2007/01/25

あげる/その2

Asayake3敬語は難しい。

特に「差し上げる」は分かりにくい。

「あげる」は「与える」「やる」の謙譲語。
下から上へ「上げる」のだから、それはいいとしても。

反対に上から下への尊敬語は「下さる」のかと思ったら。
「賜(たま)う」なんだとか。
(そこまでの敬語を要求される場面には遭遇しなさそうだからいいんだけど)

尊敬語の「くださる」の基本語は「くれる」。
で、その反対は「もらう」だから、謙譲語は「いただく」になるんだそう。

なんか「あげる」「くださる」「いただく」の三つどもえって感じになっちゃうし。
ここはやはり、「あげる」は単独で考えないとこんがらがりそう。


ところで、実際に「あげる」を謙譲語として使う時には、「差し上げる」になるんだろうけれど。
ここでもまた疑問が。

例えば、同じお稽古教室の生徒同士だった場合。
先生にお歳暮をあげたか尋ねる時。

「先生にお歳暮を差し上げましたか?」でいいのだろうか。

確かに先生には敬意を払った言い方だけど。
肝心の話し相手の行為を謙譲しちゃうのはマズそうだし。
現実的には「差し上げた方がよろしいんでしょうか?」とか言い換えたり?

他にも、目上の人の子供にあげたい時。
「お子様に差し上げてください」も危なそう。
上がって下がるとなると、もうお手上げ。
(「お渡し下さい」で逃げた方が無難?)


「あちらを立てればこちらが立たず…」は世の常だけど。

どっちにも失礼のないようにしようとすると、自分がヒンシュクを買っちゃったり。
とかくに人の世は住みにくい。

敬意を払う相手が複数になると、どうしてこんなに複雑なんでしょ。


●追記:私の疑問は「二方向への敬語」なんだとか。
↓いろいろ検索してみたところ、とっても参考になるサイトさんを見つけました。

http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/keig/c01c23.htm

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2007/01/22

あげる/その1

Asayake1私が中学生の時だ。
美術の時間にオルゴールを作ったことがある。

作ると言っても木製のキットを組み立てただけだけれど。

唐草模様を彫り上げた表面にヤスリをかけ、黒く塗装してニスで仕上げる。
小物入れになっている内側には、エンジ色のフェルトを貼って。
すると、想像した以上の出来栄えになって、自分でもちょっと嬉しかった。

そこで私は欲を出した。
フタの裏側に小さな鏡を付けたくなったのだ。

どこに行けば手に入るだろうと考えた私は、通学途中にガラス屋さんがあるのを思い出した。
鏡もあったような気がするし、あそこなら売ってくれるかもしれない。
どうしても鏡が欲しかった私は、勇気を出してそこに行くことにした。


私が声をかけると、中から出てきたのは無愛想なおばさん。
おずおずと「小さな鏡が欲しいんですけど…」と言うと、その人は顔からさらに表情を消す。それは、不機嫌と言ってもよかった。

自分は何かいけないことをしてしまったのだろうか。

すると、不安げに見つめる私の目の前で、そのおばさんは思いもよらない行動に出た。
その辺にあった鏡のカケラを拾い上げるや、慣れた手付きでそれを四角く切り出したのだ。そして、あっけにとられている私の前にそれを突き出し、こう言った。

「やるよ」

あぁ…。そういうことだったのか。
その人にとって自分はお客ではなく、鏡を欲しがっているタダの子供だったのだ。
迷惑そうだったのも無理はない。
むしろ私は、感謝しなければならないのだ。

…そこまでは理解できたけど。
それでもやっぱり、私はイヤな気持を振り払えなかった。

「お金を払ってでも、ちゃんとした売り物の鏡が欲しかった」
少し角の曲がった四角い鏡。
切り出したままの、手が切れそうな鏡を注意深く持ちながら、私はそう思った。


敬語の使い方によると、「あげる」は「やる」の謙譲語になるんだそう。
それでいくと「花に水をあげる」という言い方は間違いだとか。
だから、あのおばさんの言葉は正しかったのだろう。

私も対外的には「子供にお小遣いをやった」と言うようになったけれど。
でも、家で子供に言う時には「お小遣いをあげる」と言いたい。

この「あげる」。
今では謙譲語というより「やる」の丁寧語として定着しつつあるんだとか。

私も、それでいいような気がしている。

Asayake2
 
●追記:「あげる」と「やる」はとってもデリケートな問題で
二重敬語の「お召し上がりになる」が市民権を得たように、今過渡期にあるような気もします
その2では、謙譲語の「差し上げる」に触れたいと思っています

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2006/12/17

こころやすだて

Otiba4「心安立て」なんて言葉がある。

この言葉を知ったのは、三十くらいの時だろうか。
その響きが心地よくて、いっぺんで好きになった言葉。

でも、その意味は。
「親しさに慣れて無遠慮にすること」

どうやら、あまりいい言葉ではないらしい。
だから使う事もなく、ただ頭の中の箱にしまって時折眺める宝石のようなものだった。


「親しき仲にも礼儀あり」

わかってはいても、常にそれを実践することは難しい。
それは、この「心安立て」が、なかなかに厄介な代物だからかもしれない。

「気立て」がいい、「心立て」がいいは、とってもいい言葉なのに。
その間に、「安」が入ると怪しくなる。
「気安い」、「心安い」といったニュアンスと合わさると、別の顔を見せ始める。

ゆったりとお風呂に入っていて、ふと鼻歌が口をつくような。
無邪気で、屈託のない心持ち。
しかし、そんな時に限って、この「心安立て」が忍び寄る。
それが、一瞬にしてお風呂のお湯を冷水に変えてしまう。


いや、そんな時は、かすかに危険信号が発せられていたのかもしれない。
後になって考えれば、頭の中の小箱は、確かにコトコト震えていたのかもしれない。

幸せな時に感じる、わずかな脅えのような予兆。

それなのに。
気づくのは、いつも後になってから。
まるでデシャブのよう。

どうして、もっとはっきりと教えてくれないのだろう。
どうして、もっと早く気づかせてくれないのだろう。
そんな時、自分の中の「心安立て」は、とても意地悪だと感じる。


その意味とは裏腹な、耳に快い響き。
それもまた、その本質を言い得ているのだろうか。

だからこそ、何度も同じ間違いをしてしまうのだろうか。

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2006/12/11

取るものも取りあえず

12_6yukiyanagiはい、私が悪うございました。

先日の「然」はもとより。
「召す」とか「差す」とか。
今まで多様な使われ方をする言葉を挙げてきたけれど。

これには参りました。

「とる」を@nifty 辞書↓で調べたところ、出てくるわ出てくるわ。
http://tool.nifty.com/dictionary/
いくらスクロールしても次から次へと。

これじゃぁ、とても全部を記事にまとめるのは無理。

そこで、手持ちの三省堂国語辞典を手に取った私。
そちらも参考にしながら、かいつまんで取り上げることにいたしました。

【取る/執る/採る/捕る/撮る】 
 手に持つ。《取・執》「手にとる」
 処理する。仕事をすすめる。《執》「事務をとる」
 保存する。残しておく。《取》「とっておく」
 取りのぞく。《取》「シミをとる」
 重ねる。《取》「年をとる」
 取って集める。《取・採》「きのこをとる」(農作物の場合は「穫る」とも)
 報酬を得る。収入を得る。《取》「高給をとる」
 分ける。《取》「分け前をとる」
 もらう。《取》「満点をとる」
 領有する。支配する。《取・執》「天下をとる」
 つくる。《取》「型をとる」
 食べる。摂取する。《取》「食事を—・る」(「摂る」とも)
 解釈する。《取》「悪くとる」
 うまくあつかう。《取》「機嫌をとる」
 迎える。《取》「嫁をとる」
 取りよせる。《取》「出前をとる」
 引き受ける。《取・執》「責任をとる」
 脱ぐ。外す。《取》「帽子をとる」
 ついやす。《取》「時間をとる」
 書く。《取》「メモをとる」
 つける。《取》「連絡をとる」
 許しを得る。《取》「了解をとる」
 奪う。「お金をとる」《取》(金品の場合は「盗る」とも)
 採用する。《採》「卒業生をとる」
 とりこむ。《採》「窓から明かりをとる」
 つかまえる。《捕》「魚をとる」
 (写真を)写す。《撮》「映画をとる」

等々…。これでもほんのごく一部。

取るものも取りあえず、取り急ぎ取りまとめようと筆を取りました。
それもこれも、取りも直さずネタのため。
取るに足りないなどとおっしゃらず、気持だけでもお汲み取り下さいませ。

…なんて。
ではこのへんで、今回はお暇を取らせていただきます、はい。

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2006/11/28

かえる

11_25fujiと、言っても。
卵から「孵る」カエルのことじゃありません。

お家に「帰る」でもなく。
我に「返る」でもなくって。

顔色を「変える」とか。
そのもの自体を違う状態に変化させる「変える」ならイイんだけど。

着「替える」とか、乗り「換える」とか、挨拶に「代える」とかの「かえる」。

「替える」「換える」「代える」
この三つには、いつも悩まされる。(「代替わり」なんてダブルだし)

両「替」、交「換」、「代」理。みたいに、意味の似た熟語から判断してるけど。
「換気」だったら、外の空気と入れ「換える」のか「替える」のか。
そのへんがイマイチ釈然としない。


そこで、いつもの@nifty 辞書で調べてみました。
すると…

● か・える かへる 【替える/換える/代える】大辞林 第二版より

それまであった物をどけて、別の物をその位置・地位に置く。

(1)同種・同等の別のものと交替させる。《替》
 「商売を—・える」「毎日シーツを—・える」

(2)ある物を与えて別の物を得る。《換》
 「宝石を金(かね)に—・える」

(3)あるものを活用・採用せず、その役目を他のものにさせる。代用する。《代》
 「挙手をもって投票に—・える」

(4)飲食物のお代わりをする。
 「ご飯を三膳も—・えた」


おぉ!なんとなく見えてきた感じ。

ペチュニアもビオラも同じ花には変わりないから「植え替える」。
ある物を与えて別の物を得るから「金に換える」。
他の物にその役目をさせるから「挨拶に代える」。

あれ?でも、「代える」はイイとしても。
「交換」と「取り替えっこ」とどこが違うの?
…やっぱり分からない。

ただ、「変える」は〔「かえる(替)」と同源〕なんて記述もあるし。
なんとなく「替える」が一番強そう。(強い弱いの問題でしょうか?)(^o^)

ま、それはイイとして。(よくない?)

「替」の文字って、「日」の上に「夫」が二人いるのが、チョット意味深長。
(日替わり夫なんて、定食みたいだしぃ…)(T_T)

83kaeru
 
 
…呼んだ?

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2006/11/22

閑話休題

9_20enokoro2この前の「霹靂(へきれき)」といい。

毎度の事だけれど。
大人になってから、初めて知った言葉はいろいろ。

でも、灯台下暗しと言うか。
その代表選手を忘れてました。

それが「閑話休題」。

正確に言うと、新聞のコラムのタイトルになってたりするから、初めて見たワケじゃないんだけど。
そんな言葉があるなんて事自体、考えもしなかった。
(「話題も尽きた事だし、ここらでちょっとお休み。」みたいな意味のタイトルかなと。)


「閑話」は、「静かに談話すること」とか、「むだ話」の事だそうで。
(この二つ、全然意味が違うと思うんですけど。)(・o・)
それを辞書で調べた時、用例としておでましになったのがこの言葉。

なんでも、「それはさておき。」とか「さて。」って意味で、接続詞的に使われるんだとか。

ただ、(文)記号だから文章語だとすると、会話じゃ使わないんだろうし。
手紙なんかで「最近調子はどう?」とか、近況報告が済んだ後、「ところで、聞きたい事があるんだけど。」と、本題に入るような時に使うのだろうか?

※ちなみに、漢和辞典で「休」を調べると、「途中でやめる」「中止する」の意味も。
「閑話」を「むだ話」と解釈すれば、「むだ話をやめて、本題に」って感じ?


...閑話休題。(無理矢理使ってみました。)(^o^)

それにしても、接続詞をタイトルにしちゃうなんて、ちょっとスゴイと思いません?
きっと、そのタイトルが頭に浮かんだ時。
それを思いついた人は、「これだ!」と、思わず膝を叩いたのではないだろうか。

そんな言葉があると知って、「なるほど!」と唸った私みたいに。

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2006/10/17

差しつ差されつ

9_21tyo杯を酌み交わす。
頬にほんのり赤味が差して…。

なんて呑気なことを言っている場合ではなくなってしまった。

あぁ、恥ずかしい!
今の今になって気づくなんて。


実は先日、あるブログさんにコメントを書き込んだ折り。
そのお返事には「挿し芽」という文字が。
その時、私の頭はスパークした。

「そうだ、この字だった!」

何も考えずに、ずぅ〜っと「差し芽」と書いてたこの私。
遅蒔きながら、気がついたものから書き直すことにいたします。
(もう、何べんも書いちゃったんだけどぉ)(T_T)


そこで、気になったのがこの「差す」って言葉。
@nifty 辞書によると、ウンザリするほどたくさんの意味がある。

以前、召し上がれで、応用範囲が広い言葉として「召す」を挙げたけれど。
そんなのはメじゃなかった。


冒頭の、酒をすすめる「杯を差す」の他にも。
注ぐのが水だったら「水を差す」だし。

前の方に出す「差し出す」、かざすの意味で「傘を差す」。
お侍さんは腰に「刀を差す」。
お相撲だって「左を差す」とかって言うし。

それは色にまで及んでて。
色をつける「紅を差す」、顔に「血の気が差す」。

「嫌気が差す」、気がとがめるの「気が差す」で、気持のことまで。
そういえば「魔が差す」なんて言葉もあるし。

「差し障り」があったり「差し支え」なかったり。

姿がちらりと見えるのを「人影が差す」とか「鳥影が差す」とか。
潮が満ちてくるのも「潮が差す」だし、枝が伸びるのも「枝が差す」。
果ては日差しや薄日まで「差し」ちゃうし(これは「陽射し」とも)。

「あかねさす」の枕詞だって、茜色に照り映えるって意味からすれば、やっぱり「差す」ような。


書ききれないから、もうこのへんでおしまい。
でも、まだまだいっぱい。
でもって、「差す」「挿す」の他にも「刺す」「指す」が控えてるんだから。

何気なく使ってた「さす」がこんなに万能選手だったなんて。
・・・・・・・・「さす」が!

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2006/10/14

鼎の軽重

Sizuku_murasakiイラストの仕事で、コンピュータが便利な事。
それは、何と言っても色付け。

筆の場合、チョットした事でムラになっちゃうから。
それこそ息を殺すようにして色を塗っていたものだ。

それが、バケツツールでクリックするだけで、均一な色が塗れるなんて夢みたい。

とはいえ、元となる線画のイラストは、未だに手描きが多い。
コンピュータが描き出す線は揺るぎないけれど。
手描きの線も、なかなかに捨てがたい味がある。(しかも早い!)


先日も、とある社内報のアンケートに寄せられた、投稿記事に添えるカットを描こうとしていた。

ただ、何せ3cmほどの小さなスペース。
ちょっとしたワンポイントのイラストしか描けない。
例えば武道館のコンサートだったら、屋根のてっぺんに乗っかってるタマネギにしてみたり。(爆風スランプですね)

そして、今回のテーマは「自分が尊敬する人」。
内容は様々だったけれど、その中に、歴史に造詣が深かった、元上司を挙げた方がいらした。
若かりし頃「君、そんな事を言うと『鼎の軽重を問われるよ。』」とたしなめられたのだとか。

さて困った。「鼎(かなえ)」とはなんぞや。
漢和辞典で調べたら、二つの持ち手に三つの足が付いた煮炊き用の鍋だとか。
さらに、@nifty辞書によると

●鼎の軽重(けいちよう)を問う
〔「左氏伝(宣公三年)」より。晋の景公を破って心のおごった楚の荘王が、無礼にも周の宝器たる九鼎の大小・軽重を問うた故事による〕統治者を軽んじ、これを滅ぼして天下を取ろうとする。人の実力を疑って、その地位をくつがえそうとする。また、人の能力を疑う。

うん、これで意味はOK。
ここはやはり、鼎の絵を描くしかあるまい。

と思って検索してみると。
あな嬉しや!ちゃんとその写真が載っている、サイトさんまであるではないか。


…昔はこんな時、よく図書館のお世話になったけれど。
(その手間を惜しんだら、それこそ「鼎の軽重」を問われてしまう)
そこにズラッとならんでいた百科事典が、喉から手が出るほど欲しかった。
それが今では、インターネットで検索できるんだから、本当にありがたい。

ただでさえ狭い家。余分なスペースなんかありゃしない。

あの時、十何万円もする百科事典を買っていたら。
今頃、それに埋もれて泣いていたかもしれない。
 
Asahi_murasaki
 
 
雨上がり
コムラサキシキブが
朝日にけむって

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2006/09/26

9_20enokoro「はな」という言葉の語源。
それは「平らな所から突き出したもの」だったとか。

「花」は、地面から茎が突き出して、その先に咲いてるし。「鼻」は、顔から突き出している。

以前、何かでそれを知り、「なるほど。」と思った。

それから、これはよく言われている事だけれど。
「餞(はなむけ)」も、@nifty辞書によると

●はなむけ 【▼餞/▼贐】 大辞林 第二版より
〔「馬の鼻向け」の略〕旅立ちや門出に際して、激励や祝いの気持ちを込めて、金品・詩歌・挨拶(あいさつ)の言葉などを贈ること
馬の「鼻」を旅立つ方に向けてあげる事から。 だそう。

こうやって考えると、話し言葉としての「音」が先にあって、後から「字」が当てはめられてるのがわかる。


ところで、地名だったのだろうか。「塙」という漢字に出会ったことがある。
一瞬「しま模様」の「しま」?と思ったけれど、それは「縞」だし。へんが違う。

そこで、旅好き、鉄道好きな人に聞いてみたところ、「『はなわ』…かなぁ?」とのお返事。

「おぉ…。」
後になって辞書で調べたらその通り。これも、

●はなわ はなは 【▼塙】
山などの突き出した所。また、土の小高く盛り上がった所。 だそう。

突き出してるだけに、ちゃんと「はな」がついてるし。
「土」へんと「高」で「塙」。
うん、「音」も「字」もドンピシャ。


それから、そうそう。
「はな」と言えばもう一つ、「端」もある。

●はな 【▽端】
〔「はな(鼻)」と同源〕
(1)物事の最初。 「—からやり直す」「—からわかっていた」
(2)物の突き出た先の部分。先端。はし。 「突堤の—に舟をつける」

う〜ん。昔の人、ナイス!


ハナから期待もせずに書き始めたものの。
しょっパナから出バナもくじかれずに書き終えて、めでたしめでたし。

・・・なんて。

噺家さんの真似をして。
「おあとがよろしいようで」と締めたくなっちゃう。

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2006/09/08

もののあはれ

9_7murasaki年を取ると涙もろくなるなんて言われるけれど。
それはあるかもしれない。

感受性といえば、なんといっても若い頃。
でも、年を重ねると、それとは違う、別の感受性が芽生えるような気もする。

SMAPじゃないけれど、「心のやらかい場所」が変化するようなのだ。


若い頃は、しなやかで弾力があったその場所。
そこから、ハリがなくなり、恥じらいや気負いといったものが消える。
すると、スカスカになったそこに、染み込むこと染み込むこと。

高分子吸収体(紙オムツですね)が水を吸収するのとは違って、高野豆腐とかヘチマが水分を吸い込むように。
多孔質のそれに、「もののあはれ」がジンワリと染み渡る。

ちなみに、@nifty辞書によると、この「物の哀れ」。
「外界としての『もの』と感情としての『あわれ』とが一致する所に生じた、調和的な情趣の世界をとらえていう」んだそうな。
(イマイチわかりませんが、何かが心の琴線に触れちゃった時みたいな感じでしょ?)


ところで、時々ウチの子の国語の教科書を覗いたりするけれど。
これがまた良いンだわ。(教材と思わなければ、ね)
「えぇ話や…。」感激した私が同意を求めても。
ウチの子は、「はぁ?」と、つれない返事をするばかり。

脂ののった肌が、シャワーの水滴を弾くように。
受け入れようともしないのが、もったいない。
水分に飢え、カサカサに乾いた私の肌は、こんなにも潤いを求めているのに。


さて、教科書に戻ると。
一学期は古典を勉強してたらしい。
そういえば、夏休み前に「月日は百代の過客にして」なんて暗記していたし。
その前は、万葉集や古今和歌集。
「うんうん」こうやって解説してもらえれば、私でもシミジミ味わう事ができる。

花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町

なんでも「降る」と「経る(時が経つ)」。
「長雨」と「眺め(物思いする)」は掛詞(かけことば)になってるんだそう。

むなしく月日が過ぎ、物思いに耽っている間に、私も色褪せてしまった。
長雨で花の色が褪せてしまったように。ってな感じだろうか。

絶世の美女と謳われた女人が詠んだ歌となれば、その言葉はいっそう重く響く。
そして私のヘチマは、いやが上にも重くなり、あわ立つ。
高野豆腐には味が染み込む。


とまぁ、感慨に浸ったりするんだけれど。

紙オムツは一度取り込んだ水分を離さない。
その点、ヘチマは乾き(忘れ)やすいってのが欠点かしらん。

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2006/08/27

こころ平らかに

Oridururanつい最近、またボキャブラリーが増えてしまった。

本棚の文庫本を読んでいた、ある雨の日。
「心平らかに」という表現にぶち当った。

はて、これは?

「たいらか」じゃ赤ちゃん言葉みたいだし。
そもそも読み方がわからない。
「やすらか」でもないし「おだやか」でもないし。

読みがわからないんだから、頼るのは漢和辞典。
でも、部首といったってどれなんだか。
五画を調べても出て来ない。

これでは仕方ない。
何かヒントがあるかもしれないと、三省堂国語辞典を引いて驚いた。

【平らか】
(1)高低が見えないようす
(2)おだやか。例「心中平らかでない」

あら…。まんま「たいらか」でいいらしい。
たしかに凸凹がなければ穏やかで平穏な感じがする。
でも、こんな言い回しがあったなんて。
(ちなみに、「お平らに」でアグラをかくことだそう。例「どうぞお平らに」)


それだけでも、ちょっと得した気分だったのに。
ついでに次の項を見て、またまた驚いた。

【平らげる】
(1)敵をしたがわせる、乱をしずめる
(2)ぜんぶ食べてしまう

(2)の意味でならよく使うけれど。
(1)の意味が転じての事らしい。

テレビの大食い選手権では、もはや対峙した食べ物との格闘のように見えるけれど。
(「フードバトル」なんて番組もあったような)
それも案外、的を射てるのかもしれない。


そういえば、自分にもそんな経験が。

以前、義父に和食のお店でごちそうされた時。
いいネタが入ったらしく、鱧(はも)づくしで辟易した事がある。
もともと魚介類は苦手で、ウナギでさえ食べない私。
(でも、ひつまぶしは好きなワガママさん♪)
その親戚なら、なおさら疎遠な私の、その時の心境はまさに「平らげる」であった。


やさしい事を「平易」だなんて言うけれど。
なかなかどうして、「平」の字も奥が深い。

もし、この先私の記事中に、「心平らかに」が出て来たら。
「ははぁ、早速使ったな」と思っていただきたい。

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2006/04/25

言葉質

Tentomusi子供が言葉を覚える時。
それは、周りの大人の真似をしながら。

さまざまな言葉を聞きながら、少しずつ語彙を増やしていく。


大人になってもそれは続いていて。
未だに「へぇ、こんな言葉があったんだぁ。」と思う時がある。

パラパラっと辞書をめくっただけでも、そんな言葉がポロポロ出てくるんだから。
これからも、きっとそれは続くのだろう。


あれも、大人になってからの事。
当時疑惑をかけられた弁護士さんが、テレビで「そんな、ゲンシツを取られるような事は言えません。」とおっしゃっていた。

「はて、ゲンシツとはなんぞや?」

さっそく辞書を引いた私。
そこには、「言質(げんち):後の証拠となるような言葉」とあった。

…「なるほど、さすが弁護士さん。証拠にはとってもナーバス。」

そしてその時、私のボキャブラリーはまたひとつ増えた。
しかし、「なんで言の質なんだろう?」という疑問はほったらかしたままで。


あれから時は流れて。

つい先日、その忘れていた疑問の答えが向うから転がり込んできた。
たまたま「言質」をネットの辞書で確認した時。
最後に「言葉質(ことばじち)のこと」とあった。


あぁ!・・・そういう事だったんですかぁ。

自分の発した言葉を、人質に取られちゃうから「言質」。
昔の人は、本当に上手い事をおっしゃる。

そういえば、ウチの子。
夕飯のメニューがイマイチで文句を言うと、「あ、良かったワ。分け前が増えて。」なんて、よく家内に言われている。(ガツガツ食べないでね、という意味)
考えてみれば、これも立派に言質を取られていると言えるのではないだろうか。


先日のテレビでも、新しく党首になられた方が会見をされていたけれど。
一言一言を、噛み締めるようにゆっくりと発言なさっていた。
やはり偉い人になると、言質を取られるような、めったな事は言えないのだろう。

かたや、勢いに任せて口角泡を飛ばしている自分の言葉は。
今頃あっちこっちで人質に取られているのではあるまいか。


イケナイ。
これからは、ゆっくり発言しなければ。

(・・・うん、無理だと思います。)

4_25hyou
 
 
●追記
お昼頃雷が鳴りだしたと思ったら
ヒョウが降りました。(・o・)
挿し木していた差し穂も氷漬けに。
4月25日

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2006/04/22

心のあやとり

Tanpopo「言葉のアヤ」

そんな言い方があるけれど。

辞書を引くと、「良く見せるための言いまわし。」なんて書いてある。

「修辞」の「言葉を効果的に使って、適切に(美しく)表現する事。レトリック。」
という解説に比べると、なんとなく奥歯に物が挟まったような物言い。

たしかに、言葉尻を捕らえられたり、揚げ足を取られちゃった時とかに、「それは言葉のアヤだから。」なんて言い訳するし。
どうも、あんまりイイ意味では使われないようだ。


でも、「綾(あや)」自体はとっても美しい言葉。

「目もあやに」と言えば、「美しくて、目もさめるぐらいに。」って意味だし。
もともとは、「斜めの畝(うね)を織り出してあること・(織物)。」(ギャバジンとかデニム地とか?)
「糸が細かに交差して表れる、きれいな模様。」らしいから、とってもデリケートなイメージ。

「きめ細かい」の「肌理(きめ)」が「表面の細かいあや。」なら、「ものごとの細かな道筋や裏表。」というのも納得できる。(メロドラマは「男女が綾なす人間模様」ですもんねぇ。)

なんか、人情の機微というか、心のひだをなぞるような、ビミョーなニュアンスを感じるではないか。


…輪にした糸を、指にかけてやりとりする「綾取り(あやとり)」。
これも漢字で書くと、絶妙なネーミングだと今さらのように感心する。

相手の作り出した「あや」を受け取り、自分なりにアレンジする。
そして、それをまた相手に渡す。

まるで「コミュニケーション」の原点を見るようだ。
(さしずめブログは言葉のあやとり?)


でも、ちょっとした行き違いで糸がもつれた時。
それは、あやとり遊びが終わる時。

「♪もつれてしまった恋の糸を 無理やりほどけば切れてしまう」

昔、そんな歌があったけれど。
慌てて引っ張っても、よけい絡まるだけ。

そぅっと、そぅっと、ほどかなけりゃ…。


・・・つくづく、「綾取り」とは上手く言ったものだと思う。
 
Karasunoendo
 
 
オオイヌノフグリ等の
早春の花の後には
タンポポやカラスノエンドウ
も咲き出して
賑やかになりました

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2006/04/07

風とともに…

Penpengusa「雨風をしのげる家があれば良い。」
なんて言われるけれど。

雨はもちろん、風もなかなかに厄介だ。


花の写真を撮ろうとシャッターを押した瞬間、風が吹いてブレちゃったり。
この前のお花見でも、風に飛ばされた枯れ草がお弁当に入ってしまうのには閉口した。

春先に着る薄地のダスターコートは、防寒というより塵除けのためだし。
どうも、春には風がつきもののようだ。

そうやって、風は時々いじわるな顔を見せるけれど。
やっぱり、そよ風は心地良いし、風薫る季節は待ち遠しい。


意見を言い出しにくい組織は、「風通しが悪い」なんて言われるように。
風が吹かなければ、よどんだ空気は重くなる。

かと言って、台風を持ち出すまでもなく、強過ぎればその被害も侮れないし。
吹かなくても困るし、強過ぎても困るし。
その度合いによって、これほど印象の変わるものも珍しい。


それだからか、「風」が付く言葉は意外と多い。

「怪しげな風体」とか、「風采(ふうさい)の上がらない」なんて、身なりを表したり。
「風向きが変わる」、「どうした風の吹き回し」とかで、雰囲気や態度を表す場合も。

それが「風紀」になると、規範にまでなるし。
「風変わり」とか言ったりして、なかなか奥が深い。

「風評」を、「風の便り」に聞いてみたり。
「風説」、「風俗」、「風潮」で、ちょっと庶民的かと思えば。
「風刺」、「風習」、「風儀」とか、その領域は文化にまで及ぶ。

「風情」なんて「風流」な言葉があるかと思えば、「風雅」、「風格」で気品まで漂いだして。
そう言えば、「日本風」とかで「〜のような」って意味にも。


「風土」で、その土地の地質や気候を表すように。
風は、それだけ暮しと密接に結びついたものだったのだろう。
言い換えれば、昔から人々は、なんとか風と折り合いをつけようとしてきたのかもしれない。

いくら防風林でしのいでも、やっぱり風には抗えない。
そして「役人風を吹か」されたら逆らえない。

でも、「たけき人もついには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」…なんてね。


台風一過に、青空が広がるように。
光化学スモッグを、風が吹き飛ばしてくれるように。

イヤな事も、「風とともに去りぬ」となればいいんだけれど…。

3_29nosuporu
 
 
こぼれ種から芽を出した
ノースポール。(後ろ)
冬を乗り越えて
花を咲かせました。

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2006/03/17

召し上がれ

hotokenoza"Bon appetit!"
(ボナペティ!)

フランス語で、"bon"は「良い」。
"appetit"は「食欲」。

それで、「充分に召し上がれ!」とか「美味しく召し上がれ!」って意味だとか。


…はい、わかりました。
ところで、懐かしのテレビCMはいろいろあるけれど。

それは、たしかキッチンセットのコマーシャル。
話題にもならなかったCMなのに、なぜかよく覚えている。
(女優さんの顔までも!)

お母さんがおやつをテーブルに置きながら「さぁ、召し上がれ!」と言うのだ。
子供だった私には、羨ましさと共に、その言葉がとっても素敵に響いた。
周りにはそんな言葉を使う人なんていなかったから、よけい印象深かったのだろう。


この「召し上がれ」。

@nifty辞書には「飲む」「食う」の尊敬語としての例に、「御飯を—・れ」なんてのが載ってるけど。
でも、語尾の「れ」は明らかに命令形。

考えてみれば、これってちょっとスゴクない?

尊敬語とはいえ命令しちゃってるんだから。
命令形で使われる敬語って、あんまりないような気がする。


ところで、スゴイと言えばこの「召す」って言葉。
それ自体メチャクチャ応用範囲が広い。

やんごとなきお方が、そば近くに呼び寄せる。女性を寵愛なさる。
「講師に召される」とかで、役職に任じる。
「着物をお召しになる」で身につける意味にも。
(「あぁ〜ら奥様、すてきなお召し物ですこと。」…ハイハイ、次ぎ。)

「お年を召す」(イヤ〜ね!)、「お風邪を召す」。そういえば、「お気に召す」なんてのもあるし。(「♪花を召しませ、召しませ花を」嗚呼…。)

高貴なお方の場合、他にもある。
人に命じて物を差し出させたり。(うんうん、召し上げちゃったり。)
車に乗るのもそうだっていうんだから。(あ、「お召し列車」なら知ってる!)

いやはや、その活躍ぶりには驚いてしまう。
こういうのを「八面六ぴ」の大活躍って言うのだろうか?


・・・えぇ、そうですとも。

このあと私が、「八面六臂」を調べたのは言うまでもございません。

●【八面六臂】仏像などで、八つの顔と六本の腕をもっている事からだそう。
ちなみに、「臂(たくふら)」は、肘の事だそうですよん。
 
3_16sakura
 
 
もう、花芽から蕾が顔を覗かせた
用水路沿いの染井吉野。
ウチの桜はだいぶ遅れそう。

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2006/02/23

諦観の中にあったもの

koisi1ある時、「透徹」という言葉が頭に浮かんだ。

「透」の澄み渡った感じと、「徹」の字から受ける一途さと強さ。
そのイメージから、なんとなく気に入っている言葉。

すべてを見通しているんだけれど、「冷徹」とは違った穏やかな印象を受ける。

もちろん、そうなったら@nifty辞書で調べなくっちゃ。
・・・すると。

【透徹】
(1)すきとおっていること。澄みきっていること。また、そのさま。
「—した空気」「晩秋の気透徹にして和適/欺かざるの記(独歩)」
(2)筋が明確にとおっていること。一貫していること。また、そのさま。
「—した論理」「—した洞察力」

・・・あれ?
澄んではいるけれど、べつに「見通した」という意味はないみたい。
そこで、自分としては同じ穏やかさを感じている「諦観」で調べてみた。

【諦観】
(1)全体を見通して、事の本質を見きわめること。 「時代を—する」
(2)悟りあきらめること。超然とした態度をとること。

おぉ…。
「諦」の字はあっても、決してネガティブな意味だけではないようだ。
しかも、自分が抱いていた「透徹」のイメージをも含んでいるではないか。

私が思っていた「透徹」は、「諦観」の中にあるのだろうか。


なにか、長い時を経て辿り着いたような。
漂泊の中で色が褪せ、透明になったような。

渓谷から崩れ落ちた岩が流され、山裾まで運ばれる。
そして、野を流れる川岸で、静かに丸くうずくまっているような。
そんな穏やかさ。

やがてそれが河口まで運ばれた時、いつしか小さな砂粒となって混じりあう。
もう、その時にはどの砂がどの岩のものだったかなんて分からない。
分かる必要もない。

でも、その一粒一粒には、しっかりと刻まれたものがある。
そんな、透き通った穏やかさ。

あとはただ、打ち寄せる波に洗われるだけ。
ゆっくりと堆積し、「時代」というひとつの地層になっていくまで。


・・・な〜んて思えれば苦労はないんだけど。
未だに角の取れないこの私。
アッチコッチがぶつかって・・・痛いわぁ。

hiyodori_sutokku
 
 
 
ヒヨドリに
食いちぎられたストックの花。
あんまりですぅ。(T_T)

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2006/02/14

古きを温ねて

fuyugare2「古きを温ねて新しきを知る」

誰でも知っていることわざだけれど。
以前あるサイトさんが、このテーマを取り上げていらした。

そこで、とても衝撃的な事実に気が付いた私。


…迂闊にも「ね」を「め」と読み間違えていたようで。

つまり「温める」のかと…。
(「温ねて」を「たずねて」と読むなんて、知りませんでした!)

いや、もちろん「ふるきをたずねて〜」というのも、聞いてはいたんだけれど。

…どうやら目で読む時は「温めて」。
で、耳で聞く時は「たずねて」と、テキトーに覚えていたらしいんですワ。
(こんなヤツです。)

これはやはり、日本人として由々しき問題。

いちるの望みをかけて検索してみましたです。(yahooで)
結果は、「古きを温めて」のヒットが268件で、「古きを温ねて」の方が524件。

・・・うふ♪

私みたいに間違えてた人が、3分の1もいる。
(で、チョット安心。)

イヤ、別に自分を正当化しようと・・・・・してますね、ハイ。


思い込みの激しい私の事。
こんな間違いが発覚するのはしょっちゅうなんだけど。

しかし、ここまであからさまに間違えてたなんて。

…今まで生きて来て、何で気が付かなかったのかしらん?


●追記:実はこの記事、トラバしようと一年程前に書いたまま、ボツにしてたもの。
新たに検索し直した数字に書き直しましたが、当時は「古きを温めて〜」が68件で、「古きを温ねて〜」が38件だったんですヨン。

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2006/01/10

ベタなブログ

最近、やけに気になる「ベタな…」という言葉。

ベタな言い方。ベタな笑い。

なんとなく、揶揄するニュアンスは伝わって来るけれど。
自分で使う段になると、やっぱ一応調べないと…。

そこで検索してみたら、この言葉がとっても分かりやすく解説されている、ブログさんの記事を見つけました。
言葉のコレクション ブログ辞典:ベタの意味 ベタなドラマ

おっしゃるところによると、ぎっしり行間を空けずに書くのを「ベタ書き」というように。

●「一面に隙間のないさま」(遊びがない)から真剣な、とか真面目な。
●幾度も繰り返され、定番になっている。
●工夫してアレンジした形跡がなく、ベッタリと踏襲している。

といったニュアンスだとか。
(う〜ん、とってもよく分かりました!ありがとうございます。)

と、そこまで読んできて、ハタと思い当たった。
日常の身辺雑記だから「日常雑記」。…思いっきりベタ。
キャッチコピーの「つれづれなるままに〜」に至っては、もうベタの極致。

あらま!どうしましょ。

…でも、お正月に「初詣で」で一年の幸福を祈念したり。
年頭にあたって一年の計を立てたり。
何気なく繰り返しているそんな事も、考えてみればかなりベタな行為だったりして。


・・・ところで、ブログを続けていると、楽しい事ばかりじゃなくて。
時にはシンドくなる時も。

それでも続けているのは、やっぱりブログに魅力を感じてるから。

書き記す事によって、気持ちを整理したり。
力付けられたり、救われたり。
それが欲しくて、なんとかやって来たけれど…。


たとえば、飲み会なんかでも。
二次会になって、初めてしみじみ膝を突き合わせた話ができたりして。
これを昼日中からぶち上げるのは、ちょっと照れくさい。

でも、ブログだったらそんな話題も臆せずにできるのが不思議。
自分が模索していたのは、案外そんなものなのかもしれない。

だったら、ベタなりの良さを見つけなくっちゃ!


ベタな気分の時って、あるでしょ?

ささやかではありますが…。
そんな時には、どうぞいらして下さいましな♪
 
05_1_2jinja
 
 
 
今年は
傘を差しての初詣で。
雨のせいで参拝客も少なく
スムーズにお参りできました。 
 
 
●自分にとってのブログの意味は、人それぞれに違っても、その思いは同じですね。
トラックバック:ほほえんでいたいから: 同じアホなら 笑わな損♪

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2005/12/07

なにげに、さり気なく

kabin_kogiku「なにげに」、「さりげに」。
数年前から耳にするようになったこの言葉。

最初に聞いた時、「さりげに」はすぐに意味が分った。しかし、「なにげに」の方はしばし迷った私。

「何気なく」なのか、「何ゆえに」なのか。
(私としては、「何ゆえに」であって欲しかった。)

ほどなくして意味が分ったけれど、そこでちょっと不満を感じた。
「何気なく」も「さり気なく」も似たような意味なんだから、二つも要らないじゃん…。(だったら、「何ゆえに」でイくない?)

ところが最近、「なにげに」そんな事を考えていて、自分の中のある変化に気がついた。
「何気ない」は、「特に深く考えることもなく、無意識に…」であるのに対し、「さり気ない」は「人にそうと意識されない程度に…」みたいな違いだろうか。

つまり、あくまでも自分の中で完結するのと、他者を意識する違い。

「何でこんな大きな違いを見過ごしていたんだろう!」
今まで、なんとなくこの二つは使い分けていたけれど、その違いは些細な事だと思っていた。…慌てて辞書で調べてみた。

すると、
「何気無い」:(1)さりげない(2)はっきりそうするつもりもないようす
「然りげ無い」:特にそうしようとするようすを見せない感じ

・・・へ?「見せない」以外おんなじ…。

まぁ、私の辞書は古いって事もあるんだけど…。
どうやら、最初に似たような意味だと思った自分の感覚は、あながち間違いではなかったらしい。

でも、新しいネットの辞書には、この「他者に対する」ニュアンスの違いもより詳しく書いてあるし。
時代と共に、二つの言葉もだんだん別の道を歩み始めたって事なのかしらん。

いや、もともと違いはあったのだろう。
ただ、他者を意識するのは「言わずもがな」の事で、とりたてて意識されなかったというのが近かったりして。
「自分」と「他者」との関わりを「何気なく」受け入れ、「さり気なく」気遣う。
そんな事が一つの事としてとらえられ、さして区別もされなかった。

それが、「個」と「社会」の関わりの多様化で、違いが鮮明になってきて。
(電車内での大声の携帯電話は、他者を意識してるとは思えませんもんね。)
遅ればせながら、やっと私もその違いの重大さが気になりだした・・・。

自分の迂闊さを棚に上げれば、そんな事も言えるのかな?
なんて、思ってしまったのでした。

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2005/12/01

食えない人

11_25bara「あの人は、『食えない』んだよねぇ…。」なんて言い方がある。

この「食えない」って言葉。
辞書には「狡くて油断ができない。」なんて書いてある。
(だとすると、「食えない人」の反対語は「気の置けない人」になるのだろうか。)

でもこの言い回し、結構気に入ってるんだけどなぁ…。
だから、「狡いから油断ができない。」という意味だけだとしたら、ちょっと寂しい。
(もうちょっと広義に、「自分のテイストに合わない。」とかって解釈してもイイんじゃない?)


たしかに、素の自分を安心してさらけ出せる、気の置けない人っていると思う。

逆に、そうできない相手もいるけれど。
(実際は、そのパターンの方が多いですよね。)
でも、それは決してその人が狡いからってワケじゃない。

十人十色、「合う」、「合わない」の相性があるのは当たり前だと思う。
(後は、親しさの度合いや、お互いのキャパシティの問題とか?)

気の置けない人にだって、「あれ?この人にはこんな一面があったんだ。」なんて、改めて感じる時があったりするものだし…。

というより、恋愛中とか、憧れの人に対するファン心理を別にすれば、自分にとって100%都合のイイ人なんて、ありえないんじゃないだろうか。(だって、自分自身に対してさえ自己嫌悪する時があるんだから。)

そんな時、「いい人なんだけど、あの人のあぁいう所が『食えない』んだよねぇ…。」なんて、こころの中でつぶやいたりする。


・・・だけど、魚介類が苦手な私でも、お寿司が出てくるとワクワクするし。
(なぜかネギトロが大好き♪)
食えないものがあっても、それ以外が美味しければ、幸運な出会いといえるような気がする。

辞書に載っている解説とは違うけれど…。

まぁ、この言葉を広くとらえさせて頂いて。
「『食えない』所もあるけれど、それ以外は大好き!」なんて考えると、ちょっと楽しい。

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2005/11/04

いじらしい

sijimityo2ある時、ウチの子から「『いじらしい』って、どういう意味?」と聞かれた。

「…へ?」

辞書を引き、簡潔に言い表わされたその解説を読むたびに、常々「うまい事言うなぁ。」と舌を巻いている私。
こういったニュアンスを説明するのは難しいものだ。

しかし、ここでひるんではマズイ。
今後の事もあるし、無知な父親と思われるのは、この際避けなければならない。

「けなげ」とか「いたいけ」なんて言ったら、よけい分からなくなるだろうし…。
そこで、苦し紛れに「『可哀想で、可愛い』って感じかなぁ?」と答えておいた。

後でこっそり辞書を引くと、「けなげで、いたわしい。」「かれん」とある。
「けなげ」は「かいがいしいようす。」「心がけがいいようす。」でいいとして、問題は「いたわしい」だ。
「気の毒でいたわってやりたい状態だ。(例)『おいたわしや』」

・・・なるほど!
どうやら、「精一杯がんばっている様子が、可哀想でもあり、カワイクもある。」ってトコだろうか。


それはそうと、これまでウチの子には自然体で接してきた。
カッコつけて厳格な父を演じても、後で実体がバレた時、そのショックでグレたりしたら困る。(ま、反面教師って手もあるしぃ。)
だから、けっこう弱味も握られているんだけど…。


・・・で、さっきの会話には続きがある。

私の答えを聞いた息子。
「ふぅ〜ん。…だったらお父さんは『いじらしい』ね。」っときた。
「・・・。」
敵は、それを言いたかったのか。

それにしても、可哀想で可愛い父親像って・・・。

どうやら私は、あまりにも正直に、自分をさらけ出してしまっていたらしい。

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2005/10/29

付かず離れず

rabenda最近あまり聞かれないけれど、「スープが冷めない距離」というのは、世帯間が良い関係でいられる距離を表す言葉として有名だ。
「付かず離れず」といった距離感が絶妙のバランスなのだろう。

この、不即不離の関係は、良好な人間関係を保つ上でも基本のような気がする。

四六時中顔を突き合わせていれば、そうそう良い顔ばかりはしていられない。
でも、たまに会うぶんには「良い人」でいられる。

だったら、気の合う相手となら…?
それでも、あまりに関係が密になると、その分相手を許せるキャパシティが狭くなる。


変な言い方だけど、親しくない人から言われたり、されたりしてもあんまり気にならないのに。
同じ事を、親密な人からされると許せない気持ちになるのは何故だろう。
相手が、よく知らない人ならガードできるのに。
気を許した人には無防備になってしまって、受けるダメージが大きいからだろうか。

青春時代なら、お互いの行き違いをとことん話し合う事もできる。
しかし大人になってしまったら。
そんな、夕日に向って「バカヤロー!」と叫ぶような情熱も冷めてしまう。

「親しき仲にも礼儀あり。」とはよく言ったもの。
ある一線を越えてしまうと、かなり危険ゾーンに踏み込んでいる、という自覚が必要なのかもしれない。


以前子供の入園式で、先生が「お母様同士仲が良くなるのは結構ですが、お互いの家の冷蔵庫の中身まで、知るような仲にはならないで下さい。」とおっしゃった時、「はぁ?」と思ったものだった。

確かに、幼稚園での活動は親が関わる事が多い。
万一親同士が不仲にでもなろうものなら、どちらかが転園せざるを得ない事態にもなりかねない。
もちろん、誰だってそうなりたいわけじゃない。
けれど、あまりに親密になりすぎると、そこまでこじれる事もあながち無いとは言い切れない。
先生の言葉は、きっとそれを心配しての事なのだろう。


普段はお互い拘束しないけれど、たまに会った時には話に花を咲かせる…。
なかなか会えないから、ついつい長電話してしまう。

結局、そんな付かず離れずの関係が、一番長続きするのだろうか。

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2005/08/03

鴨の水掻き

「鴨の水掻き」という言葉。
それは、呑気に見える鴨も水面下で常に水を掻いている事から、人知れぬ苦労が絶えないという意味だとか…。

言い換えれば、人知れず努力を重ねるという事だろう。
あくまでも、それを人に見せないという美学もあると思う。

そこへいくと、私はちょいと恥ずかしい。
悲しい事は「悲しい」と言い。辛い事は「辛い」と言う。

確かに、弱音を吐く事を潔しとしない考えもあると思う。

ただ私の場合、「悲しい」と書くと、その言葉が悲しみを吸い取ってくれる様な気がする。
「辛い」と書いただけで、その言葉が辛さを引き受けてくれる様な気がする。
そして、ほんの少しだけ元気になれる。

私もスマートに生きて行きたいんだけれど…。
でも、らしくない事を真似しても上手くいくとは思えないし、できたとしても、それはもう自分ではないような気がする。

それでも、「強靱」な心は持てるようになりたい。
「強堅」さは、それ以上の「強堅」さに出会った時、ポッキリと折れてしまう。
しかし、「強靱」さは、いっときたわんでも、また元に戻るしなやかさを持っている。

鴨の水掻きで、その岸辺に辿り着く人もいるだろう。
けれど、私は弱音を吐きながらでも、一歩一歩その高みを目指して行きたい。

そして、やれやれと腰を下ろして周りを見渡して…。
「あぁ、ここまで来たんだ…。」

そんな風に思えたら、いいなぁ…。

fujisan
 
 
 
先週の台風一過(?)の朝。
いつになくクッキリと見えた富士山。

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2005/03/21

トウが立つ

319habotanその美しい葉色で、冬のあいだ目を楽しませてくれた葉牡丹も、そろそろトウが立ち始めた。

「トウが立つ」という言葉の意味は、「野菜等の花茎が伸びて硬くなり、食べ頃を過ぎる。」という事。

アブラ菜科の植物は、春になると花茎が伸びて、菜の花の様な花を咲かせる。
その風情も好きなので、私はそのまま咲かせたりするけれど、野菜だったら確かに味が落ちるのだろう。(フキノトウも茎が硬くなる前が食べ頃なのだろうし。)

野菜の事だったらいいんだけれど、大概の場合女性を揶揄する時に使われている。
「食べ頃を過ぎる=年頃が過ぎる」
しかし、それは「茎が伸びて硬くなる=自立する」という事でもある。

花嫁衣装の白無垢も、「何色にでも染まります。」の意味が込められている訳だし、(ウェディングドレスも白なのが暗示的。)どうも女性は、自我を持つ事を疎んじられるようだ。

しかし、人それぞれ人生を生き抜いてくれば、それなりの自我は目覚めるのが当然だろう。
「あなた好みの女になりたい。」なんて言ってくれたのは「恋の奴隷」を歌った奥村チヨさんが最後ではあるまいか。

確かに男にとっては、その方が御しやすく感じてしまうけれど、それで安心は出来ない。
大体、一人の人間として自立していてくれなければ、その全存在を支えなければならない。頼られる方が、余っぽどの人物でなければ、共倒れしてしまうだろう。(私なんぞは押し潰されそう。)
もしくは、ツル性植物のようにがんじがらめに縛られてしまう。

昔は、「黙ってオレについて来い。」で済んでいた。しかし、威張っている旦那さんでさえ、その父親である家長には逆らえなかったし、その家長は代々続く「家」の掟に従っていただけ。そして、誰しもお上には絶対服従だった。(オイコラ警官という言葉があったくらいなのだから。そして当然、その警官にも上司がいた。)

人権なんて考えがそもそも無かったのだから。
誰も皆「社会」に隷属していただけだ。

考えてみれば、そっちの方がずぅ〜っと大変な気がするんだけど…。
 
tougatatu
 
 
 
葉牡丹の花。
それは、
ほとんど菜の花と同じ。
 
 

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2004/11/30

それで、いちご

若かりし頃、会社勤めをしていた事がある。そしてその時、社内の本棚に日本の民話を集めた本があった。

何気なく読んでいて、ある事に気が付いた。どれもお話の最後が「それで、市が栄え申した。」で結ばれている。「はて、これは?」と思い、博学な方に聞いてみた所、「めでたし、めでたし。」のような語り収めの決まり文句なのだと言う。なるほど、市が栄えれば「めでたい」という事は、何となく分る。

さらに読み進んでいくと、それには色々なパターンがある事が分かってきた。「それで、市が栄えた。」「それで、市後栄えた。」「それで、いちご。」なんだか、どんどん省略されていく様な…。こうなってくると、肝心のお話よりもそっちの方が気になって来る。(まるで伝言ゲームを見る様な面白さ!)

「いちご」が出て来た時には、さすがに「オイオイやばいぞ!」と不安がよぎったが、案の定、「いちご、ポ−ンとさけた。」まで行ってしまって、期待は裏切られなかった。
こういった民話は、人から人へと伝承されて来たもの。昔の人も、結構めんどくさがり屋(脚色家?)だなぁと、変な所で安心した覚えがある。

さらに、そのお話が編者によって収集された場所を調べてみると、比較的オリジナルが守られているのは越後平野の方。そして、だんだん太平洋側に行くに従って、はしょられていく…。さらによく見てみると、「市後」にこだわった"苺派"と、「栄えた」の"裂けた派"に分かれていたような記憶もある。(両方のミックス型もあってややこしかった。)どうやら、越後山脈を北から越えたか、南ルートだったかで別の変化を遂げたようだった。(なにせ若い時の事だから、うろ覚え…。)

そんな事が面白くて、しばらくその本に没頭していたのだけれど、(仕事はしていたのだろうか?)めんどくさがり屋では、こちらも負けていない。で、結局それっきり・・・。(「それっきり。」もあったような。)
もっと突き詰めてれば、なにがしかのレポートの一つも書けたのかしらん…。(ま、そりゃ無理ダワネ♪)

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2004/11/23

鼻白む

日常何気なく使っている言葉でも、その意味を的確に表現するのが難しい時がある。
ニュアンスは解っているのに、それを説明する言葉が見つからない…。そんな時、結構マメに辞書を引く。その解説を読むたびに、「うまい事言うなあ…」と感心させられる。

そんな中で、ひとつ合点のいかない言葉があった。「鼻白む」だ。
「興醒め」とか「しらける」と言う意味だけでなく、何か+アルファがあるように感じる。その+アルファが何なのか気になり、例のごとく辞書で調べてみた。それによると「気後れした顔つきをする事」とある。…んー、何かピンと来ない。そこで今度は「気後れ」の項を見てみる。すると「恐れてひるむ事」とある。…?確かにそんなニュアンスも含まれていると思うけれど、なんか「しらける」からどんどん離れていくような感じ。そうなるとどんどん気になって来て、眠れそうもない。そこで、自分なりの解釈を考えてみたのだった。

例えばシチュエーション的には、子ライオンを見付けたハイエナが、獲物にしようと近付くと、陰から親ライオンが出て来て鼻白む…。これなら「恐れてひるむ」って感じだ。または、文句を付けに行った先の玄関に、獰猛な番犬がいて鼻白む…。これもイケテル。後は、偶然出会った憧れのスターに、サインを断られて鼻白む…。そんな感じだろうか。

そうやって考えてみると、どうやら「勢い込んで行ったものの、予想と反した展開にとまどい、気勢をそがれる…。」そんな、オットットとたたらを踏む様な感じかなー?と自分なりの結論を下し、やっと安心できた私なのだった…。チャンチャン!

cristmas.jpg 
 
 
 
 夏越しも終わり
 日なたに戻した
 クリスマスローズ。
 これからが出番。
 

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天衣無縫

私には、どうしても気になる言葉がある。それは「天衣無縫」。天女の衣には縫い目が無い事から、「技巧の跡が無く、完全無欠の事」だと、長い事信じていた。こどもの頃から使っている金田一さんの国語辞典にもそう書いてある(昭和40年改訂版)。

しかし、世間一般では、大抵「天真爛漫」と「破天荒」と「自由奔放」を合わせた様なニュアンスで使われている。(ま、私もその方がピタッとくるのだけれど)念のためインターネットの国語辞典で調べてみると、驚いた事に「わざとらしさが無く自然に作られていて、美しい事」の他に「性格が無邪気で飾り気がないこと。天真爛漫」となっている。しかも[文]記号で文章語として!

いつからそう決まったのだろう? と思い手持ちのもう1冊の辞書(昭和49年発行)を引いてみると。やはり載っている。ただしこちらは[俗]記号で、俗語として紹介されているだけだけれど。
どうやら私が気付かない内に、随分意味が柔らかくなって、天真爛漫が市民権を得てしまったようだ。きっと、「わざとらしさが無い」と言うニュアンスが独り歩きして、天真爛漫に取って代わってしまったのだろう。(辞書って新しくないとダメなのね。)
「言葉は生き物」と言うが、時代と共に言葉の意味は変化するのだろうか。(ちなみに、「眼福」も私の辞書には無いので造語だと思っていたが、ネット国語辞典にはあった)

その他、(かつぜつ)「活舌・滑舌?」も「舞台俳優は活舌が命!」等、最近よく耳にするけれど、こちらはまだネット国語辞典にも載っていない。ただし成長著しいので、取り上げられるのも時間の問題だろう。

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2004/11/21

埒があかない

ある時ふと、「ラチがあかない」と「不ラチ者」のラチって同じ字だっけ…。と思い、いつものように辞書を引いてみた。「埒があかない」「不埒者」確かに同じだ。なら、「埒」の字の意味は?と読んでみると、「馬場の柵の事」とある。
・・・!!その時、その情景が一瞬の内に脳裏に広がった。つまり、馬に乗った人が馬場から出ようとしている(または入ろうとしている)。でも、待てど暮らせど門番が現れない…。このままでは埒があかないので、仕方なく馬から降りて自分で埒を開けた…。
どうだろう、昔の人はうまく考えたものだ。心の琴