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2007/12/28

年の終わりに'07

1227bubaup今年も、もう少しで終わり。
去年「年の終わりに'06」を書いたのも、ついこの間のような気がするのに。

年を追うごとに一年経つのが早くなって。
何かに急かされるように、坂を転がるように、どんどん月日が流れていってしまう。
たなごころからさらさらと、ぽろぽろと、こぼれていく。


今年を振り返れば、暖かだった冬が終わり、早過ぎる春が来て。
でも、また冬に逆戻りしたような寒の戻りがあって。
ゆっくりと春を味わう間もなく初夏になり。
今年の夏が記録的な猛暑だったのも、ハッキリと覚えているのに。

気がつくと、またこうして寒さに凍えている。

だからこうして書き留めておかなければ。
暖かな春が、鮮やかな夏が、実りの秋が確かにここにもあったことを。

巣穴に木の実を集めて冬越しする小動物のように。
それを少しずつ取り出して慈しみ、冬を乗り越えなければ。

そうやって春の到来を待たなければ。


ということで、今回はリターン雑記「冬至十日目」と共に、今年の締めくくりとさせていただきます。
この一年もおつきあいいただき、本当にありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

それでは皆さま、良いお年をお迎えください。m(_ _)m

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冬至十日目

071206yuhi●リターン雑記その4

今年は12月21日が冬至。('04年)
と、言えば柚湯やカボチャを思い浮かべるけれど。
冬至と書いただけで寒くなるような気がしてしまう。

この日を境に昼の時間はどんどん長くなるのに。
それでも寒さは序の口で、あと一月後の大寒に向かってまだまだ寒くなっていく……。

車は急に止まれないというか、慣性の法則というか。
一旦寒さに向かってしまうと止められないということだろうか。


母が、よく「冬至十日目」と言っていた。
冬至を過ぎて十日もすれば、畳の目一目づつ伸びた日脚にも気がつくのだという。
今より暖房も整っていなかった昔の人は、そうやって春が来るのを待っていたのだろうか。

それよりもっと昔。

太古の人々は日に日に短くなっていく日照を、どんなに心細く感じていた事だろう。
このまま夜が長くなってしまうのでは。と、恐れたのではあるまいか。
暦など知らなければ、今度こそ暗闇に支配されてしまうかもしれないと……。
そこに祈りの気持が生まれたのかもしれない。

それだけに、少しづつでも昼が長くなっていく節目のこの日には、特別な想いが込められていたに違いない。クリスマスのお祝いも、そんな太陽復活の嬉しさを祝う冬至祭と合わさっていったという説にも頷ける。


例年コートが欲しくなる12月の気温は、コートを脱ぐ3月から4月初めの気温と同じだと聞いた事がある。
大寒を乗り切れば暖かく感じられる気候も、寒さに慣れていない身にはより寒さが沁みるらしい。

今から、来年の立春を心待ちしている私。
皆さまも風邪などひきませんように……。

'04年12月18日

1227buba
 
 
短日期にならないと花芽の出来ないブバルディア
開花の遅かった今年は
花瓶に生けて
室内で年を越してもらうことにしました

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2007/12/25

窓拭きの蹉跌

Zentai小春日和と言うには遅いものの。

朝から穏やかで良いお天気だった昨日のイブ。
私には二つの選択肢が用意されていた。

ひとつは窓のガラス拭き。
そして、もうひとつは年賀状の仕上げ。
 
Dogu以前 大掃除その1でも書いたように。
私にとっての大掃除は、窓拭きをしないことには始まらない。
かたやプリントが済んだ年賀状も、後は宛名書きをするだけである。

しかしこの暖かさはどうだろう。
この日を逃したら、外に出てバケツの水で窓を掃除しようなんて気にはなれないかもしれない。
その時、私の中で何かがささやいた。

「……ネタになるかもしれない」

MaeWiperAtoそれで決まった。
テキパキと植木鉢を移動してスペースを確保。
ついでに落葉掃きをするのも苦にはならない。
(ワイパーみたいな)スクウィージーで、窓の水気を拭き取っていた時の私は、もはや「ルンルン」だったと言ってもいい。

外側の畳10枚分ほどを拭き終え、後はゆっくりと内側に取り掛かるだけだ。
雑巾でガラスの汚れを拭いた後、丸めた古新聞で磨きあげるのがいつものやり方。

ところが。

室内側のガラス磨きをしようとして古新聞がないことに気がついた。
しまった!今日はそれの回収日だったのだ。
なんで忘れちゃったんだろう。
家内が今朝、それを出しているのを見ていたハズなのに。

新聞紙がなくちゃどうにもならない。
慌てて1階まで降りてみると。
そこにはもうすでに、トイレットペーパーに姿を変えたものがポツンと1個、寂しそうに置かれているだけだった。

あぁ……。

私の努力は、どうしてこういつも空回りするのだろう。
そりゃモチロン、迂闊な自分が悪いんだけれど。
間が悪いと言うのかなんなのか。
なにもヤル気を起こしたその日が、古新聞の回収日に当たらなくてもイイではないか。
これはもう、何かにそそのかされているとしか思えない。


そういえば。
野心の奔流に突き動かされ、結果若者が挫折したのは「青春の蹉跌」。
何かに翻弄されて突き進み、挙げ句コケたのは私の「窓拭きの蹉跌」。

その残酷なまでに鮮明な違いが突き付ける、自らの矮小さに打ちのめされた私なのでありました。
トホホ。
(結局、年賀状に切手を貼り終えたのは夜だったしぃ〜)

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2007/12/22

夕暮れのモミの木

07tree出せば出したで掃除が大変だし。
後片付けのことを考えると、後回しにしたくなるんだけれど。

もうすぐクリスマス。
そろそろツリーを出さなくちゃ。

誰が喜ぶワケでもないのに……。

なんて準備していると、今年は珍しくウチの子が参加。
任せてたら、なんだかモールのミイラみたいになっちゃったけど。
ま、こんなもんでしょ。

……あれは小学5年生の今頃。
私は両親に連れられて駅前の商店街を歩いていた。

早い夕暮れにあたりはすっかり暗くなって、お店の明かりが暖かそうに灯っていた。
そんな一画にある花屋の前に差しかかった時。
突然、父は店頭にあったモミの木を買ってくれると言った。

それは高さが1m以上もありそうな鉢植えで。
てっぺんに付ける星やモールの他に、ささやかな電飾まで買ってくれると言う。

しかし、当時は皆そうだったけれど。
決して豊かではない暮しに、それはあまりにも不釣り合いに思えた。
だから喜びが大きい分、「最後の楽しい思い出にしようとしているのではないか?」と子供心に余計な心配をしてしまったほどだった。
(「幸せすぎて怖い」という言葉があるのなら、その時の私がまさにそうだった)

今から考えれば、高度経済成長の真っただ中。
その余波が、やっと我が家のような下々の生活にも行き渡った頃だったのだろうか。

ともあれ、私の不安は杞憂に終わり。
最初おずおずと足先を浸していたものに、やっと身を任せることに慣れていったのだった。

さて、それからは毎年その飾り付けをするのが私の楽しいお役目になった。
もしかしたら、それは私が実家を出るまで続いていたかもしれないし。
(あるいは同居していた姪に引き継いだのかも?)
その後も何年かは、玄関脇にその鉢植えが置いてあるのを、帰るたびに目にしていたような気がする。


そして今、家にあるのは合成樹脂製の小さなツリー。

それをハンズで買ってからも、もう四半世紀以上が経っている。
少しずつ増えていたオーナメントも、買わなくなって何年になるだろう。
それでも毎年、クリスマスが近づくとこうしてツリーを出している。

そしてあの時の夕暮れの商店街を思い出している。

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2007/12/19

ハイリスク・ハイリターン

12_18madobe_naka●リターン雑記その3

貯蓄とか株式とか、資産活用でよく使われるこの言葉。
もうけが大きいものほど、危険を伴う。
ことわざだと「虎穴に入らずんば虎兒を得ず」ってところだろうか。

けれど若い頃、私は正反対の考え方をしていた。

「リスクがあるくらいなら、良い事なんて無くてイイや」
ただ日々を送るだけでも精一杯なのに、これ以上イヤな目に遭うくらいなら、退屈な方がまだマシだと。

マイナスがあるくらいなら、プラスなんていらない。
プラス・マイナス・ゼロ。
心穏やかに、やり過ごせる事だけを願っていた。


それがいつからか、「楽しむためなら、多少のリスクはしょうがないのかな?」
なんて考えられるようになった。
「楽しいと思う事が、イヤな事を乗り越えるエネルギーになるのかも」
そんな風にも思えるようになった。

日がな一日、凪いだ海を眺めるだけの毎日。
岬の向うに打ち寄せる波を、横目で見ている事に嫌気がさしたのだろうか。

いや、そんな平穏無事なだけの日々なんて、ある訳もなく……。

「何もしなくてもイヤな事が訪れるのなら、せめて楽しい事は楽しまなくちゃ」
と、開き直ったのかもしれない。

とはいえ、今でもリスクに二の足を踏む事は多々あって。
せいぜい砂浜に打ち寄せる波と戯れている程度だけれど。


……それでも、自分にとっては結構エキサイティング。
(穏やかに見えても、高波は不意にやって来るものだしネ。)

これくらいが、「身のほど」なのかもしれない。

'05年9月11日

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2007/12/16

あれから一年経ちました

Zenke去年の「初めてのオフ会」は12月。
早いもので、あれから一年経ちました。

その時知っていたのはHNだけ。
会うのは初めての方ばかりとあって、ちょっぴりドキドキしながら会場の「世界の山ちゃん」に向かったのでした。

そして再びやって来た年の暮れ。
この一年で「にこけん」に進化を遂げた、今回はその忘年会。
まさか自分が幹事をやるとは、あの時誰が予想したでしょうか。(笑)

Kanpai
なにせ知識も経験も乏しいこの私。
去年と同じ「世界の山ちゃん」でいいのなら、とお引き受けしたのでしたが……。

結局、自分に出来たのはお店の予約と連絡係くらい。
不馴れなもので何かと不手際があったと存じますが、皆さんの笑顔を見られたのが救いでした。
 
Tebasaki
なにかと忙しい年の暮れにもかかわらず、集まってくださったぽぱいさん、yochyさん、coldginさん。ありがとうございました。
力及ばず申し訳ありませんでしたが、とりあえずこれで私の今年の総括とさせていただきます。


……とはいえ、一夜明けた今日は朝からウチのマンションの大掃除で大わらわ。
(コロッと忘れておりました)
まだまだ年は越せそうにありません。(T_T)

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2007/12/15

冬の寄せ植え/その2

Yoseue3
 
Moto10月10日の寄せ植えリサイクルからほぼ二ヶ月。

ブルーサルビアの葉はまだ青々としているけれど、これ以上の花付きは望めそうもないし。小菊もそろそろ終わり。

もともと冬用に仕立て直すまでのつもりだったのが、二ヶ月楽しめただけでもラッキーでした。

もうガーデニングシーズンと言うには寒すぎるし。
これ以上遅くなると、選ぶのに困るほどの花苗が花屋さんに並んでるとは限らない。

そこで今の内にと、いつものホームセンターに行ってみると。
パンジーやビオラは豊富にあったものの、薄ピンクのストックと薄紫のバコパはどちらも残り一株だけ。
とりあえずそれらをメインにゲットして帰りました。
 
Horikaesi本当は、もうちょっと大人っぽくしたかったんだけれど。無い袖は振れないし。
玄関に置くのだからと、華やか路線に。

アイビー、白妙菊、ヤブランはそのままに、買ってきた苗を植えました。
 
Kanse1m
 
 
 
木枯らしで葉が痛みやすいヒメツルソバは、真冬になったら切り戻すことになりそうだけど。
その頃までには、バコパが繁ってくれるのを期待して、そのまま残しました。

●関連記事:この寄せ植えのその後はこちらで→'08年4月28日「最後の晴れ姿
 
●その他の冬の寄せ植えはこちらで↓。
'07年12月6日寄せ植え冬バージョン
'08年 2月2日寄せ植え最終便

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2007/12/12

眉のお手入れ

Otiba1夕飯を食べながら、家内がウチの子を見て「また眉の上いじったでしょう」と言った。

「えっ?」と思い覗き込むと。
整理したところからまた新しい眉毛が生えだして、グレーっぽくなっている。

本人曰く「チョット失敗して、伸びるのを待ってる段階」なんだとか。
う〜む……。やっぱり眉を整理するのは難しいらしい。

そこで私も聞いてみた。
「ねぇ、オジサン(←私のこと)の眉はどぉ?」

すると。

家内は「そんなの……わかんなぁ〜い!」と絶句したまま、飯粒を吹き出さんばかりに笑いだしたではないか。
・・・(・o・)
あまりのことに、目を我が子に転じれば。
もうすでに床の上に倒れ込み、茶碗と箸を持ったままやはり悶絶している。
後はただ、二人とも途切れ途切れに「ひぃ……ひぃ……」と息を吸うだけで精一杯のようだ。

……なんということだろう。
私の眉は、同列に論じることも許されないほどのシロモノなのだろうか。


去年、眉を整理する男でも書いたように。
「かつての村山首相の眉を持ち出すまでもなく、年と共に眉は濃く長くなっていくものらしい。
そしてよく見れば、なんと私の眉にもその兆しが。
(長めなのが2、3本、弧を描きながらうつむいてたり)
それからというもの、息子は私の顔を見れば『眉を整理しろ!』とうるさい」

だから最近は、私も気をつけるようにしてるのに。
先月床屋に行った時だって、ちゃんと眉の下を剃ってもらったし。
(そりゃ、あれからまた伸びちゃったけど)
それに、こないだ自分で長い毛をハサミでカットしたら、眉尻が無くなりそうになっちゃったんだもの。

でも……そうですか、わかりました。

そこまで言うのなら。と、本腰を入れて眉のお手入れをすることにした私。
(なんて、ちゃっかりウチの子にやってもらったんだけど)

「どんな風にする?」と聞かれても。
私の場合、眉の下のボサボサ部分だけスッキリすればいいし。
とりあえず「ナチュラル命」ということで。

さて、時々聞こえる「あ……」という声にドキドキしながらも、なんとか出来上がったようだ。

Atoどれどれと鏡を見て見ると・・・
おぉ……。さすがやり慣れてるコは違う。
なかなか上手いではないか。
(←出来上がりの図)

これでイイ正月が来そうである。

……しかし、しかしと私は考えてみる。

終わった後は、いつもこの状態をキープしようと固く心に決めるのに。
それが持続しないのは、一体どうしたワケなのだろう。

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2007/12/09

私のビッグマック

07hitoha今まで折に触れ、我が身の不運を嘆く時にリンクしている「プチ不運」。

今では定番になってしまっているけれど。
今回のプチ不運は、家内の飲み会の日に起こった。


夕方からいないとなると、自分の夕飯をなんとかしなくてはならない。

そこで白羽の矢を立てたのは、折しも期末試験中で早帰りのウチの子。
学校の帰りにマックに寄って、ハンバーガーを買ってきてもらうことにした。

学校へ行く前に、クーポン券の中から気に入ったものを選んでいたら。
嬉しいことに、ビッグマックが150円。
マックチキンがメニューから姿を消してからというもの、マックポークに活路を見い出していたこの私。
150円ならと、久々にお肉二段構えの贅沢を味わうことにした。

ウチの子が選んだのは、テリヤキバーガーとTVで宣伝してるマックラップ。
その他、チキンナゲットとグラコロは、二人で山分けすることで商談が成立した。
マックラップは割り引きの対象じゃないけれど。
ま、この際お駄賃ということにしよう。
なにせ私にはビッグマックがあるのだ。

さて、昼頃に帰宅した我が子の手には、ちゃんとマックの紙袋が。
忘れずに買ってきてエライエライ♪

「試験の出来はどうだった?」と聞くのもソコソコに、私の手はシッカリ紙袋へ。
手渡されたそれを、イソイソとキッチンのカウンターに置いた。
後は夜になるのを待つだけである。

洗濯物をたたみながらも、視線はついカウンターの上の紙袋に。
夕方になって、出掛ける家内も笑顔でお見送り。

なにせ私にはビッグマックがあるのだ。

そうやって待に待った夕飯時。
紙袋から出した戦利品を温め直そうとレンジに入れながら、ふと私はイヤな予感に襲われた。
なんとなく数が少ないような気がする。

慌ててレシートと商品を突き合わせて確認すると……。
な、なんと、ビッグマックが無いではないか!
いや、もともとオーダーが通っていなかったらしいから、金銭的には損してないけど。
クーポン券だけ取られてオーダーをスルーされるなんて。

メインディッシュを失った私に残された選択肢は、グラコロを一人占めすることだけ。
やむを得ずそれを頬張りながらも、私はある思いをも噛み締めた。


……そういえば、昔から喫茶店でも注文を忘れられることがあったっけ。
でも、まさか子供に頼んだお使いにまで、その影の薄さが及ぶとは…。

どうやら私のこの運の悪さは、時空をも越えだしたらしい。

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2007/12/06

寄せ植え冬バージョン

Dekiagari_m
先日ハンギングの冬支度をしたのに続いて、他のコンテナも冬バージョンに切り替えました。
 
MotoOridururanPot_sirotaeまずは、夏にブルーサルビアを植えてあったコンテナ。
オリヅルランだけは元気だけれど。
夏の花はもちろん、アイビーも白妙菊も、コレ以上植えておくのは無理なよう。
そこで、全て抜いて新しくリセットすることにしました。
とりあえずオリズルランは一鉢にまとめて玄関の軒下へ。
切り戻した白妙菊は、ポットに植え替えて養生してもらうことにしました。
 
Furui
植え替えの時、頭を悩ませるのが古土の始末。
マンション暮しの悲しさで、庭土に混ぜるワケにもいかないし。
その一番の解決策は、古土を出さないこと。

ということで、土は去年新しくしたからと、今回も流用することに。
 
Nekkotori_2
 
本当は、枯れた根や枯葉を取り除くには、ふるいにかけるのが確実だけれど。
「面倒=やらない」のはわかってるので、自分流に。
大きめな受け皿に適量の土を入れ左右に振ると、重い土以外の軽いゴミは表面に浮き上がってきます。
 
Furututi
 
後はそれを手でつかみ取って捨てるだけ。
え?取り切れなかったゴミは……
それは見なかったことにします。(ここポイント)
 
最終的に、これだけの土が残りました。
 
 
Nae7
 
さて、そこまで終わったら、いよいよ植え付け。
今回使うのは、渋い色に惹かれて選んだストック。
(着物を思わせるような渋いピンクと、肌色を淡くしたような花色の2株)
それに、ビオラ2株と白いバコパ、新しい白妙菊。
(アイビーは水栽培していたものを)
 
Tutiire
 
植え付けの時気をつけてるのは、苗の土の高さを揃えることくらい。
後はひたすら隙間に土を入れていきます。
 
Waribasi
その時大活躍するのが割り箸。

隅々まで土が行き渡るよう突ついたり(驚くほど入っていきます)、葉が密集して上から土を入れにくい中心部に土を寄せたり。
これを使うと、過って花に土を被せたり、茎や葉を折ったりするミスが減らせます。
 
Dekiagari_m_2
 
そして最後にタップリ水やりをしたら。

はい、出来上がりです。

 
 
 
 
●関連記事:この寄せ植えのその後はこちらで↓。
'08年4月10日「青いアクセント
その他の冬の寄せ植えはこちらで↓。
'07年12月15日冬の寄せ植え/その2
'08年2月2日寄せ植え最終便

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2007/12/03

わび・さび

私には茶の湯の心得はないけれど。
その凛とした世界は、ちょっとした憧れ。

先日も、何気なく茶道に関するサイトを検索していたら。
そこには、こんなことが書かれていた。

「わび・さび」とは、「わびしい、さびしい、という満たされない状態を認め、慎み深く行動すること」なんだとか。(「日本文化いろは辞典」より)
http://iroha-japan.net/iroha/C01_accomplish/01_sado.html


Susuki今までよく耳にしていた、この「わび・さび」。

なんとなく漠然としたイメージしか持っていなかったけれど。この言葉に出会って、それがやっと像を結んだというか。
ストンっと、素直に心の中に入ってきた。

なんと、満たされない状態を受け入れるのが「わび・さび」の心とは。


飾り立てた美しさはわかりやすい。

けれど、それらを削ぎ落としていった後に残るのは。
本来の素材の良さだったり、たたずまいの美しさ。
立ち居振る舞いや身のこなし、所作の美しさ。

見つけようとしなければ、気づかないもの。
目を凝らさなければ、見えてこないもの。

満たされない侘びしさ、寂しさの中に、そんな何かを見い出そうとする姿勢が「わび・さび」の心なのだろうか。
そこに浮かび上がってくるものが「わび・さび」の風情なのだろうか。


空腹な時には、何を食べても美味しいように。
乾いた喉には冷たい水が染み渡る。
そんな経験をすることはよくあるけれど。

満たされていないからこそ、ささやかなものが愛しい。
それはそんな状態が、「慎み」に似ているからだろうか。


●そんなことを考えていたら、以前書いた「寂しさの形」を思い出しました。
そこで、今回のリターン雑記のはし書きに代えさせていただきます。

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寂しさの形

Susuki_fuke●リターン雑記その2

幸せの形はどれも似ているけれど、不幸にはそれぞれの形がある。

そんな言葉があるけれど。
人生の数だけ、不幸の数もあるような気がする。

もし仮に、幸運にもその「幸せの形」に巡り合えたとしても……。
今度は、それを何一つ失いたくなくて、怯え続けたりしないのだろうか。
それでもまだ足りない何かを、求め続けたりしないのだろうか。

「不幸」を、それが満たされない「寂しさ」と言い換えたら。
一人で生まれてきて、一人で死んでいくまで、人はそれぞれの寂しさを抱いて生きて行く。
なんて言葉に辿り着く。

その寂しさを埋め合わせるために、出会いを求めて彷徨しても、決してそれは完全には埋められない。
いつも何かしらの隙間が付きまとう。

指紋で個人が識別できるように、元々それぞれの寂しさの形が違うのだから。

でも、だからこそ、一部分でもその隙間を埋められた時の喜びは大きい。
だからこそ、そんな出会いが尊いような気もする。


はるか昔、最期の時を迎えた王は、多くの奴隷を道連れにしたという。
古墳時代の埴輪は、その代わりだと聞いた事もある。
支配者は、そうやって最後の寂しさを紛らわせようとしたのかもしれない。

しかしそれは、そんなことで相殺される筈もない。

豊臣秀吉が、死の床で「世継ぎの秀頼を頼む」と言い遺した時。
あれほどの人物が、徳川家康の将来の裏切りを予感しなかったとは思えない。
それでも、家康にそう言わずにいられなかった秀吉。

いくら天下人とあがめられても、それは安らかな最期と言えるのだろうか。


生きて行く寂しさ。

そこからは、いっとき目をそらす事ができたとしても、逃げ続ける事はできない。
だったらそれは、最後の寂しさを受け入れるための、模擬試験なのかもしれない。


なんて……もの思う秋の日、少々感傷的に。

'05年10月20日

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