2006/07/31

ノンフィクション

Yaburanトランス雑記その19

私を含め、世の中には恐がりな人がいる。
でもその恐がり方には、2パターンあるような気がする。

ホラー映画が怖いという人と、血を見るのが苦手という人。


「どこが違うの?」と言われそうだけれど。
両者には歴然とした違いがある。

ちなみに、私は後者の方。

テレビのドキュメンタリーなどで、たまに出てくる手術場面。
これがどうも苦手だ。(子供の頃も、怪我をした痛さでは泣かなかったけど、そこから血が出て来るとたまらずに泣き出した)

でも、ホラー映画は平気。

つまり、ノンフィクションと作り物の違いである。
映画でどんなに血みどろになろうが、それは作り物として受け流せる。

そりゃ、無気味な音楽で不安を煽っておいて、大音響と共にいきなり「血みどろ」が出てくれば、「ワオ!」と声を漏らす。
が、それは「怖い」と言うよりも、「びっくりした」に近いだろう。

その辺りが、夜中に一人でホラー映画を見られない家内とは対照的だ。
(なのに家内は、手術場面にモザイクがかかるのを残念がる)

どうも両者には、決定的な違いがあるようだ。


何を血迷ったか、去年('03年)「人体の不思議展」を見に行ってしまった。
母子で行くのに付き合ってしまったのだ。

この展覧会、行かれた方も多いと思うけれど。
人体を特殊な樹脂で固めた標本(と言うのは憚られるが、他に言葉が見つからない)が、多数展示してあった。(中には、2〜3cm幅に輪切りにして、ズラッと並べてあるものまで)

満員の会場に、一歩足を踏み入れた瞬間、後悔した私。
案の定、その後一週間程は、ハムを食べるのが辛かった。


さて、スーパーでの事だ。

買い物をする家内を、ペットフード売り場で、息子と二人待っていた。
すると、何気なく商品を見ていた私の目が釘付けになった。
そこにあった「ビーフジャーキー」の質感が、あの「筋肉まる出し」の標本に酷似していたからだ。
「ウッ」と思った瞬間、背後から「うまそう……。」という息子の声が聞こえた。

何というデリカシーの無さ!

親であるこの私がたじろいだ、その同じ物を見て、食欲をそそられるとは……。
しかもペットフードにである。

その逞しさは頼もしいかぎり。
……でも。

その時振り向いた私の目には、別の種類の人間を見るような、畏怖の色が浮かんでいた筈だ。

'04年7月29日

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2006/07/22

江戸東京博物館

Jioramaトランス雑記その18

春休みに両国の江戸東京博物館に行って来た。

子供が今度入った中学の入学前の保護者説明会で、「お休みを利用して博物館に行ってみましょう」というお話があったから。
素直な私達一家は、そのお言葉に従ったのだ。


建物だけ立派で内容が乏しかったりして……。
と、いけない想像をしていたら、とても充実した内容で、充分満足できた。

当時の道具等が展示されたりしてるのは想像の通り。
でも、原寸大の橋や、建物の一部が復元されていたり。
ミニチュアで再現された江戸の町並みや、港の巨大ジオラマまであって。
ちょっと感激してしまった。
(大きなそれの細部を、良く見るための双眼鏡まで置いてあるという、行き届いた配慮はありがたかった)


趣向をこらした構成を愉しみながら巡っていくと。
最後の方では高度経済成長が始まった頃の、庶民の生活を模した展示もあった。

父親が乗っていたスバル360を見た時には思わず笑ってしまったけれど。
その、ドアノブから突き出した丸いキーの差し込み口。
細くて頼りないハンドル。
そんな細部を懐かしく眺めていると、昔父の運転で、夜通し千葉の海まで走った事を思い出したりした。

また、当時の茶の間を再現したコーナー。
そこには、全体の大きさの割に、小さくて丸いブラウン管のテレビとかも。
そんな一つ一つに、大いに郷愁を誘われたのだった。

ただ当時はその上に、うやうやしくゴブラン織りのカバーが掛けられていて。
テレビを観る時だけそのカバーを上げたものだけれど。
それが無かったのは、唯一惜しまれる。


そうやって、しばし浸った懐古の情。

しかし、自分の幼少時の生活が、博物館の展示足り得るという事実。
それは、帰る私を少々寡黙にもしていたのだった。

'04年6月22日

Hinakazari

 
上の写真が巨大ジオラマ
左が当時の雛飾りの小物
やはり漆塗り?

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2006/07/09

絶対音感

Soto_baraトランス雑記その17

「英語の学習は小さい内に始めた方が良い」

という理由で幼児教育が盛んだけれど。
どうやら、それは言えているらしい。

先日読んだ新聞にも、専門家の方がそんな事を書いていらっしゃった。

なんでも、脳の中で専門的な分野が発達する時期というのがあって、小さい内に学習を始めると、その分野のモジュールの分化が進むのだという。


確かに、正しい日本人である私は、自分が発音する時には意識できても(カラオケでも、英語のフレーズが出てきたりするでしょ?)、聞く時にはRとLの音は聞き分けられない。
三味線や日本舞踊など、昔からあるお稽古事でも、「六歳の六月六日に始めると上達する」などと言われるのは、そんな理由からなのだろう。(ちなみに、6月6日は「お稽古の日」だそうな)


「小さい内から始めた方が良い」ものと言えば、音感を必要とするピアノなどが代表的。
小さな頃からエレクトーンを習っていた私の姪は、絶対音感なるものを持っている。
私が適当に鍵盤を叩いても、「高い方のド」とか即座に答え、百発百中だった。
(私が真似しても、道しるべのない音の森に放り出されたようで、まったく五里霧中だったのに……)

当時実家にいた私は、姪が使っていた教本を借りて練習したものだけれど。
大きくなってからでは、なんとか曲を弾く事は出来ても、音感までは無理なようだ。


うちの子にも、小さい頃にキーボードを与えたりした。
でも、見向きもせず。(挙げ句に壊されました)(ToT)
さらに、同じ幼稚園のお母さんから英語を習ったりしたけれど、それも長続きしなかった。

やはり、好きでなければお話にならないようだ。


まだ、よく喋れない頃の「ア」と「エ」が混じったような喃語。
歯と歯で舌を挟んで「さしすせそ」を発音していた我が子なのに……。

それが今では、明晰で美しい日本語を話す。

'04年6月6日

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2006/06/24

損な役回り

6_10sanpo_2トランス雑記その16

親というのは損な役回りだと思う。


子育ての最終目標。
それは、「自立した人間」に育て上げる事だろう。

親が面倒を見なくても、立派に一人で生きて行けるようにしてあげなくてはいけない。

「自分でできる事は、自分でしなさい」と、口を酸っぱくして言っても、やろうとしない我が子を見ていると、それは途方も無く遠大な計画にも思えてくる。

しかし、親がいなくてもやって行けるようになるという事は、親が必要ではなくなるという事でもある。


翻って、男女の仲で言えばどうだろう。

ぐうたらで、だらしない男との腐れ縁が切れない女性がいるとする。
いくら周りから「別れろ!」と言われても、「でも、あの人は私がいないとダメな人だから……」などと言いながら、結局ずるずると続いてしまうというのは、よくある話。(それが、ドメスティック・バイオレンスの温床にもなっているという)

逆に、涙なんか見せず強く生きている女性は、愛人が出来た男から、「君は一人でも生きて行けるけど、彼女はオレがいないとダメなんだ」とか言われて逃げられたりする。


事程左様に、「相手にとって、自分は必要である」という思いは、人間関係においてかなり重要なファクターになっているのだ。

それなのに、親は必死になって自立させなくてはならない。
自分から、自分を必要としなくなるように仕向けなければならない人間関係なんて、そうそう無いのではあるまいか。

一生懸命我が子を育てても、一人で大きくなったような顔をして、さっさと自分の世界へ羽ばたいて行ってしまうだろう……。
というのは、我が身を振り返ってみれば容易に想像がつく。


本当に、親というのは損な役回りだ。

……お父さん、お母さん、ゴメンなさい。

'04年8月8日

6_23kufea1
 
 
挿し木したフクシアが
根付いて
花を咲かせました

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2006/06/15

カッコウの巣の上で

Hotarubukuroトランス雑記その15

爽やかな鳴き声で、唱歌でもお馴染みのカッコウ。

しかし一方、それは「托卵」の習性を持つ事でも知られている。

他の鳥の巣に卵を産みつける。
そして、その卵から孵ったヒナも、巣にある他の卵を落として、ちゃっかり本来の主人(あるじ)の子供になりすますというのだから。なんとも親子揃って嫌なヤツである。

我が子が替え玉であるとも知らず、せっせと餌を与える親鳥の姿は哀れを誘う。


話は変わるけれど。
子育てで、子供に手を掛け過ぎるのは良くないと言われる。

それは分かっていても、テキパキ片付かないと気が済まない私。
自分でやった方が早いと、つい先回りしてアレコレやってしまう。

「のどが渇いた〜」と言われれば冷蔵庫を開け。
「ごはん〜」と言われれば、つい茶碗を受け取ってしまう。

条件反射的に体が動いてしまう、我が身が哀しい。

今はまだ、かろうじて母親より小さいから許せるけれど。('04年当時)
高校生にでもなれば、私より大きくなるだろう。
(なってもらわなくては困る)

そうなった時の事を想像してみると……。

自分より巨大になっても、まだヒナの世話をし続ける哀れな親鳥。
そんな姿がオーバラップしてくる。

……ヤバい。

そうなる前に、ここは一つ何か手を打たなければ……。
と、今になって慌てだした私である。

'04年8月5日

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2006/06/06

インディアン

5_25_2トランス雑記その14

この前は、「ディズニーランド」という子供時代のテレビ番組にまつわる思い出だったけれど。

その頃は、国内で製作した番組が少なかったせいか、外国製ドラマが花盛りだった頃でもある。

「パパは何でも知っている」や、「パティ・デュークショー」など、懐かしい番組がたくさんあった。(「奥様は魔女」は、ちょっと後になってからだと思う)

「ローンレンジャー」、「ライフルマン」といった、西部劇もいろいろあったけれど。
勧善懲悪のそれには、お決まりのように悪役のインディアンが登場していた。


人種差別などという言葉さえ知らなかった子供の頃。
その時の自分には、悪い奴としか映らなかった。
そして同時に、主人公に感情移入していた私は、当たり前のように自分は白人だと思っていた。
(だって日本語しゃべってるし)

見た目は、どう見てもインディアンの方に近いのに。
子供の理解力とはそんなものなのだろうか。
あるいは、それがメディアの力なのだろうか。


当然、成長してからその事実に気がつく訳だけれど。
そのときの衝撃は、言葉にできないほどだった。

「白人=良い人=自分」

と、何の疑いも無く信じていたのに。
自分は有色人種で、悪者だと思っていた方の仲間だったとは……。


それは、悪の権化ダースベイダーが、自分の父親だと知った時のルークの心情と、程度の差こそあれ、同じ種類のものではなかったろうか。

'04年7月5日

追記:“ダヴィンチ・コード”によると、強烈な先入観が、脳に見て見ぬふりをさせるそうでございます。

5_25_3
 
名前も知らない野辺の花。
上の写真のピンクの他に
白い花もありました。

「みんなちがって みんないい」(^^)

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2006/05/25

ディズニーランド

06roberiaトランス雑記その13

ディズニーランドと言っても、今回は浦安にある、あの「東京ディズニーランド」の事ではない。
(実は、まだ行った事ないんです)

昔のテレビ番組の事だ。

幼少の頃、テレビがまだ珍しかった時代。
近所のお宅で観せてもらっていたのが、「ディズニーランド」だった。


ディズニーの映画やアニメの番組で、確か金曜日の夜。
プロレス中継と隔週で放送されていた。(スポンサーは三菱電機?)
2週間に1度のその夜を、心待ちしていた記憶がある。

ほどなくして我が家にもテレビがやって来るのだけれど。
ケーブルテレビで、観たい時にアニメが観られる現在とは、隔世の感がある。


その後、成長した私が「ディズニーランドはアメリカにある」
という事実を理解した時には、少なからず嘆いたものだ。

その当時のクイズ番組の賞品は、最高でも「夢のハワイ旅行」まで。
アメリカ旅行など、思いもよらない話だったのだから。

その現実を受け入れ、諦めるのにかなりの努力が必要だった私は、未だに「ディズニーランドはアメリカにある」という意識が抜けない。


なかなか浦安にまで足が伸びないのは、その辺に理由があるのかもしれない。

'04年7月1日

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2006/05/13

笑気ガス

06montanaトランス雑記その12

風薫る五月となった。

すがすがしい風に吹かれていると、気持ちまでゆったりとしてくる。
そして、そんな気分になると思い出す事がある。

笑気ガスをご存じだろうか。

それを吸った人は、笑っているような顔になる事からその名がついたらしいけれど。
私も一度だけ経験した事がある。

三十手前の頃だっただろうか、初めて行った歯科医でのことだ。
お約束通り例のウィーンというやつで歯を削る時になって、その医師が言った。

「麻酔を打つ程ではないけれど、神経を削るので笑気ガスを吸入しましょう」

麻酔の注射もそれ自体結構痛いし、麻酔なしで神経を削られるなんて考えたくもない。
注射嫌いの私には渡りに船であった。


……それは酸素吸入の要領で行われた。
が、これといって別段何も変わらない。もちろん意識もハッキリしている。
そうこうしているうちに、いよいよ歯を削る段になってしまった。

「こんなんで大丈夫ですかぁ?」私の中で不安が……広がらなかった。

ちゃんと痛みは感じているんだけれど、不思議な事にそれが苦痛ではないのだ。
なにか、痛みなどという小さな事を不安がるのもカッタルイというか、どうでもイイヤといった感じ……。
そんな、鷹揚な気分になるのだ。

その時、「幸せそうな顔しちゃって……」という看護婦さんの揶揄する声が聞こえた。

失礼な話である。
こちらは笑気ガスを嗅がされて、否応なく弛緩した顔をさらしているというのに……。
頭の隅では「失敬な!」と思う自分がいる。
しかし、そんな下らない事は気にならない、金持ち喧嘩せずの心境になれるのだった。


笑気ガスを嗅いだのは、後にも先にもその時だけ。

「もしや実験材料にされてしまったのかも……」という猜疑心すら持っていたんだけれど。
インターネットで検索したところ、今でも使われているらしく、安心した。

とはいえ、日頃から些細な事に不安がったり腹を立てている私には、あの、なんとも言えないおおらかな心持ちが、懐かしくさえ感じられる。

もしかして、それも笑気ガスの後遺症だったりして……。(笑)

'04年5月1日

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2006/05/01

お米

Rabenda_montanaトランス雑記その11

そういえば、今年は五月一日が八十八夜だった。
(※今年'06年は五月二日)

立春から数えて八十八日目。
お米作りを始める節目の日だ。

八十八と書いて「米」だそうで、お米を作るには八十八の手間がかかっている、なんて言われる。


お米を研いでいて、流しに2、3粒こぼしてしまう。

そんな時、とんでもない事をしてしまったような気がして、慌てて拾い集めたり。
それは、子供の頃から「米粒を粗末にするな」と言われていたからだろう。


もう一昔前になるけれど。
冷夏による不作で、米不足になった事があった。

その時政府の政策で、外国米が大量に輸入される事態になったのを、憶えてらっしゃるだろうか。例の「タイ米」である。

それは、ボソボソとした食感でとてもまずかった。

当然消費者にはありがたがられなかったけれど。
お米屋さんでは、そのタイ米とセットでしか日本米を売ってくれなかった。
(そのため、道端にタイ米が捨てられるという、バチ当たりなニュースまで流れた程だ)

ご多分に洩れず、うちにもタイ米があった。

炊きたての「白いご飯」と思うと、とても食べられたものじゃない。
けど、それをドリア風にすれば結構おいしかった。

家内の仕事が忙しい時なんかに、ピンチヒッターで作ったものだけれど。
それもたまの事なので、2〜3年は流しの下に置いてあっただろうか。
(「変なニオイがしてきたら捨てよう」と思いつつ、結局最後までおいしく食べてしまいました)(・o・)


当時まだ小さかったうちの子も、その味を憶えていて時々リクエストされたり。
でも、コシヒカリを「おじや」にしてしまうのはもったいなくて断っていた。

ただ、最近子供の食べるご飯の量が半端じゃなくなってきて。
やむなくお米のランクを落としている今日この頃。
また、アレを作る日が近いのかも知れない……。

'04年5月14日

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2006/04/28

ボール投げ

Hebiitigoトランス雑記その10

ゴールデンウィークに、ウチの子に誘われてキャッチボールをした。
久しぶりの事だけれど、知らない内にずいぶん上手くなっていて驚いた。

それは、休日の親子の当たり前の光景。
でも、自分には特別の感慨があった。

子供が上手になったのもそうだけれど。
そんな事をしている自分が可笑しかったのだ。


小学生の頃、全てにオクテだった私は当然スポーツも苦手。
「どこへ連れて行っても、紙と鉛筆さえあれば大人しく絵を描いていて、助かった」
と、母親からありがたがられる程だったのだから、活発な方ではなかった。

当然、体育の成績も芳しくなく「2」だった。
(というより、当時の相対評価では必ず「1」の子もいた筈で、よく「1」を取らなかったものだと思う)

みんなが楽しみにしていた体育の時間は、私にとっては苦痛なだけ。
とりわけ体力測定の「ボール投げ」が嫌だった。

他の項目は下手なりに何とかサマになるのだけれど。
「ボール投げ」だけはダメだった。
(あんなに人間に近いチンパンジーでさえ、下手投げしか出来ないのだから、どうも上手投げという動作は高度な動きなのではないかと思っている)

そして、その「ボール投げ」こそは、男の子がクリアしなければならない関門だった。


それでも成長するにつれ、なんとか出来るようになるのだけれど。
高学年になると、今度はボールがより大きなソフトボールになって。
小さな私の手からは、するりとこぼれてしまうのだった。

そんな私でも、中学からはやっとみんなに追い付いたようで。
成績も「3」になり、後半には「4」になっていた。
そんなだから、高校で10段階評価の「9」をもらった時の喜びはひとしお。

「小学生だった頃の自分に見せてやりたかったなあ……」と、しみじみ思ったものだった。

当然、「ボール投げ」にも期するものがあった。
ところが、高校になるとより大きなハンドボールになってしまうのだから……。
どこまでもボール投げには祟られたのだった。


子供にはそんな思いをさせたくないと、小さな時から何かと外遊びに連れ出していた。
お陰で、なんとか私の二の舞は演じずに済んだけれど。
やはり血は争えない。テレビゲームを覚えると、なかなか私の誘いには乗らなくなった。

そして、いつしか私の方も、強いて誘うような事はしなくなった。


そんないきさつから、「親子でキャッチボール」には、特別な思いがあったのだ。
バレーボールをちょっと小さくしただけのハンドボール。
それに比べれば、手の平に収まる小さなボールなど軽いものだ。

五月晴れの空の下、やっと「ボール投げ」の呪縛から解き放たれた、のどかな休日の午後だった。

'04年5月26日

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