり刀」。

これも、おっとりしてるんじゃなくて。
「腰に差すひまもなく、刀を手にしたままであること。緊急の場合に取るものも取りあえず駆けつけるさま」(@nifty 辞書調べ)
という意味の「押っ取り刀」だと知ったのは、案外去年の世論調査でだったかも?

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2007/09/07

波乱の新学期

97taifuあれは夏休み最後の日。

家内は翌日に市の健康診断を控えていた。
バリウムを飲むから、前夜の九時以降は飲み食い禁止。

でも、ついウッカリはよくあること。
以前、残りご飯をラップに包んでいた時。
何気なく、指についたご飯粒を口に入れてしまったという苦い経験があるらしい。

それにコリた家内が打ち出した防衛策は張り紙。
テーブルや冷蔵庫の扉には「飲むな」、洗面所の鏡には「歯磨き禁止」の文字が。
すでにドップリ臨戦体勢に入っている家内からは、声を掛けるのもためらうようなオーラが出まくっている。

そんなピリピリしたムードの中、ウチの子はまだ宿題をやっているし。
なんだか追い詰められた気分で、夏休み最後の夜は過ぎていったのでした。


そうやって迎えた新学期。

始まってみると、もう眠くて眠くて。
さすがに初日は頑張って起きたけど。
二日目、三日目と、日を追うごとに眠さが増してくる感じ。
(こんなんでダイジョーブでしょうか?)

だって、朝起きた時の空はまだ薄暗いんだもの。
曇ってるせいもあるんだろうけど、こんな空を見るのは久しぶりのこと。
夏至が過ぎて二ヶ月以上経ってるし。その間も確実に日の出は遅くなっていたんですね。(今月の下旬はもう秋分だなんて)

夏休みが始まった頃は、習慣で五時起きしてたものの。
早起きの必要がなくなると、それが六時になり七時になって。
すっかり朝寝坊のクセがついたところでの新学期は辛うございます。


なのに、それに追い討ちをかけるような今度の台風。

ずっと西に向かって進んでいたのに、狙いすましたかのように北上し始めて。
ジリジリ近づいてくるではないか。

休校になるかどうかの決定は、当日連絡網で知らされるとのことだったけれど。
今朝のニュースでは、首都圏の通勤特急は午前中運休だとか。
そして、朝の六時にかかってきた電話によると、今日の授業は午後からだそう。

はぁ……。

お弁当を作り始めていた家内は、その瞬間に戦意を喪失。
東京を通り過ぎ、いったん収まったかに見えた風雨も、台風の吹き返しなのかまた強まってきて。(午後からの決定は妥当だったかも)

なにやら波乱含みの新学期なのでした。

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2007/09/04

物言えば

9_4sennitiko唇寂し秋の風。

なんて。
以前、風とともに…で「風」のつく言葉の多さに驚いたものだけれど。

またまた物凄い物を見つけてしまいました。
それは「物」。


「物差し」「物置き」「物干し」とか。身の回りにも「物」がつく物はあるけれど。

お金が「物を言う」世の中。
“物より思い出”なんてCMがあったように。
「物欲」とか、“精神性”の反対語みたいな扱われ方をされたり。
「物々しい」なんて「物騒がせ」な言い方があるかと思えば。

「物寂しい」「物悲しい」「物憂い」「物思い」とか。
しっとりした情緒も併せ持つ言葉。

なんでも、頭に「物」が付くと「なんとなくそんな状態」の意味なんだとかで。
(『徒然草』の「ものぐるほしけれ」もそれだったり?)
『なんとなく、クリスタル』なんですね。
(限りなく透明に近かったり?)(・o・)

子供に「物心」がつくと「物覚え」が良くなって。
(でも大人になると「物忘れ」が始まるんだけど)(T_T)
「物が分っている人」なら、物事の筋道、道理の意味になるし。
(「物分かりのいい人」なんて言い方もありますものね)
「物静か」「物腰」とか、その人の印象を表したり。
なかなかどうして味わい深い言葉。

@nifty 辞書によると。
「物ともしない」「物の数ではない」「物になる」等、取り上げる価値のある対象になったり。

「〜ものだ」で、普遍的な傾向とか。(そういうものでしたね)
あるいはなすべきこと。(人の話は聞くものですね)
そして、「よく遊んだものだ」で、過去にしばしば起こったこととか。
「困ったものだ」なんて感動・詠嘆を表したり。
(このブログもよく続いてるものですねぇ……)

「何をするか分ったものではない」だと否定を強調したり。
(え!↑私のコトデスか?←なんて言うものですか。とかぁ?)
判断を強調したり。(そろそろ飽きてきたものと思われますが、もう少々おつき合いを)
「〜ものがある」で強い断定を表すそう。
(ウェブの進歩には目を見張るものがありますね!)

他人への相談を切りだす時には「物は相談だけど」なんて言うし。
「物言い」をつけて「物申」しても「物は言いよう」で「物別れ」に終わったり。

「物好き」で「物見高い」と「物笑い」の種になっても、「物は試し」と「物のはずみ」でしてみたら「物の見事に」期待を裏切られて。結果が「物足り」なくても「物は考えよう」で命あっての「物種」だし。何かと「物入り」でも「物のついで」に「物珍しい」物を見つけたりするものですもの。

……しかし、無理やりこじつけるのって苦しいものですねぇ。

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2007/09/01

初エアコン

Aircon連日の猛暑から、一転して涼しくなった今日この頃。
あれは、その境目の雷雨の日だった。

夜になっていきなりバラバラと雨が降ってきたと思ったら、見る間に横殴りの雨になって。
私は慌ててリビングの窓を閉めた。

挙げ句に雷まで鳴り出すし。
それまで仕事部屋でパソコンをしていた家内とウチの子も、電源を切ってリビングに。
でも、普段からエアコンをつけていないこの部屋。
窓を閉めた途端に熱気がこもり始めた。


もう、このエアコンを使わなくなってどのくらいになるだろう。

西向きのベランダにある室外機には、ギンギンに西日が照りつけて、熱効率が悪いことこの上ないし。
夜は夜で、それなりにしのぎやすくなって結局つけなかったり。
(最近じゃ冬もファンヒーターでごまかしてるもんねぇ)

それでも一昨年くらいまでは、風が凪いだ熱帯夜にはつけたりしてたけど。
使わないでいるウチに、最近ではその存在も忘れがち。
今年も夏バテしなかったのは、案外この灼熱のリビングに鍛えられてるからではないのか。と、私は秘かに疑っているほど。(んなワケない?)


ただその代わり、仕事部屋は狭い分エアコンの効きが良いこと。
だから「避難場所」と称して、暑さに耐えられなくなった者の溜まり場になっているんだけれど。

その仕事部屋から、雷で難民が追いやられてきたものの。
激しい雨で窓は開けられない。

そこで、今では禁断となっているエアコンを始動することにした。

空だったリモコンに乾電池を入れ(いかに使ってなかったかが偲ばれますね)スイッチを入れる私。
全員が固唾を呑んで見守る中、ややあってエアコンが活動を始める。
そして開かずの吹き出し口が開くと、心持ち涼しい風が。

おぉ……。ちゃんと動くではないか!

その場には静かなどよめきが広がる。
しだいに満たされていく清涼感。
それは、久々に活躍の場を与えられたエアコンの、喜びの発露(結露じゃありません)のようにさえ感じられるのだった。

しかし、しばらくするとあれほど激しかった雨も上がり。
窓を開ければ、ちょっと前からは信じられないくらいの涼風が……。
と同時にこの晴れ姿も二時間ほどで終焉を迎えることに。


そうしてその後も涼しい日が続き。

今年最初で最後と思われたエアコンのお披露目も無事幕を閉じた後。
リモコンはまた、物入れの中に封印されたのでございます。

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