2007/05/28

あの夏の日

5_12dote1あれはおととしの夏。
後二日で夏休みが終わってしまうという日だった。

いつものように、私がウォーキングに出掛けようとすると、ウチの子が一緒に行くと言う。

おや、どうした風の吹き回し。
ま、一人で行くより二人の方が楽しいし。こちらとしても異存はない。


河の土手にあるサイクリングロードに立つと、遮るもののない視野に広がるのは、見渡すかぎりの青い空。
一発でその爽快感のトリコになってしまったらしい。(ホレごらん♪)
それからは、休みの日になると私に付き合うようになった。

河川敷には、サッカーやボール投げに興じる人々が見える。
それに刺激されたのか、ある日「キャッチボールをしよう」と言いだした。
せっかく二人いるんだし。よし、お相手してあげようではないか。

学校の休み時間に友達としていたというだけあって。
久しぶりに受けたボールは一直線に胸元に飛込んで来る。

それに負けじと張り合うけれど。もともとそんなに得意じゃないし。
今まで山なりのボールしか投げたことがなかったことに気づいた私。
もしやその時が、自分が水平よりも下に向かって投げた、初めての経験だったのではないだろうか。


それに味をしめたのか。
冬休みの頃にはもう、キャッチボールするために河原に通う感じになってきた。
そして春休みになったら、お次はサッカーである。
キーパー役をやりたいから、今度は私にシュートしろと言う。

ちょっとちょっと。
体育の時間でさえ、足の内側で蹴るインサイドキックでゴマかしてたのに。
足の甲でシュートなんて出来ません。
どうしてもトウキックになっちゃうから、痛いの痛くないのって。
その頃の私の爪先は、常に熱を持って疼いておりました。

そして気がつくと、なんと私のスネには筋肉が付いているではないか。
それまで、それは棒状に太く発達するもんだとばかり思っていたけれど。
平らに広くなるということを、その時初めて知ったのであります。
 
 
5_12dote2そんなこんなで一年が経ち、また夏休みを迎える頃。
親と遊ぶのにも飽きたウチの子は、ひたすら走りだした。

私に麦茶の入ったペットボトルを預けるや、サイクリングロードをかけていく。
そして折り返した後、歩いてきた私と落ち合って麦茶を飲むのが日課になった。
(あたしゃ麦茶持ちですかい?)

そんな一夏を過ごし、また涼しくなった頃。
ウチの子は、もう一緒に行こうとは言わなくなった。
(麦茶の切れ目が縁の切れ目なのね)

今では勝手に一人で出掛けていく。
そして、キャッチボールとサッカーから解放された私は、また黙々とウォーキングするのです。


思えばあの夏の日。
土手の道を走り去る後ろ姿を見送った時から、それは分ってたことなのかもしれない。

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2007/02/05

癒しの喫茶店

Himeakahateha_upあらかたの日本人がそうであるように。
私は結構人目を気にする方だと思う。

でも、自分がやりたい事は、案外ためらわずやってしまったりするところもある。

それは、ウチの子がまだ小さかった時も例外ではなかった。
前ダッコでお散歩に行ったり、公園デビューしてみたり。


ただ、好きでしていたとはいえ、同時にまた焦りも感じていた。

とにかく一日中目が離せない。
子供を見張っているために、トイレのドアは常に開いたままだったくらいだから。
(今でも時々そのクセが出ちゃったりして…)

そんな生活が嫌なわけではなかったけれど。
社会と隔絶しているような不安と背中合わせでもあった。
(普段から打合せも電話で済んでるから、ほとんど家にいたし)

以前は、洒落たお店があれば当然のように入っていたのに。
自分も、その場にふさわしい人間でありたいと思っていたのに。

なにより、自由に行動できた。
それがどんなに貴重な事なのかというのを、思い知ったのだった。


飢餓感と言ってもいいようなその感情。

それに駆り立てられて、当時の私がしていた事は「喫茶店に入る」というもの。
お散歩の途中とか、たまに街での所用があった時、よく入ったりしたものだった。
(子連れでもヒンシュクを買わないようなお店や、空いている時間帯を見極めてだけれど)

子供が大人しくしていられる時間などタカが知れている。
しかし、短時間でもいいから入りたかった。

熱いコーヒーだったりしたら、それこそ冷めるのを待つ時間さえない。
まるで苦労するために入っているようなものだったけれど…。
それでも「喫茶店に入った」という事実は、私の渇きを癒し、安心させてくれた。


それが今じゃ、くつろぐのはもっぱらファストフードのお店。
最後に喫茶店に入ったのがいつだったのかさえ思い出せない。

それでも充分満足出来るのだから。

人間の欲望とは、置かれている環境でコロコロ変わるものなのかもしれない。
 
Himeakatateha
 
 
ひなたぼっこしていた
ヒメアカタテハ(たぶん)
ビオラとの映りが
あんまりキレイだったので

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2006/08/24

思い出作り

Omoide1お盆休みのある晩。
家内が明日ランチに行こうと言い出した。

実家には行っちゃったし、プールはお盆休みに入る前に行っちゃったし。
余裕のある今のウチに、夏休みの思い出を作ろうという事らしい。

以前、友人と地下鉄の駅近にあるお店でランチをしたところ、美味しかったのだと言う。
なんでも、1,000円でデザートのケーキまで食べ放題のバイキングだとか。

赤坂の溜池山王まで行くのは大変だけれど。
夏休みのイベントとしては丁度いいかもしれない。
「それだったら近所のロイヤルホストの方がイイ」と言うウチの子には、「東京見物だと思って」と説得した。

ただ、一つだけ不安材料が。
土日が休業のそのお店、はたしてお盆休みに営業してるのだろうか。
でもま、赤坂なら以前の勤務先。
土地カンもあるし、その時はなんとかなるだろう。ということで、見切り発車した。


見事に晴れ渡った、海水浴日和のその日。
「こんな日にランチに行くのはウチくらいじゃない?」
そうボヤきながら、言い出しっぺの家内の案内で現地に行くと。
…案の定お休みだった。

仕方なく地上に出たものの、そこがどこだか皆目わからない。
だいたい、当時「溜池山王」なんて駅は無かったんだから。
大昔の土地カンなんて、日々変容する大都会では何の役にも立たなかった。
ビルの谷間を彷徨う一家に、容赦なく夏の日射しが照りつける。

そこで私は閃いた。「表参道ヒルズに行こう!」

新宿に戻るくらいなら、表参道で途中下車したって同じ。
その提案は、以前私が行った時、散々羨ましがっていた家内の心を動かしたようだ。

しかし、その時は雨の平日。晴れた休日の人混みは半端ではなかった。
とても食事どころの騒ぎじゃなく、近くのセルフサービスのお店に入ったけれど。
「もう、東京見物はヤだ…。」と言う息子のつぶやきが、私の胸に突き刺さる。

ふと目を遣れば、ガラス張りの窓から見えるのは、GAPのビル。
かつてそこは、あのセントラルアパートだったのに。
家内は、そこにあった会社の内定を蹴って・・・私と知り合ってしまった。
それもまた、運命のイタズラか。
(だから今、不満そうにスパゲッティを啜る君がいる。)


不発に終わった思い出作り。老兵は消え去るのみである。

ほうほうの体で特急停車駅まで帰り、後は家までタクシーで、となった時。
「カラオケして帰ろう!」と家内が最後のアガキを見せた。
ところが、考える事は皆同じらしい。行ってみたら1時間15分待ち。
…最後に残った、いちるの望みまで断たれてしまった。


恐るべしお盆休み。
こんな時は、気軽に出歩くもんじゃないとの教訓を得た。

しかし、結構手近で夏休みを済ましてる人がいると知ったのも、また今回の収穫だった。

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2006/08/18

見知らぬわが子

Yamatosijimiお盆ということで、今年も実家に行って来た。

その帰り道。
ターミナル駅まで辿り着いた私達一家は、快速電車に乗り換えようと、ホームを急いでいた。

発車まで数分の車内には、立っている人もチラホラ。
とても三人で座る席はなさそう。
早足で歩きながら、とりあえず空席があったらバラバラに座ろうという話になった。

するとウチの子は、「年とってンだから先に座れよ。」と言う。
「失礼な!」
しかし、すでに席取りモードに入っていた私は、そんな挑発に乗っているヒマはない。
意に介さず素早い行動に出た。

いつも通り、最初に見つけた空席に子供を座らせ、自分の席探しに取りかかる。
家内も、向いのシートでなんとか確保したようだ。
後は自分だけ、と思ったけれど、これがなかなか見つからない。

これじゃぁ仕方ない。
三人の内二人座れれば、勝率六割六部六厘。
ツアコンとしては、まあまあの戦績かな?

なんて思いながらウチの子の前に戻ると、「座りなよ」と私に席を譲ろうとする。
あ、さっきのは口だけじゃなかったんだ。

戸惑いながらも、言われるまま席に座って見上げた息子は、少し大人びて見えた。


よく、西洋では親が座り、子供は立たせるらしいけれど。
(イギリスには「子供は犬のように躾ける」なんて言葉まであるそうだし)
でもそれは、個室やファミリールームがあるようなお国だからのような気もする。
(私が子供の頃は、ふすま一枚隔てた隣の部屋で、息を殺して来客が帰るのを待っていたし)
高床式の住居で、身を寄せあって生活している民族はそうもいかない。

なにより、その方が楽なのだ。
電車の揺れで転ばないか、周りに迷惑を掛けないか。
そんな心配をするより、とりあえず目の前に座らせとけば安心できる。
精神的疲労より、肉体的疲労の方がマシという訳だ。

小さかった頃、外の景色さえ見せておけば、大人しくしていたのも助かった。
ただ、空席がない時は、ダッコしなければならない時もあったけど。
(当時の駅や車内では、ベビーカーをたたまなきゃいけなかった)
それが少し大きくなって、立ったままドアの窓に背が届くようになった時は、肩の荷が下りた気がしたものだ。


…そんな事を思い出しながら、ふと目を開けると、もうそこにウチの子の姿は無く。
慌ててあたりを見回すと、ドア一つ隔てた向こうのシートに、チャッカリ(いや、シッカリ)空席を見つけたようだ。
すました顔で、一人座っている。

あぁ…。知らない間に成長したもんだ。


電車が最寄りの駅に着くまでのしばしの時間。
乗客の間から、時折見え隠れするわが子の姿。

それは、私がいつも見慣れているのとは、違う顔をしていた。

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2006/04/10

背の順

Clover2_1トランス雑記その8

子供によって成長の度合いは様々。

早くから大きくなる子もいれば、中学になって大きくなる子もいる。

この私は後者の方で、うちの子もまた、私以上の「オクテ」である。

しかも、その学年が終わろうとする頃に、滑り込みで皆と同じ年齢になる。
そんな、早生まれの私以上に、徹底した早生まれだ。


それもその筈で、出産予定日は4月の1日。
散々早生まれで苦労してきた私の、「何とか1日でも遅く生まれてくれれば…。」という願いは叶わなかった。

早生まれでオクテとくれば、大体想像がつく。

卒園の時の先生の言葉。
「今、年少さんならもっと幼稚園を楽しめたのにね…。」
それは、そのまま私の思いでもあった。


ところで、学校で整列するとなると、やはり「背の順」になる。

当然、うちの子は常に先頭だった。
(そりゃ運動会の写真は撮りやすいけれど、それとこれとはまた別。)
それどころか、「学年が違うのでは…。」と思えるくらい、飛び抜けて小さくて。
あまりのいたいけのなさに、「幼児虐待」という言葉さえ思い浮かべる程だった。

小さかった私の背が伸び出したのは、中学になってから。
小学校でいつも1番後ろだった子を、追い抜いたのもその頃だ。
「中学になれば…。」それだけを頼りに、1番前のわが子の写真を撮り続けるのだった。

小学五年生の時だったろうか。

うちの子より小さな転校生がやって来た時は本当にホッとした。
1番というのは「それより下がない」という事。
まるで宇宙の果てのように、拠り所のない不安が付きまとっていたからだ。

それが、たとえ2番目だろうが比較の対象になったんだから。
「それでいいんだよ。」と、言ってもらえたような安堵を覚えたのだ。


その頃からうちの子の成長期が始まったらしい。

結局背の順は変わらなかったけれど。
(運動会で、その子とは紅白に別れてしまった。)
そんな事はどうでもいい。大事なのは事実である。

小学校の卒業式では、親の欲目としても5番目位に見えた。
そして、今度入った中学でも5番目だと言う。

どうやら、初めて「前へならえ」で手を前に上げる姿を見られそうである。
(1番前は手を腰に当ててるでしょ?)


'04年6月26日

●上の写真は、子供の頃を思い出して探してみた四葉のクローバー。五葉のクローバーを見たのは初めてかも。

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2005/10/23

ウォーキングの誤算

1020kamo以前受けた健康診断。
結果は、心配していた通りあまり芳しくなかった。

考えてみれば通勤するわけでもなく、一日中パソコンに向かって仕事をしているだけの毎日。運動不足と言われても仕方ない。

ただ、じっとしていられない私は、気分転換にコンビニに行ったり、お風呂を洗ったり洗濯物を取り込んだりと、用事を見つけては結構マメに動いているつもりだったんだけど…。
そんなチマチマした行動ではやはり意味はなかったようだ。

先生がおっしゃるには、「毎日30分歩くように」。

考えてみれば、ウチの子がまだ小さかった頃、毎日1時間くらいお散歩していた。
そして、その頃が一番体調が良かったのも実感している。

ここはひとつ頑張らねば。
なにせ一年中で一番爽やかな季節ときているのだから。
(途中でやめちゃうと恥ずかしいから書かなかったけど、始めたのは初夏でした。)


背筋を伸ばし、足を前に放り出す感じで…。
常々姿勢の悪さを自覚している私、これで姿勢が良くなったら一挙両得ではないか。(転んでもただでは起きないモンね!)

土手を歩きながら、久々に嗅ぐ川の臭いと草いきれ。
行く先々で、懐かしい香りと出会い、足取りも軽くなる。

かって知ったる公園のベンチ。
そこまで歩いていって一休みすると、小さな滑り台が目に入った。

「あぁ。そういえば、このおすべりで遊ばせたっけなぁ…。」

母親より大きくなった今では、想像もつかない程幼かった当時。
そしてその傍らには、いくらか若くて元気だった自分がいた。

・・・それが今は、穏やかな日射しの中、ひとりポツンとベンチに座っている。


「さんざん通った散歩道、コース選びには困らない。」
意気揚々と始めたウォーキングだったけれど…。

思わぬ感傷に浸ってしまうのは、とんだ誤算だった。

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2005/10/14

陰に隠れて

10月10日は「体育の日」。
スポーツの秋という事もあって、この日に予定されていた運動会も多いのでは。
でも、今年はあいにくの空模様。
遠足、運動会の天気には、いつもやきもきさせられていたっけ。


ところで、声を張り上げて声援を送る観客の姿は、運動会のありふれた光景だけれど。
残念ながら、私には殆どその経験が無い。

なぜって、子供が嫌がるから。

会場でたまたま顔を合わせても、お互い他人のフリをする。
これは、小学校一年生から暗黙の了解になっている。

「級友に自分の親(親子関係)を見られたくない。」という感情は、確かに思春期の頃自分にも覚えがある。でも、これ程ではなかったような…。
ただでさえ幼く見えたウチの子は、自分の弱味?を見られるのが、人一倍嫌だったのだろうか。

ならば幼稚園の頃は、と言うと、これがもっとひどかった。
親がいなければ、健気に一人で頑張っているのに。
ひとたび親の姿を見つけると、「嫌だ、帰りたい。」と、火が付いたように泣き出すのだった。


初めての運動会での事だ。観客の陰から盗み見ている内は良かった。
しかし、運悪くビデオのテープが無くなってしまった。(バッテリーはチェックしていたのに。ここぞという時に、決まってどちらかが無くなるのは何故だろう…。)

仕方なく、近くのコンビニへ買いに行ったのだけれど。
会場に戻った時、あろうことか出番を待って待機している園児の集団に鉢合わせしてしまった。(その時の先生の目に、咎めの色を見たのは、私の負い目のせいだろうか。)
当然、ウチの子はいつものように泣き出した。その後はもうメロメロ。
かわいいボンボンを付けてのお遊戯も、駆けっこも泣き通しだった。

…それに懲りてからは、ますます陰に隠れざるを得なくなった。
まるで飛雄馬と一徹の特訓を、木陰から見つめる明子ねえちゃんのよう。

さすがに年中さんからは、泣くような事はなくなったものの。
トラウマを引きずっているこちらとしては、ついつい、隠れる物陰を探してしまうのだった。


それが、年長さんになった最後の運動会では、紅白リレーのアンカーになった。
(ひときわ小さいウチの子が速いハズもなく。ま、演出の一つ?)
バトンが渡された時には、既に相手方はゴールインした後。
それでも一生懸命走る姿に、私も思わず声を上げてしまった。
(やっぱ演出だったのねん。)

今から思えば、心おきなく声援出来たのはその時だけ…。

CMやニュースで流れる、なごやかな親子の運動会風景。
それは、どうも私には縁が無かったようだ。
 
kawara2
 
 
●実はこの記事、
去年書いたもののタイミングを逃していたもの。
今と随分書き方が違う事にも驚きましたが、
また一年待つのはシンドイので、
少々手を加え、一年ぶりにUPしてみました。

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2005/01/23

前ダッコ

赤ちゃんを外に連れ出す時は、おんぶするかダッコしなければならない。ベビーカーに乗せればいいのだが、場所を取るし、ぐずり出す事もある。

おんぶするには「おんぶヒモ」が要るし、ダッコも長時間なら「ダッコヒモ」が必要になる。
「おんぶ」か「前ダッコ」かでも論争があったものだが、以前実家で姪をおんぶした時には平気だったのに、30も半ばを過ぎておんぶすると、頸動脈が圧迫されて頭の血管が切れそうになったので、必然的に前ダッコになった。

その「ダッコヒモ」だが、私でも使えるようにシンプルなものを探して、紺色にした。
それでよく連れ歩いたものだけれど、その一部は小さな水玉模様が入っていて、真ん中におリボンまでついている。それがイマイチだったが、他にシンプルな物が無かったのだからしょうがない。(「しょいこ」の様なゴツいベビーキャリーはあったけれど、登山する訳じゃないし…。)

ウチの子が歩き始めて使わなくなった頃、当時気に入っていたコムサデモードで、シンプルな紺色のダッコヒモを見つけた時は本当に悔しかった。(「私のおリボンをどうしてくれる。」と、今思い出しても悔やまれる。)さらに、紺色のフレームのベビーカーばやりの頃があったけれど、思えば、その紺色のベビーカーを初めて売り出したのもコムサだった。(もちろん、ウチのは当時主流の黒。)
バーゲンに並び、それ以外でも足しげく通ったのに、(見るだけの時が多かったけど。)どうもタイミングがずれていたようだ。

しかし、すぐに着られなくなったり、使わなくなったりするのは分かっているのに、あれ程の情熱を注げたのは何故だろう…。
何かの代償行為だったとしか思えない。

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2004/12/11

カエルの子

前回、「相手の欠点は嫌でも目に付くが、良い所は見つけにくい。」と書いたけれど、相手が我が子なら尚更の事だ。

「カエルの子はカエル」とは良く言ったもので、親と同じ遺伝子を受け継いで、その親の価値観の下に育てられてそうなったのだから、文句は言えない。けれど、これまで散々自己嫌悪してきた自分の欠点を、増幅して見せつけられているようなものだ。(なにせ子供だから自制するという事がない…。)鏡に映った己の姿にアブラ汗を流すガマガエルのようではないか。他人のせいに出来ないというのは、本当に腹が立つ。
「どうしてこの子はこうなんだろう。」と思う度に、「どうして自分はこうなんだろう。」と、かつて自問していた事まで思い出してしまう。

逆に、良い所も似ている筈なのだが、それは親にとっては当然の事で、当たり前すぎて気が付かない。それどころか、親より劣っている点ばかりが目に付く。これでは、子供はたまったものではない。良い所もある筈なのにそれは認めてもらえず、欠点ばかり指摘される。(なにせ近親憎悪なのだから…。)

そう考えると、やはり重箱の隅を突くようにしてでも、なんとか良い所を見付けてあげなくては…。と、思う私なのでありました。

saigobara
 
 
今年最後のバラ。
この秋は本当に暖かだったらしく、
12月になっても
青々とした葉を茂らせている。
 
 
 

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2004/11/28

老婆心

前回、バスに乗って小さな冒険をしていた思い出を書いたけれど、最初から首尾良く行った訳ではない。やはりそれなりの覚悟がいるし、気軽に行動を起こして、とんだ失敗をした事もあった。

ある時、大きな団地の商店街まで散歩に行った時の事。いつもはそこから帰るのだが、たまたまバス停に駅前行きのバスが留まっていた。散歩に飽き足りなくなった私は、ついサービスして、それに乗せてあげることにした。(喜ぶ顔が見たいという理由だけなのだから、親バカもここに極まれりだ。)途中で家の近くのバス停も通る。何とかなるだろうと思ったのだが、コレが間違いだった。私の目論見以上にバスは早かった。あっという間に最寄りのバス停が過ぎ、終点の駅前までついてしまった。これでは満足する訳がない。しょうがないので、元いた団地行きのバスでとんぼ返りする事になった。片道200円、往復で400円だが、遊園地の乗り物代と思う事にした。

再び家の近くを通り過ぎ、結局、元の場所まで戻ってしまった。その時だ。もっと乗っていたいウチの子は、火が付いたように泣き出した。すでにもう、400円も使っている。これ以上のサービスをする気になれなかった私は、無理矢理降りたのだが、私に手を引かれながら泣いているわが子に、「坊やどうしたの?」と中年の御夫人が声を掛けて来た。子供に向ける顔はにこやかだが、時折私を見る視線は猜疑心に満ちている。これこれしかじかと理由を説明したのだが、「すわ!誘拐?」と疑られたのは明らかだろう。

治安というのは、こんな老婆心で保たれている側面がある。疑われた不快さより、「この辺もまだまだ捨てたもんじゃないな。」という安心感の方が大きかったけれど、私にとっては、そんな危険を孕んだ冒険でもあったのだった。

hitoha.jpg 
 
 
 
 最後の一葉。
 先日の強風で
 落ちてしまった。
 
 
 

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2004/11/25

たのしい乗り物

この前、男の子は乗り物が好きだと書いたけれど、実際に乗るのはもっと好きだ。
だから、散歩の途中でバスに乗ってみる、という小さな冒険をする事もあった。バス通りまで歩いていって、たまたま通りかかったバスに乗ってしまうというのだから、冒険には違いない。

そのバス通りは駅前に続いていて、いつもひっきりなしにバスが通るのを見ていた。帰りはその駅行きのバスに乗れば良いんだからと乗り込んだのだが、その路線は思いのほか長距離だった。帰る時間が気になりだして、途中下車したのだが、待てど暮らせど帰りのバスが来ない。確かに駅の近くまでは路線が重複していて、便数も多く見えたが、その先は目的地に向って枝別れしている事に、その時やっと気がついたのだった。しかし、親の方がイライラしていたのに、愚図りもしないで大人しくバスを待っていたのだから、本当に好きだったのだろう。

その教訓を生かして、同じ私鉄の駅に向う路線に的を絞ってからは、そんな失敗もしなくなった。バス賃よりも帰りの電車賃の方が安いし、やはり土地カンがある方が安心だ。駅からだと家まで距離があるが、いざとなればダッコという手もある。
ある時、目的の駅まで着き、後は電車で帰るだけとなって、駅前のお店でひと休みした事があったが、わが子の満足げな顔を見ながらコーヒーを啜った時には、ちょっとした冒険旅行を成し遂げたような気さえしたのだった。

本人に聞いてみると、その頃の事は殆ど忘れてしまったと言う。「じゃあ、一体あれは何だったの…。」などと思ってしまうが、今でもその当時の事は、幾ばくかの感傷と共に懐かしく思い出される。
その時は、子供を喜ばせるためだけにしていたつもりでも、今にして思えば、自分のための思い出作りをしていたのかもしれない。

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2004/11/18

男の子・女の子

男の子は、どうしてあんなに乗り物が好きなのだろう。「たのしい乗り物」系と「かわいい動物」系は、幼児に与える最初の絵本の双璧だ。

ウチの子は、まだ言葉も喋れない頃から電車や自動車のおもちゃを欲しがった。与える方としては、そればかりではつまらないので、「かわいいクマさんだよ−。」とか言ってヌイグルミなどを見せるのだが、イヤイヤをしてこちらに押し戻す。で、結局同じ様な電車や自動車のおもちゃが増えていくばかりだった。そんな様子を見るにつけ、一歳になるかならぬかの幼児でも、男の子は男の子なんだなー。と、思い知らされるのだった。

「女性は女性として生まれるのではなく、女性として作られるのだ。」と言ったのは、ボーヴォワールだけれど、昔は私もそう思っていた。私以上に男の子っぽい女の子もいたし、ミニカーが好きだった私も、可愛いヌイグルミが嫌いではなかった。むしろ「男の子は男の子らしく」と強制される事に反発すらしていた。

しかし最近は、その意見もぐらつきだした。幼稚園児を見ていると、男の子が「どんな」おもちゃで遊ぶかに関心があるのに比べ、女の子は、「誰と」遊ぶかが重要らしい。確かに、井戸端会議と言われる様に、奥様方はお喋りがお好きだけれど、それは幼い頃からそうやって培われて来たコミュニケーション能力の為せる業であるように思える。見知らぬ同士でも、同席した途端、嬉々としてお喋りを始められるのは、見事としか言い様がない。これは、「女三界に家なし。」と言われた昔から、どんな境遇にも適応出来る様、連綿として受け継がれて来た遺伝子の進化した姿なのだろうか。

主張するべきは主張し、耳を傾ける時は傾聴する。それを愉しみながらやれてしまうのだから…。根回しやコンセンサスの形成等、遅々として進まない企業の会議に比べ、女性の話し合いはスムーズに進行するような気がする。

横道にそれなければ、だけど…。(^^;)

pumira.jpg 
 
 
 プミラは
 植えてから数年経つと、
 先祖帰りして
 斑が無い葉が現れるけれど、
 今度は
 ピンクの葉が出て来た。
 

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