2008/07/28

ウチのウチワ

Utiwa●リターン雑記その21

この時期、私が家の中で持ち歩いてるのは、タオルとウチワ。

パソコンを使ってる時には仕事部屋のエアコンをつけるけれど。
室温が下がるまでの間扇いだり、タオルで汗を拭いたり。

昼寝の時も、寝入りばなや寝起きの時には汗が出る。
扇風機を回しても、首を振るから。
(風に当りっぱなしは良くないでしょ?)
「あぁ、涼しい」と思っても、スグに通り過ぎちゃって。
また戻って来るまでがじれったい。

その点、ウチワなら微調整も自由自在。
パタパタ扇ぐのにも疲れた頃、ウトウトしてくる。


そのウチワ。

旅行中、街中を歩いている時にもらったもの。
美容院の宣伝用に配られていたもので、「カット 1,800円」とか書いてある。
どうやらそれを持参すれば、サービス料金になるらしい。

宣伝用とはいえ、赤地に白抜きの文字がなかなかにオシャレ。
で、私は何となく気に入って使っている。


つい先日、テーブルの上に置いてあったそれを見て、ウチの子がこう言った。
「これを持って行けば安くしてもらえるんだって」

「ははは、それは去年の旅行でもらったヤツでしょ? もう期限切れだよ」
私がそう答え、まだまだ子供だなぁ……と、余裕の笑みを浮かべていたら。

「は? 4年前でショ。平成14年9月末までって書いてある」

(げ! もしかして、その前の旅行の時の?)

人の(いえ、私の)記憶というのはあてにならないものだ。
もう4年も使っていたのか。

その後、さらに息子の一言で形勢は逆転した。
「あは♪ セロテープまで貼ってある」

「……ウソ!?」
だが、奪い取ったそのウチワは、たしかに破れ目が丁寧にテープで繕われていた。
よく見れば、それ以外もアチコチ印刷が擦れているではないか。

なんという事だろう。これではオシャレもクソもない。
私は、その満身創痍のウチワより、それに気づかなかった自分に打ちのめされた。
花を愛で、美しいものをこよなく愛する人間だとばかり思っていたのに。
ボロウチワに気づきもせず、いや、そのライフスタイル自体になんの疑問も感じなかったとは。


美に耽溺する自分と、タオルとウチワを持ち歩く自分。
その両者が、なんの違和感もなく仲良く同居している。

……おそろしい。

いっとき、そんな物思いに沈んではみたものの。
しかし明日になればまた、私は躊躇なくそれを手に取るのだろう。

'06年8月21日

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2008/07/17

恐るべし麺類

Yaburan_safi●リターン雑記その20

私は麺類が好きである。

しかし、それと対峙した時。
いくばくかの緊張を強いられるのもまた事実である。

なぜなら、麺類は「長い」という特性を持っているからだ。

箸で適当につまんでしまうと、思いのほか大量の麺がつかめてしまう。

実際につまんでいるのは少量でも、それは氷山の一画。
その下には、膨大な量の麺が連なっている。


以前テレビの番組で、楚々とした風情の女優さんが素麺を召し上がっていた。

老舗の料亭なのだろうか。
こぢんまりとした庭に臨むその座敷きは、夏向きにしつらえられて。
涼しげな和服姿で婉然と微笑みながらおっしゃるには。

「素麺の繊細な感じが好き」。

そうそう、素麺は繊細さが命。
しかし、麺鉢からすくいとったそれを見て、私は不安に襲われた。
どう考えても多すぎる。

「そ〜か! 麺ツユに浸した後、小分けにして食べるつもりなのか」
と、安心したのもつかの間。
その方は、なんとそれをそのまま口に入れてしまった。

「い、いくら何でもそれは無理でございます!」

私が心の中で叫んだ次の瞬間。
あろう事か、その方は麺を途中で食い切ったのである。
その時、私の目は点になった。

たしか、素麺の繊細さに惹かれてたんじゃぁ……。


これもまた、以前観たテレビのNG番組でのこと。
あるイベントを取材していた女子アナが、麺類を食べていた。
静かに麺をすすり、決して噛み切ろうとはしない。

しかし、その健気な努力が報われようとしたまさにその時。
耐え切れなくなった彼女は「ウェッ」と口の中の麺を全て吐き出してしまった。

……あまりに痛ましいその映像。

これだから麺類は恐ろしい。

'05年8月9日

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2008/07/10

黒い影

Kage●リターン雑記その19

先日のウォーキングは、前日までと打って変わって良く晴れた日。

日なたの道を歩き、川沿いの道路に差しかかった時。
横断歩道の向こう側には夏があった。

抜けるような青空を背景にした光る青葉と、手前にはアスファルトの照り返し。
それに上下を挟まれた並木の陰は、まるで墨を塗ったように黒い帯になっていた。

光が強ければ強いほど、その影は濃く暗くなる。

その光と影のコントラストはもうすでに夏のもの。
それまでぐずついた天気が続いていたから、よけいそう感じたのだろうか。
もしかしたら、影の黒さで夏が来たことを知ったのは、その日が初めてかもしれない。


土手に出ると、すれ違う人はシャツを脱いで裸でいたり。
寝転がって日光浴してる人がいて。
いつものサイクリングロードにも夏が来ていた。

そして帰りの遊歩道には、生い茂った若葉の木漏れ日があふれ。
それがベンチやタイルの上にスパター模様を描き出している。

Madaraまるで黒いレースを被せたようなその小道。

そこを歩いて来る人には、光の粒が降り注いで。
それは次々と足元から這い上がり、肩から後ろへと抜けていく。
そしてすれ違うその背中には、滝のようにその粒々が滑り落ちて。

そんなことが、今日はやけに面白い。

でも、いっときそんな緑陰を楽しんだ後には、またあのカンカン照りの歩道が待っていた。

横断歩道の手前で立ち止まり、日陰に入って信号が変わるのを待つのも、いつもの夏。
見れば、日の当たる向こう側にも待っている人が。
頼りない、わずかばかりの電信柱の影で、それでも日差しを避けている。


曇りの日は、光と影の差が少ないマイルドな色調。
それは、穏やかではあっても抑揚のない平板な日々。

一転して晴れの日は、光と影が交互に訪れて。
その明暗の対比がまぶしいけれど、ちょっとエキサイティング。

梅雨の晴れ間に、ふいに現れた夏の感触。

それは、あのハレの日の高揚感に似ていたかもしれない。

'07年6月21日

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2008/07/04

水のないプール

●リターン雑記その18

あの夏の日」以来、夏にコースを変えることもなくなりましたが。
一年目はこんなでした。

Pool_tuyu・・・・・・・・・・・・・・・
ウォーキングの帰り道。
市民プールの脇道を通ったら、プールの水が抜かれていた。

あぁ……。
あれからもう一年経ったんだ。


ウォーキングを始めたのは、医師の勧めで仕方なく。
だから飽きないようにと時々コースを変えたり、色々工夫していた。

それがやってみると、歩くこと自体が気持良くて。
ほどなく多摩川べりのサイクリングロードが定番になった。

風に吹かれて土手の道を歩き、いつもの所で下りると市民プールの横道に出る。

5月に始めてしばらく経った頃、その市民プールの碧く濁った水が抜かれていることに気がついた。
やがてアルバイトの監視員らしき若い人が、レクチャーを受ける姿を目にするようになって。梅雨明け前のある日、子供達の歓声でプールが始まったことを知った。

その頃、一つの不安があった。
梅雨になったら、せっかく軌道に乗ったウォーキングもできなくなってしまうのだろうか。

しかし、それは杞憂だった。
いくら梅雨と言っても、雨が降りっぱなしでもない。止み間もあるし、梅雨の晴れ間もある。
そのタイミングを見計らえば、歩く事はそれほど難しくはなかった。

問題は梅雨が明けた後。

何しろ暑い。
お日さまはてっぺんから照りつけるし、いくら帽子をかぶってても頭がクラクラしてしまいそう。
朝だって7時頃にはもうギンギンだし。
そこで晴れた日だけ時間を夕方に変更し、コースも変えて並木道の日陰を歩くことにした。

そうやって夏を乗り越え、またいつものコースを歩いてみると。
透明だったプールの水は一週間ほどで濁り始め、二週間も経つとすっかりその透明度を失った。

そして秋も深まり、水面に浮かんだ落ち葉が沈む頃、冬が来て。
日なたぼっこする鴨たちの姿が消え、プール脇の草の茂みも消えた。


冬枯れの中のウォーキングは侘びしかったけれど。
でもそんなのは、芽吹きの春になれば忘れてしまっていた。

枯れ草から顔を出した小さな芽。
目を奪われたフェンス沿いの桜並木。
日毎に濃くなる若草の色。
春が暮れて、そこに身を置くだけで心地よかった初夏。


そしてまた、めぐって来たこの季節。
もうすぐ夏が来る。

振り返れば、プール脇のこの小道は、いつもさりげなく季節を告げていた。

'06年6月12日

Sakura_pool_miti5_10pool_miti
●四月にはグラウンドのフェンス沿いに桜が咲き、五月には隣の原っぱにシロツメグサの白い花が。そして今は、そこも背丈のある夏草に覆われています。

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2008/06/14

父の日に寄せて

明日6月15日の日曜は父の日。
どこに行ってもカーネーションだらけだった母の日に比べると、父の日が地味なのは仕方ないのかも。
自分が子供だった時を思っても、これといって何もしなかったような気がするし。
ということで、今回は●リターン雑記その17を。
 
Maruta・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もともと、父とはクールな関係だった。

別に仲が悪かったというワケじゃないんだけれど。
親子喧嘩をした覚えもないし、そこまで強い感情を抱いていなかった。

聞くところによると、長兄の頃は厳しい父だったらしい。
それが末っ子の私の頃には、ずいぶん丸くなって。
宴会のお土産に寿司の折詰めを持って帰った姿とは、別人のようだ。

ただ、厳しかった頃の記憶もうっすら残っていて。
反抗心が芽生えなかった代わり、甘えようとする気持もなくしたのかもしれない。


去年('05年)のおねだりでも書いたように、私はおねだりをしない子だった。
だから父にとっては可愛がり甲斐のない子だったと思う。

そんな父との関係が変わったのは、他の兄弟が結婚して家を出た後。
会社勤めを始めた私と、両親との三人暮らしになってからだ。
ちょうどその頃は家を新築したばかり。
私が早めに会社から帰れた時には、買ってきたケーキをその応接間で食べたりした。

ソファーに座って、紅茶をすすりながらケーキを食べる。
クリスマスでも誕生日でもないのに。
そんなおままごとのような事をしたのは、子供の頃できなかった事をやり直したかったのかもしれない。

暮には一緒に駅前まで行って、お正月用のしめ縄や輪飾りを買って。
そんな事の一つ一つが新鮮だった。

私が大人になって、初めて訪れた自然な父子の時間。
それは長兄一家が同居するまでの、ほんの一、二年だったけれど。
賑やかだった我が家に束の間現れた、蜃気楼のような静かな時間だった。

その後、会社勤めに挫折した私は、結局結婚するまで実家にいた。
敷かれたレールの上を歩く事しか考えなかった私にとって、初めて経験した大きな挫折。でも、そんな私が羽を休められたのは、まぎれもなく父のいる家だった。


子供の頃、おねだりができなかった自分だけれど。
私は大人になってやっと、父に甘えられるようになったのかもしれない。

お彼岸のお墓参り。
ひとり墓園の長い歩道を歩きながら、そんな事を考えたりしている。

'06年6月18日

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2008/06/04

絶対音感

080516sirotae●リターン雑記その16

「英語の学習は小さいうちに始めた方が良い」

という理由で幼児教育が盛んだけれど。
どうやらそれは言えているらしい。

先日読んだ新聞にも、専門家の方がそんな事を書いてらっしゃった。

なんでも、脳の中で専門的な分野が発達する時期というのがあって。
小さいうちに学習を始めると、その分野のモジュールの分化が進むのだという。

確かに、正しい日本人である私は自分が発音する時には意識できても(カラオケで英語のフレーズが出てきたりするでしょ?)、聞く時にはRとLの音は聞き分けられない。
三味線や日本舞踊など、昔からあるお稽古事でも「六歳の六月六日に始めると上達する」などと言われるのは、そんな理由からなのだろう。(ちなみに6月6日は「お稽古の日」だそうな)


「小さい内から始めた方が良い」ものと言えば、音感を必要とするピアノなんかが代表的。
小さな頃からエレクトーンを習っていた私の姪は、絶対音感なるものを持っている。
私が適当に鍵盤を叩いても、「高い方のド」とか即座に答え、百発百中だった。
(私がマネしても、道しるべのない音の森に放り出されたようで、まったく五里霧中だったのに……)

当時実家にいた私は、姪が使っていた教本を借りて練習したものだけれど。
大きくなってからでは、なんとか曲を弾く事は出来ても音感までは無理なようだ。


うちの子にも小さい頃にキーボードを与えたりした。
でも、見向きもせず。(挙げ句に壊されました)(ToT)
さらには同じ幼稚園のお母さんから英語を習ったりしたけれど、それも長続きしなかった。

やはり、好きでなければお話にならないようだ。


まだよく喋れない頃の「ア」と「エ」が混じったような喃語。
歯と歯で舌を挟んで「サシスセソ」を発音していた我が子なのに……。

それが今では、明瞭で美しい日本語を話す。

'06年7月9日

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2008/05/17

夏の予行演習

Redrobin●リターン雑記その15

風薫る五月。
しかしそんな初夏の日々に、真夏を思わせる暑さが訪れることもある。

三島由紀夫氏の作品に、そんな日のことを「夏の予行演習」と表現した一節があった。

まさに言い得て妙。
緻密な彫刻を施したようなその文章は読むのに時間がかかるけれど。
それだけにこんなフレーズを見つけると嬉しくなってしまう。

そういえば、裏地が付いた袷(あわせ)の着物を単衣(ひとえ)に替えるのは、六月の「衣替え」から。
そんなうるさい決まりがある着物でも、五月の暑い日には単衣を着ていいことになっている。

それだけ「夏の予行演習」のような日は、特別な日。


若かったあの頃。
そんな日が来ると、私もタンスからいそいそと短パンを引っぱり出して、つかの間の「夏」を楽しんだりしたものだった。

でも、その予行演習は昼間だけ。
夕方になって冷えて来ると、またいつもの格好に戻らなければならない。
かりそめの夏は、はかない白昼夢。

「最初からわかってたよ……」

そうやって穿いていた短パンをしまいながら。
過ぎてゆくうたかたの夏の日を恨めしく思うのだった。

'05年5月1日

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2008/05/14

壊れたカメラ

先日、過去記事を読んでいて驚いた。
自分では、ついこの間のことだと思っていたんだけれど。
今使っているカメラを買い替えたのは、ちょうど三年前の今頃のことだった。
ということで、今回は●リターン雑記その14として、その顛末を。

Iberisu・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもブログに載せている写真はデジカメで撮ったもの。スキャンする手間がいらないし、撮ってすぐ使えるのはありがたい。
1万数千円程度の安価なカメラだけれど、10cm位まで接写できるので重宝していた。

ところが、先日いきなりパソコンに取り込めなくなってしまった。

カメラが悪いのか、パソコンが悪いのか。
ドライバをインストールし直してもダメ。

困った。これでは明日から写真がUPできない!


仕方なく販売店に修理を依頼したら、費用は1万円程度からだとか。
「1万数千円のカメラを直すのに、1万円もかかるなんて……」

そう私が訴えると、店員さんは待ってましたとばかりに「最近のカメラはお安くなっているので、買い替えた方がお得ですよ」とのたまう。
しかも「今ならどんなカメラも3,000円で下取りします」とのこと。

っうん! お上手。

なんだか乗せられてるようで、釈然としないながらもショーケースを覗いてみると。
なんと2万円以下で3倍ズーム、接写も6cmからというカメラがあった。
しかも、小さいながら液晶画面までついている。(実はコレに憧れてたの)

今までのカメラは120万画素でも別段不自由は感じてなかったのに。
それが400万画素ですと。

・・・おあつらえむきに、手には壊れたカメラまである。

20,000円-3,000円=17,000円
これでは前のカメラと大して変わらないではないか!

壊れたカメラを手に携え、暗たんたる思いでお店に向かったあの日……。
イソイソと新しいカメラを提げて帰った私を誰が責められるだろうか。

'05年5月14日

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2008/05/05

初夏の面差し

Haura_right●リターン雑記その13

肌寒い日があったかと思えば。
夏を思わせるような陽気になったり。
春の天気は気紛れ。
なんて言ってられない。

五月六日は「立夏」。
(今年は五月五日の今日)

気がつけばもうすぐ「はつなつ」。
初夏である。


三月は、まだ生まれたての「春」。
それが、桜の花が散る四月になって、やっとうららかな「春」本番に。
そうなったら、ボヤボヤしてるヒマはない。
爛漫の春に浸る間もなく、風薫る五月になってしまう。

暦の上では「春」は二、三、四月になるのだろうけれど。
体感的に二月は「冬」だし、八月が「秋」だなんて寂しすぎる。
やっぱり「春」は三月からだと思いたい。

でも、五月が初夏だというのだけは、不思議としっくりくる。
夏じゃないけれど、夏の兆しをはらんだ季節。


春が、おかっぱ頭の愛らしい女の子だとすれば。
その子が知らぬ間に成長し、ある時ふいに大人の顔を見せるような。

初夏は、そんな乙女の面差しをしている。


まだ柔らかくて、初々しい色の若葉。
陽に透けて、光る葉裏のそよぎは、笑いさんざめく少女達のよう。
少しもじっとしていない。
木漏れ日を踊らせながら、すぐに次の季節へと旅立ってしまう。

夏が来る前の、ほんのひと時。


それは、そこにそのまま留めておけないからこそ、輝いて見えるのだろうか。

'06年5月4日

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2008/04/25

もう一つのピーク

Mouhitotuno●リターン雑記その12

もうすぐゴールデンウィーク。
日に日に青葉が茂り、新緑が目にまぶしい。

桜が春一番のクライマックスなら、春はこの時期もう一つのピークを迎える。

ツツジやコデマリが咲き始め、バラは蕾を膨らませる。
一方、冬を乗り越えたビオラやノースポールなどの一年草も今が盛り。
早春の花と初夏の花が競って咲き乱れている。


思えば冬の間は「やっと咲いている」といった感じだったのに。
今は花ガラを摘むのも一苦労。

日々花数が増え、どんどん大きくなっていく様を見るのは嬉しい。
けれど、咲き終わった花ガラを摘むのが追いつかなくなると、そろそろピークが近いとも感じる。

呆れるほど見事なクライマックスの後には、あっけないほど早い終わりが来る。

霜や雪に耐えて咲き続けてきた花々が見せる最高の姿。
それは、役目を終える前の最後の輝きなのだろうか。

美しいからこそ漂う終わりの予感。

爛熟の裏に潜む終焉の兆しは、熟れた果実の味わいに似て。
濃厚で、少し哀しい。

'05年4月29日

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