2007/11/18

ブルーナの緑

Brunaehon2本棚の片隅にある小さな絵本。

今じゃ四隅が擦り切れて。
くたびれてしまったけれど。

ディック・ブルーナ作のミッフィーちゃん。
太くてシンプルな描線と、落ち着いた色使いに特徴がある。

幼い子供は、まだ色感が未発達。
微妙な色よりも、鮮やかな色の方が認知されやすいんだそうで。
子供向けの絵がカラフルなのは、そういった事が考慮されているらしい。

もちろん、ブルーナ氏の絵もカラフル。
でも、どこか穏やかな感じを受けるのは、その「緑色」の使い方にあると思う。

オレンジがかった赤に、青、黄色。
どれも鮮やかな色なのに、なぜか緑色だけはくすんだモスグリーン。
その渋い色合いが、シンプルな線と共に他の色を際立たせている。


「緑色」って、本当に難しい色だと思う。
黄緑、青緑、薄緑。
どれも好きな色だけれど、正直ど真ん中の緑はあまり好きになれない。

たとえば草原の小さな家の絵を描こうとする時。
やはりその周りには木立があった方がサマになる。庭には花もあしらいたい。
ところがそこに緑色を塗ろうとすると、なかなか思うような緑色が作れない。

絵の具のチューブから出したままの緑色は「ド緑」とでも言いたいような鮮やか色。
そのまま塗ってしまうと、その色だけ浮き上がってしまう。
だから他の色を混ぜたりして、なんとか周りの色と馴染ませようと苦労するんだけど。

たとえば山を切り崩した後に、グリーンのネットが被せられているのを見かける事がある。きっと痛々しい山肌を晒すよりは、という事なのだろう。
でもそんな思惑とは裏腹に、周囲の自然な緑の中でそこだけが浮き上がって見える。

「緑」イコール「自然」。
そんなイメージがあるくらいだから。
人工的な緑色は、むしろその無機質さを目立たせてしまうのかもしれない。


ところで、先のブルーナ氏はかなりの年輩でいらっしゃる。

描線のシンプルさと、独特な緑色の使い方。
それは、そこに辿り着くまでのキャリアの中で培われたものなのだろうか。
そこから醸し出される、穏やかさなのだろうか。

ふと、そんなことを思ってみたりする。


●上の写真の絵本は『ミッフィーと あそぼう』講談社
 ボロボロになってしまいましたが、本棚にありました。

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2006/03/23

ピンク・もも色・しあわせの色

pink子供の頃好きだった色。

といえば、何といっても「水色」と「桃色」。

当時、二色が真ん中でくっついている色鉛筆があった。
好きだった「水色」と「桃色」の色鉛筆はどんどん減ってしまうから、この二色がセットになった一本は大のお気に入りだった。

「青」は男の子の色。「赤」は女の子の色。
今でもそんな考えがあるくらいだから、昔ならなおさら。

無意識に刷り込まれたそんな固定観念で、「水色」が一番好きだったのは当然としても、「桃色」がそれに伍した地位にいたのは、なかなか奮闘していたと思う。


その「桃色」。
今は「ピンク」の方が通りがいいけれど。

ただ、ピンクと言ってしまうと、淡いピンクからショッキングピンク。
はてはローズ色のような濃い色まで「ピンク」になってしまいそう。

その点「桃色」は、名前の通り桃の色。

桃といえば、クリーム色からピンクにかけてのグラデーションが、その産毛に覆われて。
霞がかかったような、えも言われぬ柔らかさがある。
自分が思うピンクは、そんな色。

世の中のありとあらゆる優しさや、柔らかさを集めてきたような。

もしもピンクを食べたとしたら。
きっと、マシュマロのような舌触りじゃないだろうか。

この色に、しかめっ面は似合わない。

眉根に寄せたシワも、思わずほころんでしまう。
まるで、優しくくすぐられてでもいるような。


そんな、幸せな気分になれるのは……。

優しさや柔らかさの中でたゆたっていたあの頃。
無邪気なままでいられた、幼い頃を思い出すからだろうか。
 
pink
 
左:桃色  #E38089
右:ピンク #EA9198

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2006/03/04

色バトン

inufuguriほほえんでいたいからのmikiさんから、「色バトン」のバトンが回ってきました。
自分の事を客観的に例えるのは、自虐的な蜜の味?

(太字が使えないので、読みにくい点はご容赦下さいませ)


1、自分を色に例えると?

 藍染めって、藍瓶に浸けるごとに濃い色になるそうな。
 子供の頃は「あさぎいろ」。「はなだいろ」を経て、「藍色」に。
 今は、色落ちした「インディゴブルー」。
 (ぶっちゃけ、くたびれたジーパンの色)


2、 自分を動物に例えると?

 どう考えても、羊さん。やっぱ干支だしぃ。
 (ワケも分からず追い立てられているのを見ると、ナゼか身につまされます)


3、自分を好きなキャラに例えると?

 うん!サザエさんちの「マスオさん」。(ま、これは衆目の一致する所でしょ)


4、自分を食べ物に例えると?

 刺身のツマ。(ある意味ラクなポジション)

 ナタデココ。
 口当たりが良さそうなくせに、噛むほどに歯ごたえが出てくる。
 咀嚼する(理解される)のに時間がかかる。

 食べ物見本の蝋細工・食品サンプル(食えない)

 誰か私を止めて・・・。(T_T)


5、次に回す5人を色に例えると?

 ごめんなさい。小心者ゆえ、バトンを回すのは控えマス。
 (ね?やっぱ食えないッショ)

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2006/03/01

それはピーコックブルー

hizakakeウチには、薄地の膝掛けがある。

10年以上前に、通販で買ったものなんだけど。
厚地にはまだ早い、季節の変わり目なんかに重宝している。


ソファーとか、めったに変えられない大物の家具の場合。飽きのこないベーシックな色がいい、なんて言われるけれど。

膝掛けくらいなら気軽に変えられるし。
ちょっと冒険してピーコックブルーにしてみた。

まさに孔雀の羽を思わせるブルー。

届いた商品を初めて見た時。
「やっぱ、ハデすぎたかな?」なんて弱気になった程の鮮やかさだった。


……でも、これが使ってみて驚いた。
どんな色とも相性がいい。

もっぱらダイニングテーブルに座る時に使ってるんだけど。
使わない時に、白木のイスに掛けていても映りがいいし、テーブルや木床とも合う。
そして、その相性の良さは天然素材とばかりではない。

それを掛ける肝心の人間は、その時によって着ている服が違うのに。
どんな色を着ていても、不思議と違和感なくおさまってくれるのだ。

シックな色と馴染むのは分かるけど。
鮮やかな色と合わせても喧嘩しないし、むしろその色を引き立てている。

こんな色って、他には思いつかない。


それ自身、鮮やかで目を引くのに、決して悪目立ちしない。
それどころか、程よいアクセントとなって、その場を明るくしてくれる。

そんな、どんな環境にも無理なく溶け込む色。

……あれ?
これって、理想的な人間像とかぶってない?


人は、自分にないものに惹かれるのだろうか。
 
pikokku
左ピーコックグリーン#007D7F
右ピーコックブルー #006E7B
この中間くらいの色で、もうちょっと鮮やか。

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2006/01/28

青と緑の狭間で

stro_biora子供の頃、伯父の家に行った時の事だ。

私が、そこにあった緑色の灰皿を、「あお」と言ったら「これは緑色だよ」と訂正されてしまった。

「そりゃそうだけど、大人はこんな色の事を『青』っていうくせに……」
その時、釈然としない気持ちになったのを、よく覚えている。

「『青』と『緑』はあんまりうるさく区別されない」
子供心に察していたそんな「お約束」を、反故(ほご)にされたような。
うまく言えない、もどかしさを感じたのだった。


この話題になると、青信号も実際には緑色、なんてよく言われる事。
(最近は発光ダイオードの信号になったりして、随分改善されたのかもしれないけれど)

実際、人間の目はオレンジ色から黄色、黄緑色にかけては、かなり識別できるそうだ。
それが逆に、緑から青緑、青にかけては見分けにくいんだとか。


それだけ微妙な「青」と「緑」。
それが言葉で使われる時。その曖昧さはより顕著になる。

「目に青葉」とか「青田刈り」とか、平気で言われるし。
こんな、葉の緑を青にたとえた言葉では、他にも「青くさい」、「青二才」なんかも。
果ては、馬の青味がかった黒い毛色を「青毛」といってみたり。

なんか「青」の独壇場みたいだけど。
馬が「青毛」なら、人間は「緑の黒髪」なんて言うし。
「緑風」、「緑道」とか、「緑子(嬰児)」なんて言葉まであって、どっこい緑も健闘している。


こうなってくると、もうなんでもアリではないか。
(緑色の背をした鳥、「アオゲラ」は「緑啄木鳥」って書くんだからビックリ)
結局ゴロがいい方になってるのだろうか?

誰が子供だった私を責めらりょう。

……伯父さん。
子供の私が言いたかったのは、そ〜ゆ〜事だったのであります。
 

gurade
●便宜上
C(シアン)
M(マゼンタ)
Y(イエロー)の
%で表してみました。
 
 
↓「緑の黒髪」についての面白いお話のサイトさんを教えていただきました。
緑の黒髪/信号の青

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2006/01/16

群青色を探して

gunjo群れた青と書いて「ぐんじょう」。

様々な「青」が幾重にも重なりあったような、深みのある青。
刻々と移り変わっていく夕暮れの、黒に変わる前のつかの間の色。

それが時を止めて、固まってしまったような。


子供の頃持っていたクレヨン。
そこには、「ぐんじょういろ」と書かれた1本があった。
それはなぜか好きな色で、「みずいろ」や「ももいろ」と共に、他の色より早く短くなったものだった。

大人になるにつれ、それに「薄紫」や「ペパーミントグリーン」が加わって。
好みの色も変わっていったような気がする。

でも、そんな中で、決して一番にはならなかったけれど。
「紺色」でもなく「藍色」でもない「群青色」は、常に五本の指に入る「外せない色」だった。

そして、その漢字が「群青」だと知った時、それは決定的なものになった。


そんな思がつまった群青色。
今まで何度も、この色をテーマに書こうとしたんだけれど。
どうしてもできなかった。

それは群青色が、自分の中の「あの」群青色ではなかったから。

以前、利休色の記事でも書いたけれど、色にも規格がある。

ただ、それも色見本によっては全く違う色だったり。
特に「紺色」「藍色」「群青色」は、私が思っていた色とは違う。

コバルトブルーのような鮮やかさはないのに。
不思議とそれより透明で。
ウルトラマリンブルーより、ずっと深みのある色。


なにか記憶違いがあったのだろうか。

好きだったあのクレヨン。
そこには、たしかに「ぐんじょういろ」と書かれていたはずなのに……。
 
jis_iro
 
 
 
●JIS慣用色名 左から群青色#384D98 紺色#343D55 藍色#2B4B65
 コバルトブルー#0062A0 ウルトラマリンブルー#384D98(群青色と同じ)

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2005/03/15

利休色

利休色、利休鼠、利休茶、利休白茶、これはどれも色の名前。
(どの色にもちゃんと規格があって、RGB値が決められている)
そして利休と言えば、言わずと知れたあの、茶の湯の千利休のこと。

「利休」の名が付くだけあって、どの色も抹茶色を感じさせる色だ。
ちなみに、利休鼠(りきゅうねずみ)は緑色がかった鼠色。
江戸時代に愛好されたり、明治時代にも流行したというだけあって、ご存知の方も多いと思う。


子供の頃、「図工」の時間に絵の具を混ぜていた時のこと。黄色と黒を混ぜたら、とてもイヤな色になって驚いたことがある。どんな色でもそれに黒を混ぜると、たいてい深く落ち着いた色になる。出来上がりの色も、混ぜる前から大体想像がつくものだけれど……。

しかし、黄色だけは違う。

混ぜた筈のない緑色を感じたりして、神経を逆撫でるというか、とても落ち着かない色になる。間違って混ざったりすると、「しまった!」と思うほどで、それは生理的嫌悪感に近かった。

でも、それも混ぜる黒が70%辺りになると、うって変わって落ち着いたシブい色味になる。
そしてそれは、利休色にとてもよく似ていて、「特別な色」と言ってもいいくらい。

先に挙げた色名は、後世の人が抹茶色にからめて付けた名らしい。けれど、利休がこの色を好んだというのだけは、本当だと思う。


人は、成長と共に色々な味覚を認知し、その美味しさを知っていくのだそうだ。その中でも、「苦味」は一番最後に理解出来るのだという。(大人になって味わう、ビールの苦味はこたえられません)
今回、試しに黄色から黒へのグラデーションを作ってみたのだけれど、子供の頃に感じたほどには、嫌な印象を持たなかった。

案外それは、この色味が味覚で言う「苦味」だからなのかもしれない。

あまりに鋭い美意識のために、秀吉から切腹を命ぜられたほどの千利休。
「苦い」と感じるほどの、この色のうつろいの中に、絶妙な刹那の美を見い出した利休という人の感性。
その感性に、改めて想いを馳せてしまう。
 
rikyuu rikyu
左が、黄色から黄+黒70%への
グラデーション。
右が、利休色。値は#5D4F25

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