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2007/09/25

附子

Yuyake2ある時、ポージィさんのブログに萩の花が。
それで思い出したのは、中学の教科書に載っていた狂言『萩大名』。

そんなことを書き込んだところ。
ポージィさんが習った狂言は『附子(ぶす)』だった、とのお返事をいただきました。
(教科書でも一度は古典芸能に触れられるようになっているんですね)

そこでさっそく検索してみると、とっても有名な狂言のようだけれど。

砂糖のことを、猛毒の「附子(ぶす)」だと言って一人占めしていた主人。
その留守中に、こっそり食べてしまった太郎冠者達。
はたしてその言い訳は……。というあらすじを読んで驚いた。

私はナゼかこのお話を知っている。

小学校一年生の時、担任の先生に所用があって。
代わって教室に来た、教頭先生が聞かせてくれたお話によく似ているのだ。

砂糖が水飴で、主人はお寺の和尚さん。
そして、召し使いの若者の冠者達は小僧達と、設定を変えた一休さんのお話。
その、トンチの効いた言い訳が面白かった。

それもそのはず。
検索したサイトさんには「一休さんのとんち話を受け継いでいる」との記述も。
(『一休さん』が、そんなに古くからあるお話だったなんて!)


それはそうと、教頭先生のお話の後も、一、二度そんなことがあって。
(別の先生の『あかなめ』のお話は面白いけど怖かった)
私はそんな時に聞けるお話が楽しみだった。

当時、担任の先生は新任の若くて優しい女性教師。
休み時間もまとわりついていたほど、大好きな先生だった。

記憶の中のその先生は、いつも微笑んでいたけれど。
ただ、時折寂し気な表情になることもあったような。
そしてそのまま、一学期か二学期が終わる頃、突然退職してしまった。

後任になったのは、ベテランの女性教師。(『あかなめ』の先生だったかも)
やがて自習の時間にお話をしてくれる先生もいなくなり。
私はそんな変化を味気なく感じていた。


今から考えると、自習の時間のお話は、周りの先生の精一杯のサポートだったのだろうか。
私はその時、「大人の事情」というものを知ったのかもしれない。

そして、学年が上がるごとに先生も厳しくなって。
それが「お兄さんになる」ということだと悟るまで、そう時間はかからなかった。

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コメント

まぁ!そうだったんですか。一休さんの話がベースとは、
全く知りませんでした。
自習の時間というのではありませんでしたが、私も先生が
授業から脱線してして話してくれるエピソードが大好きでした。
子供ってこういうお話から得るものが多いですよね。
そしてそれがまたいつまでも心に残ります。

それにしても、nanbuさんのこの「お話」の思い出は
ちょっぴり切ない思いとも繫がっているのですね。
ほんわりとした優しい空気に包まれていた1年生の頃は瞬く間に
過ぎ去り、学校の先生は優しいだけの存在ではなく、
ピリリとした厳しい空気に包まれるようになっていく…
成長していくことの意味を(ある一面を)お知りになったのですね。

鬼太郎にも妖怪にも疎い私は、こんどは「あかなめ」が分かりませんでした。
調べたらなんともヘンテコな妖怪。そんなに恐ろしくはないものの、
やっぱり不気味ですね。うちなんて毎晩来てたりして~キャッ!

投稿: ポージィ | 2007/09/25 12:38

 
ポージィさん、コメントありがとうございます。(^^)

私は『附子』自体知らなかったので、ダブルで驚きました。
どこかで聞いたことがあると思っていたら、教頭先生のお話で。
あれは一休さんだったんだ、と思ったら、狂言とそれが同じお話だったなんて。
その後も、そういえば…と次々と思い出が浮かんできて。
今になって、それぞれ断片的だった記憶がつながったような気がします。

>ほんわりとした優しい空気に包まれていた

まさにそうでした。
幼稚園に行かなかった私にとって、初めて出会った先生だったので。
どちらかというと厳しい「あかなめ」先生になる前に、その先生の下で学校に慣れることが出来て、自分にとっては本当に良かったと思っています。

「あかなめ」は、その先生が「見ぃ〜たぁ〜なぁ〜!」なんて情感たっぷりに話すので、結構コワかったです〜。(^^;)

投稿: nanbu | 2007/09/25 15:50

小学1年の担任の先生は名前も顔も覚えてますが
「男勝りな先生」という印象しか残ってなくて

>時折寂し気な表情になることもあったような

こんなことまで覚えておられるのは
本当に大好きな先生だったんですね
当時 低学年担当の先生は女性が多かった筈ですから 
恋焦がれる男の子は多かったかも(^_^)

投稿: miki | 2007/09/27 21:35

 
mikiさん、コメントありがとうございます。(^^)

辞めると聞かされた時、自分がまとわりついてたのが迷惑だったんだろうか?とか、子供なりに自責の念にかられちゃったりして。
それで寂し気なイメージとくっ付いて残ってるのかもです。

この記事をUPした後で「私は山梨に帰ります」と言っていたのを思い出して。
山梨県というと、私はいつも「山があっても山なし県」というフレーズが頭に浮かぶんですけど。それはあの先生が着任した時、自己紹介で言っていた言葉だったことも思い出しました。
「坊主憎けりゃ〜」の反対で、もう当時は先生の名前も山梨県も、ぜーんぶ好きでした。(^^;)

投稿: nanbu | 2007/09/28 07:03

nanbuさん、こんばんは~。

>学年が上がるごとに先生も厳しくなって…

そうですね~、子供の教科書の厚みを見ていると分かりますよ。
(いつまでも優しくしてもらえるワケではないんだ…)と思った時の子供心って、なんとなくもの悲しさがありますよね…
さて、突然中年のレッテルを貼られたぽぱいですが…
学年どころか、歳を重ねるごとに風当たりが強くなってきてる今…
(いつまでも優しくしてもらえるワケではないんだ)と、心から感じ…
それが「実年になる」ということだと悟っております。
寂し~い(T_T)

投稿: ぽぱい | 2007/09/28 20:55

 
ぽぱいさん、コメントありがとうございます。(^^)

>(いつまでも優しくしてもらえるワケではないんだ)

あの時自分が感じたのはまさにそれでした。
そしてそれは永遠のテーマだったんですね。(T_T)

「実年」って言葉にあまり馴染みがなかったのでウィキペディアを見てみたら。
1985年に「厚生省が公募に基づいて決定した言葉」だったんですね。
でも、当時と今とではずいぶん感覚が違ってきましたよね。
そこに一歩(いや二歩?)足を踏み入れちゃった私はともかく。
ぽぱいさんはまだ安全圏だし、ゼンゼンOKですよ〜。(^o^)
(自分で自分にワクをはめちゃもったいないですもんね。)
私も見習わなくっちゃです。
…とはいえ。私も悟りを・・・開けるでしょうか。(^^;)

投稿: nanbu | 2007/09/29 07:20

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