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2008/02/08

たなごころ

Tanagokoro3「(月日が)たなごころから」こぼれていく。
なんて書いたのは去年の「年の終りに'07」。

最初、それを「指の間から」にしていた私。
でも、それは前にも使ったことがあるし。
なにか他の言い方をと考えて、思いついたのが「たなごころ」。

念のために@nifty 辞書で調べたところ。
●掌(たなごころ)「〔手の心の意〕てのひら」とあった。

なんと「てのこころ」で「たなごころ」とは。

そのことを知って、迷わずそれに決めたものの。
「手の心」が一体何を意味するのかなんて想像もつかない。


ケガや病気の処置を「手当て」と言う、とはよく聞く話だけれど。
頭が痛い時には、思わず額に手を当てるし。
お腹が痛い時には、すがるような思いで腹に手を押し当てる。

小さな子供が、どこかをぶつけて泣いている時は「痛いの痛いの飛んでけ〜」と手を当てたり。
「痛かったねぇ」と、頭をそっと撫でたりする。
そんな時、その手に込められた気持のことなのだろうか。

それとも、その手自体が持っているものなのだろうか。

だとしたら。
自分の心と手の心を対峙させたらどうなるのだろう。
と、考えてみて驚いた。

すでにもう「胸に手を当てる」という言葉があるではないか!


ある言葉を調べていて別の言葉に辿り着く。
そして、それまで気づきもしなかったそのつながりに驚く。
というのは、「ままにならない」等、これまでにもよくあったけれど。
今まで「手当て」と「(胸に)手を当てる」のつながりなんか、考えたこともなかった。


自分の胸に手を当てて考える。
自分の心に向き合って内省する。

それは、多かれ少なかれ痛みの伴う作業だけれど。
(自分の過ちを認めるのは辛うございます)
どうせなら、たなごころがその痛みも手当てしてくれればいいのに。

その傷を癒してくれればいいのに。

……なんて。

そこまで考えるのは、いささか虫のいい甘えであろうか。

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コメント

「掌(たなごころ)」は「手の心」という意味があるのですか。
なるほどぉ… 何となくそれだけで納得できてしまいます。
 
世の中には「手当て療法」paperなるものも存在するそうですよ。
熱を出したとき、お母さんが額に手を当ててくれるとちょっと
楽になったように感じるものですが、何気なくしているその
手を当てることで得られる癒しの力を意識して体を治そうというような。
まぁ、実際には悪いところがピュッと治ってしまうような力は
無いように思いますが、それでもpaperから人の思いやりや愛情・
優しさが伝わって癒され安心することで、自然治癒力を高めて
くれるのかもしれないな、とも思います。
これが気功のようなエネルギー(本当にあるならば)を使える人だと、
手当て療法も可能なんだろうなぁとも。

「胸に手を当てて考える」とき、その胸に手を当てていることが、
内省によって生じる痛みへの同時手当て(自分を守るための)に
なっているのではないでしょうか。びっくりしたり悲しかったり
したときも、胸を押さえる仕草をすることがありますよね。
それらも同じかなーなんて思いました。

私のコメント、なんだか話がずれてるような…coldsweats01

投稿: ポージィ | 2008/02/08 10:16

 
ポージィさん、コメントありがとうございます。(^^)
私も今そちらに伺ってきたところでした。

うんうん、そうですね。「気功」で手を当てる場面、見た覚えあります。
(自分もしてもらいたいです)
しかも「手当て療法」なるものがすでにあるということは、やっぱり手からはエネルギーのようなものが出てるんでしょうか。
そこまでいかなくても
「人の思いやりや愛情・優しさが伝わって癒され安心することで、自然治癒力を高めてくれるのかもしれない」と、私も思います。(^o^)

>胸を押さえる仕草をすることがありますよね。
そうか、そうですね。
無意識に胸を押さえたりすることありますよね。
ちょうど痛いところを押さえるみたいに。(一種の自己防衛なんでしょうか)
そうなると、ちゃんと手当てしてくれてるのかもしれませんね。(^^)

投稿: nanbu | 2008/02/08 10:59

 手というのはそういう文字でしたね。
 語源を考えると日本語ってとても奥深いです。
「手心をくわえる」とか「手塩にかける」なんかもきれいですよね。

 その昔、伝説の名馬を育て上げたアルセーヌ・テシオというカリスマ調教師いて、彼の教育方法が日本に伝わり、気をつかって一所懸命世話をすることを「テシオにかける」というようになった。
 ……というのはもちろん嘘八百です(笑)。

「手」をつかったことばというのは、かならずそこ心がありますよね。うつくしいです。

投稿: ろぷ | 2008/02/08 11:45

へぇ~ほぉ~と感心しながら読ませていただきました^^。
記事の内容からはまったく離れてしまうのですが、
うつくしい手にはついつい見とれてしまいます。
それは男性も女性も一緒です。
男性の場合は、大きくて、でも繊細さが感じられる手が好き。
女性の場合はぽっちゃり系より、するりと細長い指に目を奪われます。
ドラマで手のアップで、イメージとちがう手を見てしまったときは、
なんだかもやっとした気持ちになってしまいます。
そんなところからも、手には不思議な力があるということなのでしょうか。
   ↑
 (違うbleah

投稿: koko | 2008/02/08 13:00

 
ろぷさん、コメントありがとうございます。(^^)

>手というのはそういう文字でしたね。
私は「手」の文字そのものは調べてないんですが。
やっぱり、手の心と言われるにふさわしい(心を持つくらいに)特別な何かとして扱われてたんですね。
(そういえば「自ら」を丁寧に言う時「手ずから」なんて言いますね)
ろぷさんが、「きれい」、「うつくしい」と表現されたのも分かる気がします。

アルセーヌ・テシオが漢字の名前だったら信じてました。(笑)

投稿: nanbu | 2008/02/08 15:05

 
kokoさん、コメントありがとうございます。(^^)

私が感じた驚きを共有してもらえたとしたら嬉しいです。
そうですね。手専門のモデルさんがいるくらいだし。
kokoさんのように、つい手を見てしまう、という人は多いですよね。
(それが爪の形にまで及ぶ人もいるような)
それだけ手はその人の何かを象徴してるんでしょうか。
もしかしたら、kokoさんはそんな何かへの感受性が鋭いのかもしれませんね。
だから
>手には不思議な力があるということなのでしょうか。
も的を射てたりして。(^^)

投稿: nanbu | 2008/02/08 15:10

小さい子供が どこか体が痛いと訴えたら
まず母親は手を当ててみます
寝かしつける時にも 背中をそっとトントンと叩きますよね
(実はラムっちdogにもやってますがcoldsweats01

ハラハラした時には「手に汗を握る」
やっぱり 手には心があるんだと思います(^_^)

投稿: miki | 2008/02/08 20:35

 
mikiさん、コメントありがとうございます。(^^)

そうそう。寝かしつける時、確かにトントン叩きますよね。
痛いところに手を当ててもらうのと同じで、安心できるんでしょうか。
叩く間隔をだんだんに空けて、叩く力をそっと抜いていって。
もう寝たかな? と、ソロソロ起き上がったら・・・
パッチリ目を開けて手をつかまれて、また一からやり直したりして。(T_T)
でも、mikiさんとラムっちの場合、その時間はお互い純粋に楽しめるリラックスタイムなんでしょうね。(^o^)

>ハラハラした時には「手に汗を握る」
mikiさん、座布団をどうぞ♪ 「涙は心の汗だ」を思い出しました。

投稿: nanbu | 2008/02/08 21:32

誤 アルセーヌ・テシオ
 ↓
正 フェデリコ・テシオ

で、まんざら嘘800でもない説もありますよ

投稿: | 2010/05/25 15:16

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