2008/06/14

父の日に寄せて

明日6月15日の日曜は父の日。
どこに行ってもカーネーションだらけだった母の日に比べると、父の日が地味なのは仕方ないのかも。
自分が子供だった時を思っても、これといって何もしなかったような気がするし。
ということで、今回は●リターン雑記その17を。
 
Maruta・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もともと、父とはクールな関係だった。

別に仲が悪かったというワケじゃないんだけれど。
親子喧嘩をした覚えもないし、そこまで強い感情を抱いていなかった。

聞くところによると、長兄の頃は厳しい父だったらしい。
それが末っ子の私の頃には、ずいぶん丸くなって。
宴会のお土産に寿司の折詰めを持って帰った姿とは、別人のようだ。

ただ、厳しかった頃の記憶もうっすら残っていて。
反抗心が芽生えなかった代わり、甘えようとする気持もなくしたのかもしれない。


去年('05年)のおねだりでも書いたように、私はおねだりをしない子だった。
だから父にとっては可愛がり甲斐のない子だったと思う。

そんな父との関係が変わったのは、他の兄弟が結婚して家を出た後。
会社勤めを始めた私と、両親との三人暮らしになってからだ。
ちょうどその頃は家を新築したばかり。
私が早めに会社から帰れた時には、買ってきたケーキをその応接間で食べたりした。

ソファーに座って、紅茶をすすりながらケーキを食べる。
クリスマスでも誕生日でもないのに。
そんなおままごとのような事をしたのは、子供の頃できなかった事をやり直したかったのかもしれない。

暮には一緒に駅前まで行って、お正月用のしめ縄や輪飾りを買って。
そんな事の一つ一つが新鮮だった。

私が大人になって、初めて訪れた自然な父子の時間。
それは長兄一家が同居するまでの、ほんの一、二年だったけれど。
賑やかだった我が家に束の間現れた、蜃気楼のような静かな時間だった。

その後、会社勤めに挫折した私は、結局結婚するまで実家にいた。
敷かれたレールの上を歩く事しか考えなかった私にとって、初めて経験した大きな挫折。でも、そんな私が羽を休められたのは、まぎれもなく父のいる家だった。


子供の頃、おねだりができなかった自分だけれど。
私は大人になってやっと、父に甘えられるようになったのかもしれない。

お彼岸のお墓参り。
ひとり墓園の長い歩道を歩きながら、そんな事を考えたりしている。

'06年6月18日

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2008/06/04

絶対音感

080516sirotae●リターン雑記その16

「英語の学習は小さいうちに始めた方が良い」

という理由で幼児教育が盛んだけれど。
どうやらそれは言えているらしい。

先日読んだ新聞にも、専門家の方がそんな事を書いてらっしゃった。

なんでも、脳の中で専門的な分野が発達する時期というのがあって。
小さいうちに学習を始めると、その分野のモジュールの分化が進むのだという。

確かに、正しい日本人である私は自分が発音する時には意識できても(カラオケで英語のフレーズが出てきたりするでしょ?)、聞く時にはRとLの音は聞き分けられない。
三味線や日本舞踊など、昔からあるお稽古事でも「六歳の六月六日に始めると上達する」などと言われるのは、そんな理由からなのだろう。(ちなみに6月6日は「お稽古の日」だそうな)


「小さい内から始めた方が良い」ものと言えば、音感を必要とするピアノなんかが代表的。
小さな頃からエレクトーンを習っていた私の姪は、絶対音感なるものを持っている。
私が適当に鍵盤を叩いても、「高い方のド」とか即座に答え、百発百中だった。
(私がマネしても、道しるべのない音の森に放り出されたようで、まったく五里霧中だったのに……)

当時実家にいた私は、姪が使っていた教本を借りて練習したものだけれど。
大きくなってからでは、なんとか曲を弾く事は出来ても音感までは無理なようだ。


うちの子にも小さい頃にキーボードを与えたりした。
でも、見向きもせず。(挙げ句に壊されました)(ToT)
さらには同じ幼稚園のお母さんから英語を習ったりしたけれど、それも長続きしなかった。

やはり、好きでなければお話にならないようだ。


まだよく喋れない頃の「ア」と「エ」が混じったような喃語。
歯と歯で舌を挟んで「サシスセソ」を発音していた我が子なのに……。

それが今では、明瞭で美しい日本語を話す。

'06年7月9日

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2008/05/17

夏の予行演習

Redrobin●リターン雑記その15

風薫る五月。
しかしそんな初夏の日々に、真夏を思わせる暑さが訪れることもある。

三島由紀夫氏の作品に、そんな日のことを「夏の予行演習」と表現した一節があった。

まさに言い得て妙。
緻密な彫刻を施したようなその文章は読むのに時間がかかるけれど。
それだけにこんなフレーズを見つけると嬉しくなってしまう。

そういえば、裏地が付いた袷(あわせ)の着物を単衣(ひとえ)に替えるのは、六月の「衣替え」から。
そんなうるさい決まりがある着物でも、五月の暑い日には単衣を着ていいことになっている。

それだけ「夏の予行演習」のような日は、特別な日。


若かったあの頃。
そんな日が来ると、私もタンスからいそいそと短パンを引っぱり出して、つかの間の「夏」を楽しんだりしたものだった。

でも、その予行演習は昼間だけ。
夕方になって冷えて来ると、またいつもの格好に戻らなければならない。
かりそめの夏は、はかない白昼夢。

「最初からわかってたよ……」

そうやって穿いていた短パンをしまいながら。
過ぎてゆくうたかたの夏の日を恨めしく思うのだった。

'05年5月1日

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2008/05/14

壊れたカメラ

先日、過去記事を読んでいて驚いた。
自分では、ついこの間のことだと思っていたんだけれど。
今使っているカメラを買い替えたのは、ちょうど三年前の今頃のことだった。
ということで、今回は●リターン雑記その14として、その顛末を。

Iberisu・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもブログに載せている写真はデジカメで撮ったもの。スキャンする手間がいらないし、撮ってすぐ使えるのはありがたい。
1万数千円程度の安価なカメラだけれど、10cm位まで接写できるので重宝していた。

ところが、先日いきなりパソコンに取り込めなくなってしまった。

カメラが悪いのか、パソコンが悪いのか。
ドライバをインストールし直してもダメ。

困った。これでは明日から写真がUPできない!


仕方なく販売店に修理を依頼したら、費用は1万円程度からだとか。
「1万数千円のカメラを直すのに、1万円もかかるなんて……」

そう私が訴えると、店員さんは待ってましたとばかりに「最近のカメラはお安くなっているので、買い替えた方がお得ですよ」とのたまう。
しかも「今ならどんなカメラも3,000円で下取りします」とのこと。

っうん! お上手。

なんだか乗せられてるようで、釈然としないながらもショーケースを覗いてみると。
なんと2万円以下で3倍ズーム、接写も6cmからというカメラがあった。
しかも、小さいながら液晶画面までついている。(実はコレに憧れてたの)

今までのカメラは120万画素でも別段不自由は感じてなかったのに。
それが400万画素ですと。

おあつらえむきに、手には壊れたカメラまであるではないか!

20,000円-3,000円=17,000円
これでは前のカメラと大して変わらない。


……壊れたカメラを手に携え、暗たんたる思いでお店に向かったあの日。
それが帰りには。
イソイソと新しいカメラを提げていた私を、誰が責められるだろう。

'05年5月14日

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2008/05/05

初夏の面差し

Haura_right●リターン雑記その13

肌寒い日があったかと思えば。
夏を思わせるような陽気になったり。
春の天気は気紛れ。
なんて言ってられない。

五月六日は「立夏」。
(今年は五月五日の今日)

気がつけばもうすぐ「はつなつ」。
初夏である。


三月は、まだ生まれたての「春」。
それが、桜の花が散る四月になって、やっとうららかな「春」本番に。
そうなったら、ボヤボヤしてるヒマはない。
爛漫の春に浸る間もなく、風薫る五月になってしまう。

暦の上では「春」は二、三、四月になるのだろうけれど。
体感的に二月は「冬」だし、八月が「秋」だなんて寂しすぎる。
やっぱり「春」は三月からだと思いたい。

でも、五月が初夏だというのだけは、不思議としっくりくる。
夏じゃないけれど、夏の兆しをはらんだ季節。


春が、おかっぱ頭の愛らしい女の子だとすれば。
その子が知らぬ間に成長し、ある時ふいに大人の顔を見せるような。

初夏は、そんな乙女の面差しをしている。


まだ柔らかくて、初々しい色の若葉。
陽に透けて、光る葉裏のそよぎは、笑いさんざめく少女達のよう。
少しもじっとしていない。
木漏れ日を踊らせながら、すぐに次の季節へと旅立ってしまう。

夏が来る前の、ほんのひと時。


それは、そこにそのまま留めておけないからこそ、輝いて見えるのだろうか。

'06年5月4日

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2008/04/25

もう一つのピーク

Mouhitotuno●リターン雑記その12

もうすぐゴールデンウィーク。
日に日に青葉が茂り、新緑が目にまぶしい。

桜が春一番のクライマックスなら、春はこの時期もう一つのピークを迎える。

ツツジやコデマリが咲き始め、バラは蕾を膨らませる。
一方、冬を乗り越えたビオラやノースポールなどの一年草も今が盛り。
早春の花と初夏の花が競って咲き乱れている。


思えば冬の間は「やっと咲いている」といった感じだったのに。
今は花ガラを摘むのも一苦労。

日々花数が増え、どんどん大きくなっていく様を見るのは嬉しい。
けれど、咲き終わった花ガラを摘むのが追いつかなくなると、そろそろピークが近いとも感じる。

呆れるほど見事なクライマックスの後には、あっけないほど早い終わりが来る。

霜や雪に耐えて咲き続けてきた花々が見せる最高の姿。
それは、役目を終える前の最後の輝きなのだろうか。

美しいからこそ漂う終わりの予感。

爛熟の裏に潜む終焉の兆しは、熟れた果実の味わいに似て。
濃厚で、少し哀しい。

'05年4月29日

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2008/04/16

春の中に

Bakopa●リターン雑記その11

待ち焦がれた桜の季節が過ぎれば、もう爛漫の春。
葉桜になる頃には、周りの木々も青々とした葉を茂らせ始める。


草花の種蒔きの場合。
冬を控えた秋蒔きの適期は、お彼岸を挟んだ一週間しかなくて慌ただしい。
けれど春蒔きはゆっくりと構えていられる。
逆に、桜の花より早く蒔いてしまうと寒の戻りで失敗したりして。
急がない方がいいと言われるのは、この時期の成長は早くすぐに大きくなってくれるから。

三寒四温と言われるように。
それまでは暖かい日があったかと思うと、急に冷え込んだりして油断がならなかった。
でも、これからはホッと一息。

この前までは朝起きたらソソクサと上に羽織るものを探し、暖房を入れなければならなかったのに。
その寒さを考えればトイレに行くのさえおっくうだったのに。
そんな些細な事にも、もう気負わなくて済む。


そうやって、無意識にコワばっていた体からゆっくりと力が抜けていく。
身構えていた心も、この季節の中ではゆったりとほどけていくような気がする。

すべてが許されて、春の中に溶けてゆくような気がする……。

'05年4月14日

05haruiro
'05年4月HP画像

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2008/04/07

散りゆく花びら

4_9hanabira●リターン雑記その11

吹く風に誘われるように桜の花びらが散ってゆく。

一体どれだけの花が咲いていたのだろう。
どの花が散っているのかさえ分からないほどだ。

なみなみとした湯舟から、こぼれ落ちるお湯に感じるような。
散ってゆく花びらを見ると、いつもそんな「勿体なさ」と裏腹な、惜し気ない贅沢を感じる。

それでも幾日か経つと、その豪華さにもやがて翳りが出始め、葉桜になって。
華やかであればあるほど、祭りの後にはいつだって一抹の寂しさがつきまとう。


しかし、春はなんと贅沢な季節なのだろう。
それまで桜の陰に隠れていた花々に目をやれば、今を盛りと咲き競っているではないか。

いっときの寂しさを見送り、咲き匂う花々に見とれる……。

そんな季節がやって来た喜びを、しみじみ噛み締めたくなる。

'05年4月10日

Nemofira

 
有栖川宮記念公園の
花壇にも
ネモフィラの花が

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2008/04/04

ハコベの法則

08_4_3hakobe春の七草にも入っているけれど。
近所ではあまり見かけないハコベ。

でも、生えているところには生えている。

最近そこに、ある法則を発見しました。
つまり、比較的見つけやすい場所があるのです。
(といっても、私の狭い行動半径の中でのことだけど)

以前UPしたハコベの写真は、地元の繁華街にある街路樹の根元。
歩道の一画がそこだけ切り取られて、土が露出している場所に所狭しと生えていた。

そんな目で見渡してみると、結構あるある。
アスファルトの隙間とか、ガードレールの支柱の根元とか。
それも比較的交通量の多い道路沿い。

どうしてこんな所に……。
と思うような場所にばかり生えている。

そこで思い出したのがオオバコ。

これもまた、人に踏み付けられるような所に生えている。
なんでも、他の種との生存競争に勝てないオオバコは、そんな過酷な環境でしか生き残れないらしいけれど。
ナゼだか身につまされてしまう私。

ただ、柔らかいハコベの場合、踏み付けられるのはマズそうだし。
そこで街路樹の根元に活路を見い出したのかも。
(車の排気ガスに耐えさえすれば、踏まれるリスクも少なそうだし)

街中の方が見つけやすいだなんて、なんだかチョット意外だけれど。

「ビルの谷間に埋もれた夢も いつか芽吹いて」
と歌う「こぶくろ」の『蕾』のように。

「みんな光を探して」るんですね。

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路傍のオオバコ

●リターン雑記その10

雑草と言ってまず思い浮かべるのは、このオオバコではないだろうか。
敢えて「雑草」と書いたけれど、わざわざ踏み付けられるような所にばかり生えている。

逞しく生きる事を「雑草のように生きる」なんて言われるけれど。
踏まれてもなお立ち上がる様は、まさに雑草の鑑。

しかし、そんなオオバコを哀れんで、踏まれぬように柵で囲ったとする。
すると、やがてより競争力の強い植物に駆逐されてしまうのだとか。
つまり、踏みつけにされ足蹴にされるような、劣悪な環境でしか生きられないということである。

「不幸な星の下に生まれた」と言うのは、まさにオオバコのことを言うのではあるまいか。

しかも、虫食いの跡の無いのを探すのに苦労するほど。
(虫にとってはオイシイって事ね)
さらにさらに、傷や腫れ物に効く薬効まであるというのだから、その健気さは哀れを誘う。虫ばかりか、人の役にまで立って……。
散々じゃけんにされて、都合の良い時だけ利用される。

あぁ。なにやら書いてて辛くなってきた。
もうコレ以上は何も言いますまい。

でも、惜しみなく与える、慈母の様なあなたのその生き方は立派だと思う。
ただねぇ……。


やっぱ地味過ぎだしぃ!

'05年6月25日

oobako2
 
 
 
ガンバレ! オオバコ。

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2008/04/01

おねだり

08yukiyanagi●リターン雑記その9

小学生の頃、父と母との間でこんなやり取りがあった。

それは会社がお休みの日。
買い物に出かけると言う父に、母は「だったら、この子も一緒に連れてって」と言った。
(この子というは、一人ボケっと家にいた私の事)

その時の父の返事が忘れられない。
「一緒に連れてっても『アレ買って、コレ買って』と言わないからつまんねぇ」

それを聞いた私は、「おねだりをされる方が嬉しい」という父の本音を知ってびっくりした。

言われてみれば、確かに私はおねだりをしない子だった。
でも、それには理由があった。


あれはまだ小学生にもなっていない頃だと思う。
親戚が集まった新年会の帰り道、時計屋の前で父に呼び止められた私は、ディズニーの腕時計を買ってもらったのだ。
別に私がおねだりした訳ではなかったけれど、幼い私に断るすべもなかった。

これは一大センセーションを巻き起こしたらしい。

「同じ年頃の子供を持つご近所から、アレコレ言われて困った」
と、後になって母がこぼしていた。
それは一つ屋根の下にいる他の兄弟なら尚更で。
その矛先は当然のように私に向けられた。

こうして私は「イイ目をみると後が怖い」という浮き世のことわりを、幼くして会得してしまったのだった。

実は、私はその他にも子供用自転車を買ってもらっている。
自転車屋さんの前で父に呼び止められる、という同じなりゆきで。
本当にちっちゃな自転車で、すぐに乗れなくなってしまったけれど。

この反響は腕時計の比ではなかった。

私のすぐ上の兄は、行動半径が広がる小学校高学年の頃、自分用の自転車を買ってもらっている。(やはり、需要がでてから供給を受ける方がトクだと思った)
私はといえば、あの件以来「お前は自転車を買ってもらったんだから……」が付いて回った。

兄の自転車を借りながら、「ボクも自転車が欲しい」とは言い出せなかった私。
(あの時、なぜ「いらない!」と言えなかったのかと、長いこと悔やんだものだった)
家族の中に、その時の私の胸中を忖度した者がいたかどうかは、はなはだ疑問である。

そうやって「私だけが子供用自転車を買ってもらった」という事実が、皆の記憶に残っていく。

その時の気分で、後先の事も考えずに行動する。
そんな父の、江戸っ子気質。
そのツケを払わされる身としては、迂闊におねだりもできなかった。


そして現在。
その気質を、決して受け継いでいないとは言えない私。
自分の中のその因子によって、今もツケを払わされ続けている。

'05年8月30日

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2008/03/10

ハラハラ、ドキドキ

08_2_27sutokkuしながらホラー映画を観る。
なんてよく言うけれど。

この「ハラハラ」と「ドキドキ」。
今まで深く考えずに使い分けていたことに、ハタと気がつきました。

たとえば、ミステリー小説を読みながらハラハラするのは、ストーリーの進展に気を揉むから。
決して自分の身に危険が及ぶとは思っていない。

一方、ジェットコースターに乗ってドキドキするのは、たとえ擬似的にでも自分の身に危険を感じるから。
(ハラハラするのは、それを見ている側が感じる気持ですよね)

ことの成り行きを心配するのが「ハラハラ」で。
自分が怖かったり緊張するのが「ドキドキ」。
(ハラハラすれば鼓動も激しくなりますが)

その対象が、自分なのか他者なのか。この違いは大きい。

もっとも。
乱暴な運転に同乗者がハラハラするのは、ぶつかるんじゃないかという「ことの成り行きを」心配しつつ、「自分の身が危険にさらされている」という恐怖も同時に感じているし。
難しいところではありますが……。


ということで、今回のリターン雑記をなにげに、さり気なく。
(ちょっと無理があります?)(^^;)

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なにげに、さり気なく

08_2_27biora●リターン雑記その8

「なにげに」、「さりげに」。
数年前から耳にするようになったこの言葉。

「何気なく」も「さり気なく」も似たような意味なんだから、二つもいらないじゃん。
なんて思っていたけれど。

最近、「なにげに」そんな事を考えていて、自分の中のある変化に気がついた。
「何気ない」は、「特に深く考えることもなく、無意識に」であるのに対し、「さり気ない」は「人にそうと意識されない程度に」みたいな違いだろうか。

つまり、あくまでも自分の中で完結するのと、他者を意識する違い。

「何でこんな大きな違いを見過ごしていたんだろう!」
今まで、なんとなくこの二つは使い分けていたけれど、その違いは些細な事だと思っていた。
慌てて辞書で調べてみると。

「何気無い」(1)さりげない(2)はっきりそうするつもりもないようす
「然りげ無い」特にそうしようとするようすを見せない感じ

へ?「見せない」以外おんなじ。
どうやら、最初に似たような意味だと思った自分の感覚は、あながち間違いではなかったらしい。

いや、もともと違いはあるのだろう。
ただ、他者を意識するのは「言わずもがな」の事で、とりたてて意識されなかったというのが近かったりして。
「自分」と「他者」との関わりを「何気なく」受け入れ、「さり気なく」気遣う。
そんな事が一つの事としてとらえられ、さして区別もされなかった。

それが、「個」と「社会」の関わりの多様化で、違いが鮮明になってきて。
(電車内での大声の携帯電話は、他者を意識してるとは思えませんもんね)
遅ればせながら、やっと私もその違いの重大さが気になりだした。

自分の迂闊さを棚に上げれば、そんな事も言えるのかな?
なんて思ってしまったのでした。

'05年12月7日

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2008/03/01

春は忍び足で

080228hanameそろそろ桜の花芽も膨らんで、先端が明るい色になってきました。
ということで、今回は●リターン雑記その7を。

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●春は忍び足で

この冬は、20年ぶりの記録的な寒さだったそうだけれど。
これにはもう、誰も異論はないだろう。('06年)

記録的な大雪の被害を受けて、気象庁が1日「平成18年豪雪」と命名したほどなんだから。


……本当に寒かった。
帽子やマフラー、手袋をしていても、顔は防ぎようがない。
土手なんかをウォーキングしていると、頬に当る風は痛いほどだったし。

このところ、ポケットにはいつもティッシュをしのばせていた私。
だって、冷たい空気を吸い込んでいると、鼻水が垂れてきちゃうから。

それでも、立春を過ぎるとやはり違う。

遠目からは枯れてるように見えた潅木も、近寄ると小さな緑の芽が出ていたり。
ポツンと花が咲いてたり。
グラウンドのフェンス沿いに植えられた桜の木。
その花芽も、やけに目立ってきたように感じていた。

「こんなに寒いのに、まさかぁ。」
春に焦がれるあまりに感じる錯覚。気のせいだと思っていた。
ところが……。

用水路にかかる歩道橋に立つと、桜の枝は手が届く所に迫っている。
先日その枝先を見てみたら、なんと先端の花芽から薄いクリーム色が顔を出しているではないか!

「えぇ〜!」もう桜の花芽が動きだしてる。

いつも思うんだけど。
寒い寒いと嘆いていても、春は知らない内にやって来ている。
背後から忍び足でやって来て、ひっそりとそこで待ち構えている。
いくら人が、寒さに凍えていても。


暗い部屋に帰ってきて、やれやれと電燈のスイッチを入れた瞬間。
突然クラッカーが鳴り響き、「ハッピーバースデイ!」と、プレゼントが渡される。
そんな驚き。

それは、ドラマの世界だけだとしても。
ある日突然、春もクラッカーを鳴らす。
そして、プレゼントを渡してくれる。

嬉しい驚きで、自分でもすっかり忘れていた、「あの日」を思い出させてくれる。

'06年3月7日

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2008/01/21

タ・イ・ツ

Fuyukodati今日は大寒。
ということで、今回は●リターン雑記その6を。


日々の暮しの中で、ちょっとした敗北感を味わう時がある。

たとえば「サザエさん」のジャンケンとか。
(分かりやす過ぎ?)

そうじゃなくても、気取って町中を歩いてる時なんか。
ふいに差し出されたポケットティッシュを、思わずもらっちゃった時とか。

いや、受け取らないと決めてるワケじゃないんだけど(むしろ欲しい)。
ただ、たまに気合いを入れてる時とかだと、ティッシュごときに心を動かされた自分がクヤシくなる。(「今は会いたくなかった。」みたいな?)

もちろん、ティッシュが残り少なくなって「ラッキ〜♪」と思ってたら。
タイミングが合わずにもらいそこなった。
なんてことにでもなろうものなら。その時の敗北感はもっとヘヴィ。
(どっちみち、ティッシュを前にすると平常心ではいられなくなるみたい。)


でも、そんなのはまだ軽い方。
実は、一年に一度、決定的な敗北感を味わう時がある。

・・・そ、それは。タイツを履く時。

女性の場合、いくら生足がはやってても、寒くなればストッキングをお履きになるだろうし。
もっと寒くなれば、それが厚地のタイツになるのでは。
だから、案外抵抗を感じないのかもしれない。
(家内など、「寒かったら履けばいいじゃない。」の一言だし。)

しかし男の場合、普段履きなれてない分、抵抗が大きい。

外から見れば、履いてるのなんか分からないし。
寒がりの私は、若い時からタイツを履かずに済んだ冬なんてないんだから。

だから、こだわる必要なんてないハズなのに…。

なにか、それまでかろうじて踏ん張っていたものが、足元から崩れてしまうような。
たより、よすがとしていた矜持のようなもの。
それを手放してしまう寂しさを感じる。


・・・とかなんとか言いながら。

やはりタイツの誘惑には抗えない。
この冬も、暮にとうとう敗北宣言。28日が解禁日となりました。
(今シーズンはもっと早かったでっす)

ふぅ…。
諦めてしまえば心も穏やか。

その、包まれるような温もりに、春を待つ間しばし羽を休めます。

'06年1月7日

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2008/01/09

諦観の中にあったもの

koisi1●リターン雑記その5

ある時、「透徹」という言葉が頭に浮かんだ。

「透」の澄み渡った感じと、「徹」の字から受ける一途さと強さ。
そのイメージから、なんとなく気に入っている言葉。

すべてを見通しているんだけれど、「冷徹」とは違った穏やかな印象を受ける。

もちろん、そうなったら@nifty辞書で調べなくっちゃ。
・・・すると。

【透徹】
(1)すきとおっていること。澄みきっていること。また、そのさま。
「—した空気」
(2)筋が明確にとおっていること。一貫していること。また、そのさま。
「—した論理」「—した洞察力」

・・・あれ?
澄んではいるけれど、べつに「見通した」という意味はないみたい。
そこで、自分としては同じ穏やかさを感じている「諦観」で調べてみた。

【諦観】
(1)全体を見通して、事の本質を見きわめること。 「時代を—する」
(2)悟りあきらめること。超然とした態度をとること。

おぉ…。
「諦」の字はあっても、決してネガティブな意味だけではないようだ。
しかも、自分が抱いていた「透徹」のイメージをも含んでいるではないか。

私が思っていた「透徹」は、「諦観」の中にあるのだろうか。


なにか、長い時を経て辿り着いたような。
漂泊の中で色が褪せ、透明になったような。

渓谷から崩れ落ちた岩が流され、山裾まで運ばれる。
そして、野を流れる川岸で、静かに丸くうずくまっているような。
そんな穏やかさ。

やがてそれが河口まで運ばれた時、いつしか小さな砂粒となって混じりあう。
もう、その時にはどの砂がどの岩のものだったかなんて分からない。
分かる必要もない。

でも、その一粒一粒には、しっかりと刻まれたものがある。
そんな、透き通った穏やかさ。

あとはただ、打ち寄せる波に洗われるだけ。
ゆっくりと堆積し、「時代」というひとつの地層になっていくまで。


・・・な〜んて思えれば苦労はないんだけど。
未だに角の取れないこの私。
アッチコッチがぶつかって・・・痛いわぁ。

'06年2月23日

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2007/12/28

冬至十日目

071206yuhi●リターン雑記その4

今年は12月21日が冬至。('04年)
と、言えば柚湯やカボチャを思い浮かべるけれど。
冬至と書いただけで寒くなるような気がしてしまう。

この日を境に昼の時間はどんどん長くなるのに。
それでも寒さは序の口で、あと一月後の大寒に向かってまだまだ寒くなっていく…。

車は急に止まれないというか、慣性の法則というか。
一旦寒さに向かってしまうと止められないということだろうか。


母が、よく「冬至十日目」と言っていた。
冬至を過ぎて十日もすれば、畳の目一目づつ伸びた日脚にも気がつくのだという。
今より暖房も整っていなかった昔の人は、そうやって春が来るのを待っていたのだろうか。

それよりもっと昔。

太古の人々は日に日に短くなっていく日照を、どんなに心細く感じていた事だろう。
このまま夜が長くなってしまうのでは。と、恐れたのではあるまいか。
暦など知らなければ、今度こそ暗闇に支配されてしまうかもしれないと…。
そこに祈りの気持が生まれたのかもしれない。

それだけに、少しづつでも昼が長くなっていく節目のこの日には、特別な想いが込められていたに違いない。クリスマスのお祝いも、そんな太陽復活の嬉しさを祝う冬至祭と合わさっていったという説にも頷ける。


例年コートが欲しくなる12月の気温は、コートを脱ぐ3月から4月初めの気温と同じだと聞いた事がある。
大寒を乗り切れば暖かく感じられる気候も、寒さに慣れていない身にはより寒さが沁みるらしい。

今から、来年の立春を心待ちしている私。
皆さまも風邪などひきませんように…。

'04年12月18日

1227buba
 
 
短日期にならないと花芽の出来ないブバルディア
開花の遅かった今年は
花瓶に生けて
室内で年を越してもらうことにしました

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2007/12/19

ハイリスク・ハイリターン

12_18madobe_naka●リターン雑記その3

貯蓄とか株式とか、資産活用でよく使われるこの言葉。
もうけが大きいものほど、危険を伴う。
ことわざだと「虎穴に入らずんば虎兒を得ず」ってところだろうか。

けれど若い頃、私は正反対の考え方をしていた。

「リスクがあるくらいなら、良い事なんて無くてイイや」
ただ日々を送るだけでも精一杯なのに、これ以上イヤな目に遭うくらいなら、退屈な方がまだマシだと。

マイナスがあるくらいなら、プラスなんていらない。
プラス・マイナス・ゼロ。
心穏やかに、やり過ごせる事だけを願っていた。


それがいつからか、「楽しむためなら、多少のリスクはしょうがないのかな?」
なんて考えられるようになった。
「楽しいと思う事が、イヤな事を乗り越えるエネルギーになるのかも」
そんな風にも思えるようになった。

日がな一日、凪いだ海を眺めるだけの毎日。
岬の向うに打ち寄せる波を、横目で見ている事に嫌気がさしたのだろうか。

いや、そんな平穏無事なだけの日々なんて、ある訳もなく…。

「何もしなくてもイヤな事が訪れるのなら、せめて楽しい事は楽しまなくちゃ」
と、開き直ったのかもしれない。

とはいえ、今でもリスクに二の足を踏む事は多々あって。
せいぜい砂浜に打ち寄せる波と戯れている程度だけれど。


…それでも、自分にとっては結構エキサイティング。
(穏やかに見えても、高波は不意にやって来るものだしネ。)

これくらいが、「身のほど」なのかもしれない。

'05年9月11日

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2007/12/03

寂しさの形

Susuki_fuke●リターン雑記その2

幸せの形はどれも似ているけれど、不幸にはそれぞれの形がある。

そんな言葉があるけれど。
人生の数だけ、不幸の数もあるような気がする。

もし仮に、幸運にもその「幸せの形」に巡り合えたとしても…。
今度は、それを何一つ失いたくなくて、怯え続けたりしないのだろうか。
それでもまだ足りない何かを、求め続けたりしないのだろうか。

「不幸」を、それが満たされない「寂しさ」と言い換えたら。
一人で生まれてきて、一人で死んでいくまで、人はそれぞれの寂しさを抱いて生きて行く。
なんて言葉に辿り着く。

その寂しさを埋め合わせるために、出会いを求めて彷徨しても、決してそれは完全には埋められない。
いつも何かしらの隙間が付きまとう。

指紋で個人が識別できるように、元々それぞれの寂しさの形が違うのだから。

でも、だからこそ、一部分でもその隙間を埋められた時の喜びは大きい。
だからこそ、そんな出会いが尊いような気もする。


はるか昔、最期の時を迎えた王は、多くの奴隷を道連れにしたという。
古墳時代の埴輪は、その代わりだと聞いた事もある。
支配者は、そうやって最後の寂しさを紛らわせようとしたのかもしれない。

しかしそれは、そんなことで相殺される筈もない。

豊臣秀吉が、死の床で「世継ぎの秀頼を頼む。」と言い遺した時。
あれほどの人物が、徳川家康の将来の裏切りを予感しなかったとは思えない。
それでも、家康にそう言わずにいられなかった秀吉。

いくら天下人とあがめられても、それは安らかな最期と言えるのだろうか。


生きて行く寂しさ。

そこからは、いっとき目をそらす事ができたとしても、逃げ続ける事はできない。
だったらそれは、最後の寂しさを受け入れるための、模擬試験なのかもしれない。


なんて・・・もの思う秋の日、少々感傷的に。

'05年10月20日

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2007/11/12

動く唇

Reme1ある日家内がこう言った。
「今、考え事してたでしょ」

…はい、当ったり〜。
なんでもそんな時は、わずかに唇が動いているんだそうな。

私はある考えが浮かぶと、頭の中でそれを言葉に置き換えているらしい。

それは他の人もそうだと思うけれど。
私の場合、頭と口が連動しているのがちょっと違う。


頭の中で組み立てた文章を読むように口が動く。
これはかなりアヤシイ。

で、どんなことを考えているのかというと。
このブログで書いているようなこと。
常に頭の中の引き出しにしまってあって、時折取り出しては転がしている命題のような。というか、妄想というか。

確かに私のその癖は、昔よく指摘されてたものだけど。
思えばこの「日常雑記」でいろいろなことを書くようになってからというもの、それはとんとご無沙汰だった。

以前は、そんな妄想を書き記すアテもなかったし。
(今なら喜んでネタにしちゃうけど)
頭の中で渦巻いた想いが、出口を求めて口を動かしていたのだろうか。


最近では、ネタを考えるのはウォーキングしながらだったり。
ブログの記事を考えるのはディスプレイの前とか。
それを吐き出す場所があるから助かる。
(それで、かろうじてアヤシイ人にならずに済んでたり?)

そうやって頭の中の妄想を一つの記事にまとめる。
するとそれは、おとなしくまた引き出しに戻ってくれる。

それがあるから、自分はブログをしているのかもしれない。


そうやって文章になった幾つもの想い。
でもそれは、やがて過去記事の奥深くに埋もれてしまうのが残念。

そこで、以前HPの雑文を「トランス雑記」のカテゴリーにまとめたように。
今も変わらず引き出しの中にしまってあるもの。
そんな過去記事を新しいカテゴリーに集めてみようかなぁ…。
なんて思っています。

自分が何のためにブログをしているのかを、時折立ち止まって確かめるためにも。

●ということで、新たに「リターン雑記」のカテゴリーを設けました。
 ご一読願えれば幸いです。

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黎明の兆し

Reme2●リターン雑記その1

私は、普段から無意識にあれこれ考えているらしい。

それは、絵の構図であったり、好きなスポーツの動きだったりする。
自分のHPでアニメーションを掲載しているけれど、スポーツネタが多いのもそのせいだ。

今は、それを形にする事が出来るからいいけれど。
それ以前は自分でも煩わしかった。

気に入った技があったりすると、頭の中でその動きを再現出来ないと気が済まない。
この、気が済まないというのが曲者で。
こういうのを妄想癖と言うのだろうかと、自分をいぶかしく思ったほどだった。


パソコンで曲りなりにも色々なものを作れるようになって、初めて無数の妄想の断片が、一つの形に収斂していくのを感じている。
HPにそれら形になったものを掲載する時。
パソコンと出会って本当に良かった。と、しみじみ感じている。

それまでは妄想でしかなかったものが、人様に見てもらえるのだから。こんなに嬉しいことはない。
頭の中で雑然と転がっていたガラクタを、一つ一つ磨き上げ、整理して、陳列棚に並べるように…。
ただのイタズラ描きを額に入れて壁に掛けるように…。


この日常雑記に書いていることも、すでに何度も頭の中で反芻してきたことばかり。

もちろん、新たに感じ入って書いたものも混じってはいるけれど。
そのほとんどは、自分にとってお馴染みの想念のカケラの寄せ集め。
HPも含め、これまでに書いて来た雑文を改めて見直すと、よくもまあこれだけ雑多な想いを抱えていたものだとあきれてしまう。

しかし、それらの想念を記事としてUPした瞬間に、自分の中で「済」の印が押されているのも感じる。
心の中でケリが着き、どんどん頭の中が整理されていく。

これまでは、「ネタが尽きたらどうしよう。」と心配していたけれど、そうやって決着が着くのなら、それもいいような気がしてきている。
思考のカケラでしかなかったものに、役割を与えられたのだから。
たとえそれが自己満足に過ぎなくても。

雑多な想いに遮られ、渾沌としていた暗がりの中で感じる、うっすらとした黎明の兆しなのだろうか。

整理整頓の済んだ部屋から、白々と明けていく空を眺めるような。
そんな、穏やかな気持ちで朝を迎えられるかもしれない。

'05/01/07

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