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2008/01/09

諦観の中にあったもの

koisi1●リターン雑記その5

ある時、「透徹」という言葉が頭に浮かんだ。

「透」の澄み渡った感じと、「徹」の字から受ける一途さと強さ。
そのイメージから、なんとなく気に入っている言葉。

すべてを見通しているんだけれど、「冷徹」とは違った穏やかな印象を受ける。

もちろん、そうなったら@nifty辞書で調べなくっちゃ。
……すると。

【透徹】
(1)すきとおっていること。澄みきっていること。また、そのさま。
「—した空気」
(2)筋が明確にとおっていること。一貫していること。また、そのさま。
「—した論理」「—した洞察力」

……あれ?
澄んではいるけれど、べつに「見通した」という意味はないみたい。
そこで、自分としては同じ穏やかさを感じている「諦観」で調べてみた。

【諦観】
(1)全体を見通して、事の本質を見きわめること。 「時代を—する」
(2)悟りあきらめること。超然とした態度をとること。

おぉ……。
「諦」の字はあっても、決してネガティブな意味だけではないようだ。
しかも、自分が抱いていた「透徹」のイメージをも含んでいるではないか。

私が思っていた「透徹」は、「諦観」の中にあるのだろうか。


なにか、長い時を経て辿り着いたような。
漂泊の中で色が褪せ、透明になったような。

渓谷から崩れ落ちた岩が流され、山裾まで運ばれる。
そして、野を流れる川岸で、静かに丸くうずくまっているような。
そんな穏やかさ。

やがてそれが河口まで運ばれた時、いつしか小さな砂粒となって混じりあう。
もう、その時にはどの砂がどの岩のものだったかなんて分からない。
分かる必要もない。

でも、その一粒一粒には、しっかりと刻まれたものがある。
そんな、透き通った穏やかさ。

あとはただ、打ち寄せる波に洗われるだけ。
ゆっくりと堆積し、「時代」というひとつの地層になっていくまで。


……な〜んて思えれば苦労はないんだけど。
未だに角の取れないこの私。
アッチコッチがぶつかって・・・痛いわぁ。

'06年2月23日

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コメント

「透徹」も「諦観」も今日ここで拝見するまで、存在すら
忘れていた熟語です(^^;)
「透徹」には、それぞれの漢字から受けるイメージとして、
やはり「どこまでも澄みとおった」感じを受けます。
一切の濁りのない澄み切った美しさ潔さを感じます。
「見通す」という意味は入っていないようですが、でも徹底して
澄み切っていたら、見通すこともできますね。
ですから、書かれていなくとも含まれていると考えて間違いでは
ないかもしれないなーと思いました。
「諦観」の方は「諦」の字から諦めることを意味する熟語だと
思っていました。こんなポジティブな意味があるのですね。
知りませんでした、勉強になりました。

後半の川の水に運ばれてくる礫に例えられたお話、
じんわりと胸に沁みます…
nanbuさんの角がまだ取れていないようには思えないのですが(^^)

投稿: ポージィ | 2008/01/09 17:50

 
ポージィさん、コメントありがとうございます。(^^)

>澄み切っていたら、見通すこともできますね。

私が上手く書けなかったことを、適確につかんでもらえて嬉しいです。
他に言葉が見つからなかったので、ただ「見通している」と書いたんですけど。
もっと穏やかな感じだったんですよね。
ポージィさんの言葉で、そんな何かを補足してもらえたような気がします。
なんか透き通ったものって好きなんですよね。
そして私も知らなかったんですけど、「諦観」の持つポジティブな意味を知って、ますます好きになりました。

でも実際は、未だにカドカドだらけで困ってます。
というか、角を丸くしたくらいじゃ済まないような現実との不整合というか。
自分を鋳型にはめようとすると、アチコチが軋んじゃうんですよね。
(簡単に言っちゃうと「ワガママ」なのが悲しいんですけど)(T_T)

投稿: nanbu | 2008/01/09 20:42

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